第七十五則 瑞巌常理

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 衆に示して云く、喚んで如如となす、早く是れ変ぜり。智不到の処、切に忌む道著することを。這裏還って参究の分ありや也た無しや。

挙す、瑞巌、巌頭に問ふ、如何なるか是れ本常の理。頭云く、動ぜり。巌云く、動の時如何。頭云く、本常の理を見ず。巌佇思す。頭云く、肯ふ時は即ち未だ根塵を脱せず、肯はざる時は永く生死に沈む。

 巌頭全豁禅師は徳山宣鑑の嗣、瑞巌師彦はその嗣、如何なるか是れ本常の理と、どうしても仏を願い仏道を求めるからに、たしかなものすばらしいもの、金剛不壊ダイヤモンドの高価頼り甲斐を思うんです、実はそういっている自分自身が、まさにそのものこれ、永遠不滅と云えば即ちまっただなかです。まっただなかにあって却って見ることができないんです。千変万化するまっただなかです、本常という他に見る、あるいは物差しをあてがえば、滞るよけいことです。禅問答のちんぷんかんぷんではない、平らかにこれを知って下さい。喚んで如如となす、坐っていてこうだというんでしょう、実に得たりとやったとて、ついに一物も得ずとしたっても、次にはもう別ことに追われている、なにやかや捉まっているかぎり、ひょうたんなまずです、ころんころんと糠に釘。
智不到の処、切に忌む道著することをという、だからと顧みるにそりゃ同じこったです。アッハッハさあどうすればいい、かえって参究の分ありや無しや、それだから頭云く、動。動の時如何、なんとしても答えを出したいんです、自分=答え、三世の諸仏知らずに安住しないんです、だからといって、まさにこれ肯う時は未だ根塵を脱せず、肯はざる時は永く生死に浮沈すと、かく真っ正面に云っても、言下に大悟すとはなかなかもって行かんです。さあどうです
か、こやつぶち抜いて下さいよ、手もつけられんと知って、即ちこれほど楽なこたないんです、坐=安楽の法門。

頌に云く、円珠穴あらず、大璞は琢せず、道人の貴とぶ所稜角無し。肯路を拈却すれば根塵空ず、脱體無依活卓卓。

 年上の弟子があって円珠と名付けその奥さんを明珠と名付けた、弁護士大学教授であったが、六十でスキ-を覚えて世界中のゲレンデを渡り歩いたり、限定解除をとって1500ccに乗って来たり、活発発が惜しいことに、ガンになって死んでしまった。穴あらずの円珠さんに、今はの際に行きあったんだと思っている。大璞白玉だそうです、この事をなす人なにものにもならん、なれんといったらいいのか、世の中の出世街道たといあくせくが身に就かんのです、アッハッハなにをやっても元の木阿弥。わしはまあ役立たずだが、たしかにそういう人がいるもんです。そうですよ、坐禅をやっても元の木阿弥、坐禅三段とか免許皆伝なんてにいかない、なんにも得ないんです。そうしてどうしようもないこやつを、惜しゅうもない、虚空という虎に食わせて一巻の終わりですか。うっふっふじくじくとさっぱり終わらなかったり。昨日の自分はもうないってことだけある、いやさ自分というから食み出して久しいんですか、まあやっとくれ死ぬかこれしかないという、そうさなあ年よりじっさ。でもっていろっけあったりなかったり、どうすればいいこうすればいいの道ではないんです。肯路を拈却するという、すべてをなげうって答えを待つんです、ついになんの答えもなし、さあどうするというんです、答えはないんです、ものみなと強いていう脱退無依活卓卓。

画像の出典  ミニ ひまわり/ 静岡市2005年7月
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by tozanji | 2005-07-13 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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