八、依般若波羅蜜多故

八、依般若波羅蜜多故

心無け礙彼岸に渡りきって、心という無心でしょう、自分の取り柄がないんです、自分という架空請求、もと彼岸です、ぜんたいのものをよこしまにしていた、明け渡せばけい礙無しです。
彼岸に渡れば、彼岸が此岸です、坐って坐り抜いてこれを得たならば、汝これを得たりよろしくよく保護すべし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、類して等しからず、混ずる時んば処を知る、よくよくまた坐って下さい、彼岸此岸就中そうは問屋が卸さないってことありますよ、即ちようやく修行の途に就いたんです。

無け礙故無有恐怖恐怖が自分という思い込みであることを知る、これ目安になりますか、悟ったというのなら、真夜中の山中に一人きりとか、アッハッハ試してみりゃいいですか。

遠離一切顛倒夢想究境ねはん一切の顛倒夢想を遠く離れ、究境にいるば-なねはんである。
主客転倒、主である自分が客である思想に平身低頭ですか、共産主義だの宗教だの哲学だ歴史だ科学だ真実だという、その奴隷になって走り回っています、これを声色の奴卑と馳走すと云う。
これを遠く離れること=仏教です。
殺し文句を使い、あるいは思想の交通整理、いいことはいいから行なえ、信じろという、それは同じ奴隷のうち、せいぜいが気違いを作るだけです、集団気違い=人類史ですか。
自分という自縄自縛の縄即ち顛倒夢想を離れる=自分失せる=にいるば-ななんです、仏に帰るほどけば仏。


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画像  常磐公園から青葉公園(青葉通り)を望む。写真奥・正面の建物は静岡市役所:撮影2004年8月29日
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by tozanji | 2005-09-07 00:00 | 提唱心経


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