第五十四則 雲巌大悲

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 衆に示して云く、八面玲瓏十方通暢、一切処放光動地、一切時妙用神通、妙用神通且らく道へ如何が発現せん。

挙す、雲巌道吾に問ふ、大悲菩薩、許多の手眼を用いて作麼かせん。吾云く、人の夜間に背手して枕子を模ぐるが如し。巌云く、我会せり。汝作麼生か会す。巌云く、偏身是れ手眼。吾云く、道ふことははなはだ道ふ即ち八成を得たり。巌云く、師兄作麼生。通身是れ手眼。

 雲巌曇晟禅師は薬山惟儼の嗣、道吾円智は兄弟子、大悲菩薩という千手観音、千の手に眼がくっつく、偏はぎょうにんべんあまねく、通身と同じです、真夜中まっくらがりに背中に手を回して枕を探る如し、わかりました、偏身これ手眼。なを八成を得たりというんです。じゃどうなんですか、通身これ手眼。どっかちがうですか、ちがうんです、自分という会すという、なにかしらある、驢の井を見る影法師、わかりますかこれ、どこまで行ってもという気がします。あるいは日々背反、どうあっても葛藤です、しかもなおかつ、暗夜に枕頭をさぐるが如し。たとい葛藤も背反もです、すると自分という主中の主がこっちがわにないんです。彼岸というあっちがわばっかりですか、ふうっと失せて井の驢を見るという。師兄作麼生と云われて、通見是れ手眼云うことはまったく同じ。どうですか、葛藤が終わったかという、背反が納まったかという、納まることはまったく納まっている、しかも背反あり葛藤です、アッハッハ八面玲瓏も南天北斗も、呼吸のごとく千変万化ですか、しかも一瞬一瞬です、一切事処放光動地、一切時妙用神通、わしのようなぼんくらあほんだれは、なんせ毎日坐っています、坐るほかにないことを知っています。九十までは生きると占い師が云ったけど、いったん終わった生涯なんというかご苦労さん。もっとも報恩底未だ終わっちゃいない、安閑とはしておられんです、そうして昨日の我は今日にあらず、いやさまだまだまだです。

頌に云く、一竅処通、八面玲瓏、象無く私無うして春律に入る。留せず礙せず月空を行く、清浄の宝目功徳臂。偏身は通身の是に何似れぞ。現前の手眼全機を顕はす。大用縦横何ぞ忌諱せん。

 竅は穴一竅処通とは人間の存在そのものなんです、早くこれを知って下さい、妄想法界じゃどうもならんです、自分という架空の思い込みが、世間一般を形成するんです、それは千差万別というよりただの雑多です、人みな自閉症をまげて世間一般となす、中国人はかつてまさにこうある仏祖師方であった、わしのような半端が尊敬も、なを遠く及ばぬほどです、それが今の日本排斥運動の如きは、雑というも愚かとも云いようにないです。共産党という理想の為には何してもいいという、一神教のカリカチュアですか、そのなすこと真実の欠片もなく、しかもそれを世間一般と思い込むんでしょう、物笑いです。これをだが誰彼やってないですか、思い込むようにしか見えない、騒々しい淋しい、喧嘩の原因宗教のよってたつところです。ばっさり脱ぎ捨てて八面玲瓏、象なく私のうして春至って下さい。井の驢を見る、世間一般というあとかたもないんです、このとき初めて人間であり、平和を云い思想を持し得るんです、理想だの神さまだのいう雑っぱはた迷惑じゃない、微妙幽玄ですか。留せず礙せず月空を行く、清浄の宝眼功徳臂、なにものにも替えがたいんです。大悲千手観音あるいは稚拙にしてこのように象ると、いいですか、万億手眼通身あまねくこれあなたなんですよ、あなたという無自覚なんです。どこへ行こうが何しようが大用縦横です、もとこのように行なわれている、何ぞ忌諱せん、早くこれを知って下さい、でないと今生終わってしまいますよ。

画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-05-25 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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