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第九十四則 洞山不安

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 衆に示して云く、下、上を論ぜず、卑尊を動ぜず。能く己を摂して他に従うと雖も、未だ軽を以て重を労すべからず。四大不調の時如何が持養せん。

挙す、洞山不安。僧問ふ、和尚病む、還って病まざるものありや。山云く、有り。僧云うく、病まざるものは還って和尚を看るや否や。山云く、老僧他を看るに分あり。僧云く、和尚他を看る時如何。山云く、即ち病あることを見ず。

 青原下第五世洞山良价禅師、雲巌曇じょうの嗣、洞山不安四大不調ですから、病の床に伏す。下上を論ぜず、卑尊を動ぜずは、ものごとまさにかくあるべしの見本です。総理大臣を選んでおいて文句ばっかりの国民や、反対ばっかりの国会議員どもじゃ、そりゃ政治も国も不成立です、過ちは正すたって、たいていむかしは死を賭しての上のこってした、少しはこれを思えってね、軽輩の分際で重役を労するんじゃないよ、おまえさんの首ねっこに刃、そりゃ一言あるにはそういうこと。和尚病む還って病まざるものありや。答えがわかっていて聞くやつは万死に値する、頭の悪いやつはみなこれ、じゃ聞かなきゃいいんです。あっはっは学校の先生みなこれ、つまりろくなもな育たない、知識で人を殺す、殺人事件ですな、少なくとも教育=必要悪ぐらいの思想あってしかるべきです。どうですか病まざるものありや。山云く、あり。その病まざるものはかえって和尚を見るや否や。ちらともかじると答えがある、倒退三千、このばかったれぶっ飛ばすにいいです、山云く、老僧他を見るに分あり、見るものはよう見ているよ、ぶっとばしてるんですよ、病にあらざる。そいつに気がつかない、寒毛卓立だってのにさ。和尚他を見る時如何、間抜けな問い、うっふだれを見たって病あることを見ず、そうなんですよこれ、どんなしょ-もねえのでも仏、みな大悟徹底底なんです、とやこうするうち違ってるから、それ違うよという、これ仏の常道です、ここはおまえさんの病ももと不要という痛棒ですか。

頌に云く、臭皮袋を卸却し、赤肉団を拈転す。当頭鼻孔正しく、直下髑髏乾く。老医従来の癖を見ず、小子相看して向近すること難し。野水痩する時秋潦退き、白雲絶ゆる処旧山寒し。須らく剿絶すべし、蹣捍すること莫れ。無功を転尽して伊位に就く、孤標汝と盤を同じうせず。

 臭皮袋という世間ものみなですか、赤肉団貪嗔痴ですか、まずもってこれに気がつく、ついでそいつを脱しようとする、でなきゃ仏教は始まらない、如何なるか是れ仏の真髄。汝の問うは真髄にはあらず皮袋なり。仏を問うそいつが臭皮袋じゃしょうがない、総じてこれを心病となす、これを正しこれを脱しして鼻孔正しくどくろ乾く、まあさ健康になって下さいってこと。せっかく老医は西欧流分析をもって、点滴だの注射だのしない、そうさおまえさん健康だよってね、伊=彼が云うならそっくり健康、小子向近すること難し。どうですこれ。秋遼秋の水たまり消え、白雲絶えて旧山寒し、仏法として要らん手をさしのべないんです、断崖絶壁です。さあ心地を巣滅して下さい、まんかん字違うんですが、馬鹿にするなってこと、病でぼけたんだなんてのはもっての外、実にもって無功を転じている。洞山不安、同じ盤上に碁をうってるんじゃないよってね。まあそういったとこ。そうですよ、なんのための仏教か根本に問い直して下さい。

画像の出典  富士山。(右上が北) 撮影は5月だが、まだ雪が多く残っている。
左上の山脈は身延山地、右上の農地は甲府盆地。
2001‐05‐27、ISS(国際宇宙ステーション)より撮影。
参照
by tozanji | 2005-08-17 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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