世間大流行りの夢は妄想我欲、しまい夢の島ですか、どっか情けないんです。如無幻泡影という、はかないからという。人生五十年難波のことは夢のまた夢、信長秀吉の五十年は、並の人の百万年にも当たるんでしょう、沢庵禅師の夢、一年三百六十五日夢という、わかりますかこれ。現実であればあるほどに夢のようなんです。
スポーツに熱中する、あっというまに時間がたつ、夢中になるというんでしょう、三つのころまでの記憶がないのは、100%生きるからです、すると反省しない、どうやってこうやったという記述がない、一般に云う現実とは、脇見運転の追憶記述です。如来の悟りはありのまんま、夢とは正にこれを云うんです。

 夢を見るのはよくないんですか。

 必要だから見るんです、現実に満足しないから夢を見る、現実化したいから夢を見る。聖人に夢なしといいます、つまらない聖人なんぞお呼びじゃないという、いえ夢を見る必要がない=現実が有頂天の楽しさ、大満足だからですよ、これを知ることが解決の道です。人間の花に咲き開く。


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画像の出典
 東山寺の山門/ 東山寺の山門は「三間一戸楼門」 (さんげんいっころうもん) と言います。
三間一戸とは、正面から見て柱が四本建ててあって、柱と柱と愛だが三ヶ所あり、そのうちの一ヶ所が通り抜けできるという意味です。
 下層部分に屋根がなく、廻縁(まわりえん)の ついた門を、楼門と呼びます。
 今は瓦屋根ですが、昭和31年まではかや葺きでした。

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by tozanji | 2005-03-13 00:00 | ぜんごぜんご


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