雲 水 日 記 4

三、井上義衍老師

 開枕後こっそり帰って来ると、げあい中のわしの部屋に灯が点く。
 維那和尚だ、さあ大変、(なにをちんちくりんめ、四の五の抜かしたら一発。) 尻をぶんまくって入って行くと、持参の火鉢にあたり込んで、維那雪溪老漢、
「お帰りなさい、外は寒かったでしょう、火がありますよ。」
 と云った。振り上げた手の置きどがない、その火鉢のまん前に坐って、気がついたら、際限もなく喋っていた、「今の世本地風光というのか、人の本当などありえない、そりゃ痩せがれ、ねじくれも本当ならだけど、そんなもん見性したって、ー 」
 とか云うらしく、モジリアニはどうのルノアールが失敗作で、詩人リルケは雲母の欠片みたいな詞を、そのまあ幕し立てることは、テープにでも取って、後で聞かされたら、幾つ穴があってもというやつ、
「はいそうです。」
「いえあなたはすばらしい。」
 なんたって相槌を打つ、煮ても焼いても食えない、すっかりほだされて、つい向こうの云うことを聞いていた。「そうです、死んだものはもう蘇らないんです。」
 妙に説得力がある。
「たしかにここには、思っていることをずばり云えない雰囲気があります。」
「そうなんだ、どうして無字なんだって、だれもなんとも云わないで無字だ。」
「さぼっているからです。」
 はてないったいこの人はなんだ、大衆にもさっぱり人気はないし、堂頭さんも単頭老師も問題にしていない。
嫌われ者雪溪老漢。
 そう云えば暮れの大掃除の時、先代、神さまとも云うべき大雲祖岳老師の頂像があったのを、
「どうですこの人はえっへっへ。」
 と笑って、顰蹙を買っていた。
 お盆の手伝いに来た時に、お施餓鬼の慣らしに大小無数の蚊が食う、パンツの中まで入り込む、
「動くな、蚊が食うぐらいがなんだ。」
 と叱咤する、たしかにご自分は微動だもしない。
「維那和尚雪担さん来てからやらかくなったなあ。」
 と雪元老人が云った。
「わたしにもわたしの仲間があるんですよ。」
 ぽつりと云った。
 小冊子を持って来た。夢想という表題、小柄な和尚の写真があった、井上義衍老師とあった。
 一瞥する、
「だからこういうんじゃない、言葉の幅がない。」
 わしことに夢中。
「あっはそうですか。」
 雪溪老漢冊子を取る。  
 二三日して旦過寮にだれか居る。後輩が来た。
 鐘司を卒業出来そうだ。

  月も月  取る笠も
  花も花にし  破れほうけて
  見えんは  行く春や
  見えん我が  寄せあふ波に
  その皮つら  砕けむ月は 

「上げ膳据え膳ででん坐ってられるとは、ありがてえ。」 と云って、のっこり大坊主が出て来た。大心和尚という、かまわないからとっつかまえて、風呂焚きやらせた。くせの悪い五右衛門風呂で、底板こじあけて、漆桶底ぶち抜いちまったことがある、あの時は困った。
 大心和尚魔術のように焚き沸かす。
 拭き掃除掃き掃除、風の吹き抜けるような、あとをつや光る。
 雲水生活十何年、
「恥んずかしいったらさ。」
 と東北出身、喧嘩ばっかりの化物僧堂がぴったり納まる。
「なんで発心寺へ来た。」
 と聞いたら、
「わし堂頭さんに用事があって来たんじゃねえ、維那和尚とこ来たんさ。」
 と云った。
 ふうん変なやつだ、酒には目がないらしい、
「おれおごる。」
 と云って引っ張って行った。おごられたら必ず返す、飲むほどに酔うほどに、
「そりゃおおかたやってるやつはいるけどさ、あんなにぴったりやったな珍しいんだぜ。」
 雪溪和尚はさあという、
「そりゃ微妙な差たって、ころっとやられるっきりよ、どうもならん。」
 へえなんのこっちゃ、
「無字の公案ていうのどう思う。」
「うっはっは特攻隊じゃあるめえし、とっかん突っ込めたって、人間そうは行かねえもなそうは行かねえ。」
 そのとおり、
「じゃ他に方法あるんか。」
「方法っておまえ道元禅師のむかしから只管打坐に決まってるじゃねえか。」
 幼稚園ていうやつか、ばか云え、
「もとこのとおりなんだ、どっこも悪いとこねえってより、いいもわるいもそれっこっきりそのもの、直指人身ていうだろうがさ、坐ったら坐るこっきりの他ねえの。」
「じゃなんでうまく行かねえんだ。」
「自分で必死こいてうまく行かねえやってるからさ。」 
まあそういうこったなってわけが。
「そりゃ人一箇同じだって、発心寺の欠陥は早く許し過ぎるってとこにある。」
 ともあれ施設する。じきに制中、僧堂に帰った、蒲団を引っ張り出して、寝入ったとたんぱあーっと開ける。
「おう。」
 と云うと、大心和尚、
「おう。」
 と答える。初体験の全体開けるふうが、
「明日を待って雪溪老漢に挙せ。」
 という、開けは開けたが、どこかに、
(これではない。)
 という。それにどういうわけか、雪溪老師には云い出でにくい。
 三日めに塞がる。
「一つ開けてまた閉じたな。」
 と大心兄。

