第七十四則 法眼質名

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 衆に示して云く、富満徳を有って蕩として繊塵無し。一切の相を離れて一切の相に即す。百尺竿頭に歩を進めて、十方世界に身を全うす。且らく道へ甚麼の処より得来るや。

挙す、僧法眼に問ふ、承まはる教に言へること有り、無住の本より一切の法を立っすと、如何なるか是れ無住の本。眼云く、形は未質より興り、名は未名より起こる。

 法眼宗の祖清涼文益禅師、これはまことに平らかに説く、他の禅師大善知識というお騒がせとはだいぶ違う、さすがに法眼、そうですよ、応無所住而生其心、まさにこうあるこれを、なにか特別のことだと思ううちはこうはいかない。承まわる教えというのは維摩経なんだそうが、そんなんどのお経だって同じに一切です。尽くしているというんですか、一言半句で足りるんです。足りないのは自分が足りない、もと長者窮子が、富満徳をたもって蕩として繊塵なしです、ゼニカネ女などの手段を必要としないんです。放蕩息子のどけちじゃない、一切の相を離れて一切相に即す、もとどっぷり浸けです。他にないんです、それを他に求めようとするから、法あり空あり一切ありするんです、手放しても手放さなくとも同じたって、手放さなきゃそりゃわからんです、わからんけりゃおもしろくもなんともない、高い木の上に上って、手を離し足を離し、口でもって噛みついているやつに、下に人あって仏を求めている、さあどうするという公案、答えはたった一つ、口を開いて説教しろというんです。捨身施虎は仏教の根幹、他のヒンズー教やら修行者らとまったく違うんです、人格高潔や神仏のらしい様子じゃない、端にこれ、十方世界に身を全とうするんです。ものみなこうあるという、この事実に住する、死んじまったらもうない理屈、すると平らに出るんです、形は未質よりおこり、名は未名っより起こる、どうですか並み大抵でしょう、かくの如くあるしかない、アッハッハあなただって云い得て妙ですよ。

頌に云く、没蹤跡、断消息。白雲根無し、清風何の色ぞ。乾蓋を散じて心あるに非ず。坤与を持して力有り。千古の淵源を洞らかにし、万象の模則を造る。
刹塵の道会するや処処普賢。楼閣開くるや頭頭弥勒。

 没蹤跡断消息、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけりと、まずもってこれを得て下さい、坐っても坐ってもどこか繋駒伏鼠、どうしても糸のふっきれぬ凧をやっている、就中この期間が長いんですか、七転八倒し地獄とはこれ仏のありようを知って仏ならざる時と、なんで外きりないのに内動くかと、先師仏祖の蹤跡なにも特別はないんです。必ずこれあってこれを得る他はない、ついに得て落着は、乾蓋散ずるんです。心という用いてどうこうしない、たとい一切妄想も出るに任せ消えるに任せです、だからどうのまったくしない、すると我という失せて、坤与ここにこうして大盤若なんです、千古の淵源という、他の発祥源はないんです。乾坤宇宙歴史も哲学もなにがどうあろうと、自ずからあるよりないんです、あっはっは万象の模則を造ると、まあ荷厄介なこといわない、ただです、物まねするんならこれ以上はないってやつ、さあ刹塵の道ぶっこわれ破家散宅の道です。会するや否や、処処普賢行ない清ますこと第一等、大行普賢菩薩、あまねくということですよ、楼閣そりゃまあ世界全体ですか、開くこと頭頭弥勒、智恵一等文殊菩薩としたいところをさ、とにかく弥勒も文殊もあなたの内にしかないんです、あなた=内なしってね。

画像の出典  金魚草の花壇/静岡県の県道
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by tozanji | 2005-07-12 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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