第四十四則 興陽妙翅

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 衆に示して云く、獅子象を撃ち、妙翅龍を博つ、飛走すら尚ほ君臣を分つ、衲僧合さに賓主を存すべし。且らく天威を冒犯する底の人の如きは如何が裁断せん。

 挙す、僧興陽剖和尚に問ふ、娑 海を出でて乾坤静かなり、覿面相呈すること如何。
師云く、妙翅鳥王宇宙に当たる、箇の中誰か是れ出頭の人。僧云く、忽ち出頭に遇ふ時又作麼生。陽云く、鶻の鳩を取るに似たり。君覚らずんば御楼前に験して始めて真を知れ。僧云く、恁麼ならば叉手当胸退身三歩せん。陽云く、須弥座下の烏龜子、重ねて額を点じて痕せしむることを待つこと莫れ。

 興陽山の清剖禅師は大陽警玄の嗣、妙翅鳥金翅鳥ともいい、龍を食う鳥、鳳凰ですか、天空の王さまです。娑かつは立に曷しゃから龍王、龍の大王ですか、海中に暴れているやつが飛び出した、さあてまったく納まって覿面に相呈するとき如何、どうだおれはかくの如し、和尚さあ道え、というわけです。そりゃあもうやったあどんなもんだいです。陽和尚、妙翅鳥王まさに宇宙にあたる、はいよってなもんです、でどこに出頭人がいるんだ。忽ち出頭にあうとき如何、おれだおれだっていうんです、アッハッハ笑っちまうんですか、鶻はくまたかです、くまたかが鳩を取るようなもんだ、君覚らずんばは、平原君趙勝という人の御楼前に、美人の首を斬ってかかげる故事です、とやこういってないで斬るもの斬ってそれから道えっていうんですか。もし本当にそうだってんなら、胸に叉手、手を組んで退身三歩せん、ならそうすりゃいいのにまだおれはという、須弥壇、蓮華座の床足に烏亀子を用いる、盲の亀を踏んづけているんです、ばかったれえめが、もう一度額に点す、おまえは未だし、駄目だなんとかせえって云われたいのかってこと。飛走、鳥やけものでさえ君を分つ、ましてや衲僧賓主を存す、彼我雲泥の相違が見えないんです。どうしても得ようとする、ついに得たという、天下取っただからどうだの世界です、これが根底くつがえって始めて仏教ですか。発露白仏、うわあなんつうこったおれはという、通身上げての、百年なんにもならずはの大反省です、するとようやく坐禅になりますよ。以無所得故、菩提薩たです。かつての大力量が点と線ぐらいにしか思えんです、われ無うしてものみな、ものみなが坐禅する、わかりますかこれ。

 頌に云く、糸綸降り、号令分る、寰中は天子、塞外は将軍、雷驚いて蟄を出だすことを待たず、那んぞ知らん風行雲を遏むることを。機底聯綿として自ずから金針玉線あり、印前恢廓として、元鳥てん虫文なし。

 糸綸、綸旨みことのり天子の言葉、寰中幾内天子の直轄です、塞外は関所の外、将軍が天子の勅を受けて布令する諸国をいう。糸綸下りとはどういうことですか、だから抜きの言です、物まねでない自ずからなんです、仏教という別誂えを仮りないんです、世間一般のまた自然とは、雲泥の相違のあることを見て下さい。良寛さんの記を見ると、独創なんてものないといっていい。人まねだれでもできることであったり、万葉から一歩も出ぬ歌であったりします。しかもなをだれにも真似できんです、真似したらひっくりかえるっきりです。さあどういうことです。寰中天子他にはないです。蟄は虫土にひそんでいる龍ですか、一喝驚いて飛び出すという、飛び去ってなくなりゃいい。風行雲をとどむることを知るんですか、不可能ですか。織りなす古錦春象を含むという、仏教開始の合図ですか、自ずから金針は、かくあるべしという捺印はんこ要らないんです、ゆえにもって廓然無聖まさに快廓です。てんはてん字などいう中国の古字虫文も同じどっか複雑怪奇です、そういうことやってないでからり本快事。

画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-05-14 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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