六、無無明亦無無明尽

六、無無明亦無無明尽

無明もなく無明の尽きることもなし、仏教以外にこれを云い得るはなく、無明妄想迷いです、ぱ-らみ-た-かくの如くに開示すると、まったく無明失せて太虚の洞然として明白という、乱雲消えてすっきり大空ですか、だったらなんで無明の尽きることなしという、悟り終わって思想観念まったく同じなんですよ、それもと個人のものじゃないです、一個の上に去来する種々雑多ですか、それを取っ捕まってこんぐらかりこんぐろまりっとしないだけなんです、無心とは脳死ではない、妄想が起こらなくなったんじゃない、まっただ中にあって無心なんです、これをだれあって知らない。

君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、はいこれができますか、たいていの人妄想を排除し、真実を求める、これこのものが真相であり、まさにどっぷり浸けを知らない、もとこのとおりを200%使う以外に道はないんです、これを知るを大悟徹底すという。

オウムのように妄想はいかん、悪いやつはサリンを撒いて殺せをしない、キリスト教他、オウムの比ではないことをさんざんやって来た、どういうことかというと、是非善悪による独善です、一多の際です、いいことしい、選良という、つまりまったくの邪教なんです、他の諸宗また目くそ鼻くそ。

乃至無老死亦無老死尽老いて死ぬもともなく老いて死ぬことの尽きることもなし、自分というわしなんぞ三つのがきの自意識ですか、しかも七十じっさの耳は遠くなる足腰痛む、そのうち棺桶です、でもって若いおねえちゃんだ-い好きってわけです、どうしようもないですな。

あなたはだあれ、知らないと花は答える、達磨さんとまったく同じ、それゆえ花は見れども飽かぬ、もし花がわたしは菊で、くだまきという、いつだれが植えて肥やしはどうで、日照時間は云々、品評会に三等、上を見れば切りもなし、下を見れば切りもなし、まあこのへんでなと云い出したらそれっきりです、人間の知っているという、嘘です、醜いんですよ。
でなきゃ秦の始皇帝のように不老長寿の仙薬ですか。


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画像  清水公園で鳩に餌を与える少女と老婆:撮影2004年8月29日
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by tozanji | 2005-09-05 00:00 | 提唱心経


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