第八十則 龍牙過板


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 衆に示して云く、大音は声希れに、大器は晩成す。盛忙百門市の裏に向かって呆を佯り、化故千年の後を待って慢緩す、且らく道へ是れ如何なる底の人ぞ。

挙す、龍牙翠微に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。微云く、我が与めに禅板を過ごし来たれ。牙禅板を取って翠微に与ふ。微接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す要且つ祖師西来意無し。又臨済に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。済云く、我が与めに蒲団を将ち来たれ。牙蒲団を取って臨済に与ふ。済接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す要且つ祖師意無し。牙後に住院す。僧問ふ、和尚当時翠微と臨済とに祖意を問ふ、二尊宿明かすや也た未だしや。牙云く、明かすことは即ち明かす、要且つ祖師意無し。

 龍牙山の居遁禅師は洞山良价の嗣、翠微無学禅師は丹霞天然の嗣、臨済義玄禅師は黄檗希運の嗣、如何なるか是れ祖師西来意、達磨さんが西インドから来た、さあどういうこったと聞く、仏とは何か仏教如何と問うと同じです。能書き説明はうそです、学者説法百万だらやったも届かぬというより、かえって遠くて遠いんです。まずこのことを知って、坐禅です。参ずるという、仏教について八万四千巻のお経がおっかぶさっていては、単を示すの坐禅にならない、学者布教師なんの為になす、立身出世のためにという、これが利己を捨てて仏の道です、われとわが身心を救えと願って仏なんです。如何なるか祖師西来意、庭前の柏樹子と、仏とこれ一心に取りすがっていたものを、頼りの杖をとっ払うんです。失墜して木端微塵ですか、死んだものは二度と死なぬ、では救う必要がない、アッハッハなんという清々まっ平ら。どう死ぬか死体じゃしょうがない。如何なるか是祖師西来意、禅板(坐禅に用いる椅板)を取ってくれ、取って来ると、そいつ受け取って打つ、打つだけよけいですかアッハッハ。打つはすなわち打つに任す要且つ祖師意無し、そうです再三にわたりやっている、担板漢じゃないかって、たといおうむ返しもです、首くくる縄もなし年の暮れ、どうですか、祖師西来意あったが正解ですか、なかったが正解ですか。学者坊主美食豊満底にはそりゃ無関係ですよ。ついには得るんですか、頓知とはこんなもんかな-んだっていう、そりゃ死ぬ思いもせん話。

頌に云く、蒲団禅板龍牙に対す、何事ぞ機に当たって作家とならざる。未だ成褫して目下に明なることを意はず、流落して天涯に在らんとすることを恐る。虚空那んぞ剣を掛けん、星漢却って機を浮かぶ。不萌の草に香象を蔵することを解し、無底の籃に能く活蛇を著く。今日江湖何の生礙かあらん、通方の津渡に航車あり。

 蒲団禅板龍牙に対す、龍の牙を抜くんですか、そうしたらまるごと仏、アッハッハ打つことはすなわち打つに任す要且つ祖師意無しという、死人底ですか、大活現成ですか、機にあたって作家ですか。成褫という褫ははぐとか奪う、あるいは脱ぐ解くという、成就結果まあ解脱ですか。流落して天涯流れ星の天涯孤独ですか、貴人の流落ですか、ややこしいったら、どっち転んだって人間たった一人、虚空なんぞ剣を掛けんです。祖師西来意をひっかついで右往左往じゃない、星漢天の川です、織女牽牛だって年に一回は逢い引き、取り付く島もない、そうなあこの世から食み出しものだって、すんばらしいったらお宝かくの如く。底の抜けた籠に猛毒蛇ってね、ついに得てもって、打つことは便ち打つに任す要且つ祖師意無しと。どうですか今日まったくだれ一人とて仏教のぶの字もないんでしょう、でたらめ解説ばっかり、アッハッハさあわしんとこへおいで、一喝ぶっ食らわせてあげますよってね。まあそういうこった。
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by tozanji | 2005-07-18 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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