第八十六則 臨済大悟

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 衆に示して云く、銅頭鉄額天眼龍晴、雕嘴魚鰓熊心豹膽なるも、金剛剣下是れ計ること納れず。一籌すること得ず、甚麼と為てか此の如くなる。

挙す、臨済黄檗に問ふ、如何なるか仏法的的の大意。檗即ち打つ。是くの如きこと三度、乃ち檗を辞して大愚に見ゆ。愚問ふ、甚麼の処より来たる。黄檗より来たる。黄檗何の言句か有きし。済云く、某甲三たび仏法的的の大意を問ひ三度棒を喫す。知らず過ありや過なしや。愚云く、黄檗恁麼に老婆、爾が為に徹困なるを得たり、更に来たって有過無過を問ふ。済言下に大悟す。

 臨済院の義玄禅師は黄檗希運の嗣、臨済宗の祖。高安大愚禅師は伝不詳。これはまあ世に喧伝された、臨済西来意を問うて三たび打たれる話、臨済もよくぶんなぐったが、打たれると痛いと見える、こりゃたまらんというんで、辞し去って大愚に問う。なんという黄檗老婆親切、それをまたのこのこやって来て、とがありやなしやを問うとは、言下に大悟す。大悟すという破家散宅して天地宇宙そのものになっちまう、痛棒の意味がまったくよくわかるんです。大意とは思想分別じゃない、これといって天地宇宙ぶんなぐるやつ、自分という殻をぶち破る大事件なんです。今の世の人下世話解釈とはそりゃ違うです。おそらくこれを知る、いったい幾人いるか、皆無といっていい心細い限りです。いたずらに払拳棒喝として、自分も無茶苦茶人の一生を台無しにする。坊主だの師家だのこりゃ警察沙汰なんです。民事訴訟で一億ぐらいふんだくりゃちっとは省るですか。ほんにしょうがない、らしいものまね坊主の害悪、そりゃ曹洞宗猿芝居ってだけじゃないです。いえさ臨済銅頭鉄額熊鷹のくちばしもって、そんなことないです、臨済も黄檗も優しい、人に倍して痛感、傷つきやすい心根の人であったです。ただぶんなぐってどうだ、無位の真人面門に現ず、知慧愚痴般若に通ずとやったんではないんです、それを証拠にちゃんと大悟してるんです。花のほころびる如く、露柱の現れる如くですよ、お祭り騒ぎの柏陰禅師だって、ついには本来人です、唯我独尊自然に脱落です。もって受容如意ならん、宝蔵自ずから開けるんです。

頌に云く、九包の雛、千里の駒。真風籥を度し、霊機枢を発す。劈面に来たる時飛電急なり。迷雲破る処太陽孤なり。虎鬚を埒ず、見るや也た無しや。箇は是れ雄雄たる大丈夫。

 九包之雛九つの包み-やがて花開くんでしょう、を具えた鳳凰のひな、千里の駿馬ともに臨済を頌す。籥は風を送る管ですとさ、老子にある天地の間はそれ嚢籥の如し、ふいごで風を送るんですか、から取る。枢は門戸北斗の第一星、まあ天地の間にゆうらり突っ立つ勢い、でも言下に大悟すというこれ、一言の下に自分という殻ん中のごったくさふっ消えて、天地の間だけになっちまう、しかもそのあとなんのけれん味もないとは、さすがこれ臨済。迷雲破る太陽孤なり、さあ虎のひげをなでてみますかっていうんです、黄檗に三たび棒を喫しこれなんぞ、なんという老婆親切という、あっはっはどかん生まれちまったなあ、箇はこれ悠々たる大丈夫、そうですよ自分というそれ失せりゃいい、仏教だけは時代によらないんです。
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by tozanji | 2005-07-24 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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