  長々し  種々の
  夜は明けてや  浮き世のたけを
  また閉じて  知るや君
  なんにぞこれの  夜半も昼をも
  しぐれ降りさふ  移らずにあれ

 ともあれあいつは隠しごとをしている、どうあったって聞き出そうとて、再三飲みにつれて行く、進退のさっぱりしている男で、一生の付き合いに、結局こっちが面倒を見られる始末が、
「そうなんだ、諸龍像が泣いたぜ、禅師の弟子や沢木さんの子飼いや、岸田維安の弟子とか、錚々たる連中がさ、出家の和尚だぜ、全国から馳せ参じて。」
 とうとう白状する、
「それがさ、せっかく只管の消息を手に入れて帰ってみりゃ破門だ、どこの馬の骨とも知れぬってな。」
「肉食妻帯もしている、小寺のじっさでなあ、狐狸にたらかされおってって、それでおしまいだ。」
 涙と共に語る、
「たといどうあろうと、滴滴相続底よ、戦後のあのもののねえとき、伝え聞いてやって来て、いつんまに僧堂になった、托鉢して歩いたって、そりゃ知れてらな、道端に玉葱落っこってた、それ拾って来て真ん中に置いて、みんなでむしって食った。」
 玉葱僧堂だと理想社会だ、只管打坐がどうのより、そっちのほうがぴんと来た。
「どこだ、教えろ行く。」
 大心和尚我に返った、
「いや、いまにな。」
 それっきりどう押しても出て来ない、なんせ堂頭さんの弟子たらかしたとあっては、それは。    
 のれんに腕押しをわしは食い下がった。
 制中になった、大心和尚を慕って、これも上背のある大坊主、量基和尚が安居して来た。雪溪老師は講師になり、永平寺から帰って来た、玄鳳さんという人が維那になった、玄鳳維那一睨みで大衆を黙らせる。
 僧堂らしくなった、
「こんなんなら一生いてもいいぜ。」
 脳天気に思ったり。草むしりも薪作務も楽しかった。 玄鳳和尚小浜の顔で、とんでもないご馳走食わせに連れて行ったりする。すっかり仲良くなった。
 一に柴を運び、二に石を担いする、他なしにといって、切れない鋸に薪を伐き、セメント袋担いでひっくり返ったりも思い出す。
 四月の摂心には、願い出て無字を返上、こっちは只管打坐のつもり。
「雪担さん、もっと効果のあるものをやりなさい。」
 二日めには単頭和尚がせっつく。一度二度独参をさぼっていると、「行かないのなら、私にも考えがあります。」
 という、すわ殺されるとばかり、喚鐘に取っ付くと、ふっと抜け出る、
「なあるほどこういうのもあるか。」
 と思うとからに、元の木阿弥。

  雲行くや  汲む水も
  人の誰をか  中らふ月を
  頼りせん  浮き雲の
  柴を搬びつ  なんに己れが     
石を担ひつ    たはぶれ暮らす

「もういい玉葱僧堂へ行く。」
 無字をやらされて、大心和尚にせっつくと、
「そうか、じゃ雪溪老漢に聞いて来る。」
 という、雪溪老漢の返事は、
「ここでもやれます。」
 というのだった。
 昼休み裏の墓場で、大心和尚と量基和尚が話す、
「たしかにわしもあったです、ものみな失せてどっとこう。」
「ふむそれで。」
「老師はそうやって見い見いしてけばって云う。」
「ほんとうに行くってどういうことかな。」
 と云う。
 わしはと大心和尚、かつて発心寺にいた、
「柱開の間坐っておった、そうしたら大梵鐘が鳴る、どわっと体ふっ消えちまった、手も足もねえって立とうたって立てねえ、それ持って独参に行ったら、堂頭さん魂消て、大見性だ大見性だ云う。」
「ふうん。」
「だからってそれ、雪溪和尚に挙したら、あなたはそういうこと云ってるから駄目なんですよって云われた。」 摂心になった、二人和尚何かやっている、量基和尚柱開に坐って、大心和尚、
「まだまだ。」
 という、
「行け、今だ。」
 量基和尚独参する。
 わしも独参に行った、
「これ何をしておる。」
 と堂頭老師、
「こないだ来た新到、なんてったかな、ついさっき見性したぞ。」
 と云う。そうかとわしは大心和尚に取っ付く、
「玉葱僧堂へ行く。」
 だれがなんと云おうと、雪溪老漢も頷いた。
「雪担さんあんまりぶっ叩かれてかわいそうだ。」
 という、それは、
「間違った宗教ほど恐いものはない。」
 なと思い込んで、ぶっ叩かれると、
(この野郎。)
 振り返ったりするもんだから、単頭和尚、
「ほっほうこれは面白いもんが出来る、ようし。」
 てなもんで、めったらぶっ叩く。敵もさる者、いつのまにか無字になって来る、
(えいこんなんだめだ。)
 慌てて抛つ。まあ阿呆なことをやっていた。
 電車の道順や餞別と紹介状、雪溪老漢は万端手配する。
「行っていろ、あとでわし行くからな、こうなったらしょうがない、一切面倒見よう。」
 大心和尚がいった。次の独参堂頭老師に、しばらくひまをくれと挨拶した。


  されどもや  なんと云ふ
  行くも返るも  おのれとありや
  跡を引き  今生の  
  騒々しくに  行くも帰るも
  法の道とは  絶え果てなんに

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画像の出典  2003年11月/東山寺
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by tozanji | 2002-12-03 11:53 | 雲水日記


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