雲 水 日 記 6

   五、降り積もった雪が流れ落ちる

 禅師総持寺貫主になった板橋興宗師は、摂心のたんびに来てよく坐っていた。
「規矩なしをもって規矩とする。」
 という玉葱僧堂創始のお一人である。なんせ後輩が威張っているという、前代未聞の僧堂でー本当の行なわれる所はたいていそうである、先輩はたとい知ったかぶりなどしない、若いのがいいようにあげつらうのを、
「うん見込みある。」
と云って聞いている。懐の深い人であった、
「おまえら、宗門はどうの禅師はどうの云ってるがな、そんなら宗会議員ぐらいなってみたらどうだ。」
と云って、とうとう禅師になった。道を専一といういいことしいとは違う。
 雪溪老師は同じお一人で、大悟した時に老師を逆さに吊るしたという、本当ですかと聞いたら、
「うんやってやったい。」
 と云った。
「何度でも同じところへ行く、老師はいいいいとだけ云ってらちあかん、こんちくしょうめって思って、ある時摂心に無茶苦茶に坐った、そうしたら飯台に、手に持ったお椀の中にころっと入っている。」
 たいていおとなしい人だのに、そういえば発心寺を継ぐ時は、尋常の人のはるかに及ばぬ、我慢というか、大力量を発揮した。
 青野敬宗師は臨済にその人ありと知られ、老師の辺を伝え聞いて、
「どこの狐か狸かひねり潰してやる。」
 といってやって来た。いきなり問答連発をもってぶっつけた。老師はにっこり聞いていて、しまい、
「そういうおまえさんはどうだ。」
 と云った。さすがに他の凡百とは違う、深く感じ入って参ずる。半年余り、
「これしき悟らでなるか。」
 といって、竹藪に古井戸がある、飲まず食わずその上に坐って、悟れずば死のうという、ついに悟った。
「涙ながらに話したことがあるの。」
 と、山寺のおばあちゃんが云った。敬宗師には小指がない、大阪の問屋であった。
倒産して一家離散、母は苦界に落ちたという。預けられた家を抜け出して会いに行った、一足違いで死んでいた。引き返し出家させてくれと云った。
「そんなことは云うな、必ずいいようにしてやるから。」 というのを、十六の年であったか、小指を切って差し出した。ついに頭を剃ったという。
 何人もの、
「わしはなんというぐうたらか。」
 と思う他ない話があった。
 雪溪老漢は、悟りを得て帰って行って、縦警策を食らって、すんでに死ぬところであった。
 大雲祖岳老師といい、ほんとうのことがわからない。せっかくの悟を私する。沢木興道老師は、仏教のぶの字も知らぬ、ほんとうのことより、商売とそれらしいふりに終始する宗門に、利用された。

  出家して  出家して 
  今生この世に  今生名残んの
  悟らずば  月かげも 
  死なんとぞ思ふ  雲い行くらん
  古き井の辺  花の吹き散る

 老師は寺の次男坊であった。立職して帰って来たら父親が云った。
「蚯蚓切って両断と為す、仏性奈辺に在り也。」
 みみずを切って二つにした、どっちに仏性があるというのだ、さあわからなくなった、馬鹿といおうか、二十六の年までまっしぐら、
「事として解からんこたなかったです、名古屋の覚王山に安居してたですか、師家がなんでやって来ぬというから、行ってなんでもかんでも解いて見せた。師家はあてんならずといって、何人か語らって山で坐っておった。」 という、たしかに風動幔動の則、旗は動かずこっちがこう揺れている、だがそれを観察するものがいる、
「あれはいつだったか、未だに思い起こせんのですがね。」
 と云った。当時流行りのレビューが来た、みんなで見に行こうという、あんまり行きたくはなかったが、ついて行った。レビューを見ているうちに忘我。
「あれは不思議なもんですよ、なんにもないのに物みなこうある。」
 これのうして今日のわしはありえなかったと。
 だが鑑覚の病という、悟ったというそれを持ってしまった。もう一度大苦労せにゃいかん。天下取ったという恐いものなし、当るを幸いのし歩いて、師家の三人も気違いにしたなと。    
 法話の席に飯田とう陰老師の前座を勤める、
「なにこっちゃとう陰さん何するものぞってな、前座長くなって、汽車の時間あるで、とう陰さん帰っちまう。」
 公案をいっぺんに使うなというぐらいで、とう陰さんも手が付けられなかった。ようやくに気がついて参ずる。夜討ち朝駆けであったらしい、
「とう陰さんはなんたって、官員さんの奥さんだろうがぶん殴る、病気で寝ているの起きて来てぶん殴る、わしは殴られたって平気なもんじゃから、むきになってなアッハッハ。」
 と云う、ずいぶん長い間かかった、ここに坐っておってな、目白の一筆啓上の声に本来を知ると。
 飯田とう陰老師、東大医学部インターンの時に、明治の始めか、コレラの大流行であった、目の前に人がばたばたと死んで行く、
「医学の他に人を救うものはないか。」
 といって、禅門を叩く、
「いやあの人は坐中にやったです、卻って珍しい。」
 老師は云った、痛烈にぶち抜いて、イギリスの哲学者スペンサーを説得に行こうと思った、だが待てよといって諸方参じ歩くうちに、南天棒という臨済の大物に出会った。
「無と云わずになんて云う。」
 というのにひっかっかって、由来十八年南天棒に師事する。あるとき会下の高足と話すのを、心ならずも漏れ聞いた。
「飯田居士ももうずいぶん長い、そろそろ許してやったらどうか。」
「うんそうしようか。」
と云うのだ。
「自分で自分が許されぬものを、なんで他人が。」
 とう陰老師憤然として袂を分かつ。
 独力で只管打坐を復活させる、この人のうては今日に伝わらなかった。

  これやこれ  強烈の
  一つ命を  信をひっぱぐ
  預けては  ものなどは
  この世に恐い  ありせずとふ
  ものはなしとふ  父母未生前

 老師に日泰寺覚王山僧堂師家の話があった、副貫主猊下の親族を説得した故にという、
「そりゃ称号ばかりの。」
 と大心和尚苦労人の、心配した通り名だけのものだったが、老師は、
「報恩底じゃ。」
 という、悟りを得た因縁の、乗り込んだ。大心和尚とあとから量基和尚、もう一人とわし、雪溪老師が堂監で入った。向こうには師家がいて準役がいる、愛知学院大の坊主下宿のようなことをやっていて、動かない。
 どうにもなるものではなかった。一年で瓦解した。わしのこった、派手に喧嘩して副貫主猊下が駆けつけたり、挙げ句の果て自分から追ん出て、小出暁光さんという先輩の、これがまたどえらい世話になった。
 縁あって越後に寺を持った。
 南蒲原郡栄町東山寺という、今のお寺である。
「えいどっか大寺持って、老師招いて僧堂開こう。」
 というわけが。到底そんなわけには行かず。
 住職三年火の車、三年たって老師の会下に参じた。
 離れているとたいていろくでもないことになる。いつだって一から始めるこったが、五月田植え時分に、寺へ老師を招いて摂心を開き、十二月臘八はこっちから出かけて行く。
 ずっとそのように続いた。
 ちらとも悟った時に、促されて仏教タイムズに記事を書いて、えらく評判になった、記者が付く。
 老師に問うたことがあった、
「朝四本足、昼二本足、夕三本足なーんだっていうんです、答えられぬとぱくっと食っちまう、スフィンクス=謎という怪物です、ヨーロッパの精神というか心の要です、それは人間だという、解いてしまってはならぬ、約束事です。」
 モーツアルトを追求していて、しまいスフィンクスに出会う、それは恐ろしいことであった、三日三晩を立ち尽くす。
「それはなんの問題にも答えたことにならない。」
 オイディープスもヨーロッパも知らぬ老師が、言下に答えた。
 目から鱗の落ちる思いであった、記事にして書くと、
「だれに見せてもちんぷんかんぷん。」
 さっぱりだと云う、そうかと云って決別した。
 日泰寺僧堂は金ピカ仏壇のような、豪勢な建物だった、そこで御祈祷大般若を繰る、あるいはバイオリンの稽古に賃貸しする、
「つまらねえ。」
 といったら、バイオリンの師がかんかんに怒った。
 日泰寺タイと日本の仏教交流のしるしに建てた寺である、八宗兼学の僧堂は曹洞宗が持つ。

  ぱっくりと  かた腕を
  スフィンクスに  切って差し出す
  食はれるは  面壁の
  破れかぶれの  幽霊となむ
  思い込みとぞ  うつせみとなむ

 ちらとも疑問が湧く、只管の俎板に乗せる、わしは疲れ腰というか、妄想の果てるまで命がけ。二年の間やっていた、しこたまあった思想という、妄想疑念は悉く退治した。
「そんなことしなくっても。」
 と老師が云った。
 ついには押しても引いてもなんにも出なくなった。
 いっぺんはそうする必要があった。
 通身挙げて抛ってしまえばけり。
 たんびに悟ることは悟る、大悟十八小悟その数を知らずなどいう、ちゃんちゃらおかしいとほどに。
 ひたと物音と共に通身消えたり、風に木の葉は揺れずこっち揺れ動いていたり、電車が停まるのに引き摺られて行ったり、おかしいのは大地とセックスして精液は出なかったなぞ、まあたいていのことは仕出化した。
 なぜ行かぬ、どっかで満足しないのだ。
 モーツアルトか、そうかも知れぬ。
 たしかに一番やっかいな代物だった。
 あるとき五月の摂心に、さつきが雪のように咲いて、内外掃き清め、老師がやって来た。
「このごろは見るもの聞くもの、清々ともなんともたとえようがなくー 」
 と云いも終わらず、
「それはまだ清らかに見ようというものが残っている。」 と老師。
 はっと気がついた。
(わしはまだ出家しとらん。)
 自然を清らかに見ようという、ぶよぶよ虫の卵のモーツアルトを回復しようという、
「ちええ文学青年のやるこった。」
 流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。
 剃髪の偈を知らぬ。
 ものみな急に遠のく、淋しいというか無意味に行く。
しゃばとの決別に似て。
 その年の臘八であった。坐中どうっと風が吹いて身心、ものみな持ち去る。
 気がつくと涙溢れ。
 あい整のうというのか。
「とうとうやったです。」
 老師に挙すと、
「ようし。」
 と云って、拝する背中をなでる。
「とうとう自殺しちまったやつがいる。」
 というのが老師の評だった。
 光前絶後の事、玉露宙に浮く。
 あたかも降った雪が暖気に溶けて、大屋根を馳せ下る。
「うわあ。」
 という、いっしょに流れ下る、
「清々ともなんともたとえようがなく。」
 云うことは同じ、内容は月とすっぽん。
 翌年五月の摂心に、経行といって歩く坐禅がある、さし向かう相手が自分になっている、
「へえ。」
 と云ったのを覚えている。

  整々は  宮中は   
  一回きりと  もぬけの空の
  云はむかな  整々の
  我をのふして  あっぷらかひて     
永しなへ行く  十二単へぞ  

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画像の出典  2003年11月/東山寺
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by tozanji | 2002-12-03 11:54 | 雲水日記


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