首章

提唱伝光録

首章
釈迦牟尼仏、明星を見て悟道して日はく、我と大地有情と同時に成道す。


お釈迦さまはシッタ-ルタ太子、王子として生まれて、深夜王舎城を出でて、檀特山に於て断髪す、出家求道です、苦行六年、ついに金剛座上に坐して蛛網を眉間に入れ、鵲巣を頂上に安じて、葦、坐をとほしとあります、金剛座結跏趺坐ですよ、がっしりと坐ってというぐらい、眉間にくもの巣が張った、頭上にかささぎが巣を作った、あしが坐を通しという、そうして三十歳臘月十二月八日未明、明星の出でしとき、忽ち悟道、最初獅子吼するにこの言あり。
我と大地有情と同時成道。
お城の東西南北の門に、生まれた子、死んで行く人、病気の人、老いた人、生老病死苦を見る、人はなぜ苦しまねばならぬか、苦しみから解放される方法はないのかという、これが出家の原因であった。諸方を訪ねる、AがAと云えばじきにAになる、よし卒業じゃ、これからは二人でAをやって行こうという、だがなぜ苦しまねばならぬか、これをどうしたらいいという、最初の疑問に答えが出なかった。Bを訪ねる、また云うとおりにBに成る、だが答えが出ない、参ずる処を参じ尽くし、断食等難行苦行も、いっときの安楽があるだけだ、ついに刀折れ矢尽きて、ガンジス河の辺り、菩提樹下に坐す。
仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘るるなり。仏教を知らなかったお釈迦さまは、自己を習う他になく、これが大力量、他を卒業するのに莫直去、なをかつこれは違うという、ついに求めるものの得られぬのを知る。
これ後の達磨さんから、我らに至るまでまったく同じです、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏となるなりと、これ。ついに刀折れ矢尽きるんです、ようやく坐になるんです、只管打坐まったくの手つかず。
すると自己を忘れる、忘我ということが起こる。忘我する自分に気がつかない、たまたま明星一見です。はあっと一念起こる。
我と有情と悉皆成仏。
自分という身心無くものみなです、すべての問題が解決済みです、もとこの通りであったという安心落着です。
仏教の創始です。しかしより以来、四十九年、一日も独居することなく、暫時も衆の為に、説法せざることなし、一衣一鉢欠くることなし。三百六十会、時々に説法す、終に正法眼蔵を摩訶迦葉に付嘱す。流転して今に至る。はい、まことに実にこのとおりです。

一枝秀出す老梅樹、荊棘時と与に築著し来たる

一枝秀出す老梅樹、まことに釈尊のほかに人の本来のありようを示した人はなかったです、苦を云い終末を云い、現実の悲惨や矛盾をついて、だからこうすべきだ、だから神を信ぜよ、すれば救われる底の、新興宗教も他の一神教も五十歩百歩です、迷妄から出て迷妄へ入る、実になんにもならないことは百害あって一利なし。ただひとり釈尊のみ開示して今に至る。
荊棘時とともに築著し来たる、世情流布達磨さんを毒殺しようとする仏教ではなく、これは求道の人にとって、だれはどうしたかれの因縁はという、無字の公案臨済と曹洞の別などいう、あるいは微妙の周辺にあっても、とやこうするそれです、捨て去るのに大苦労します、この時釈尊の、なをかつ初発心を満足せぬという、自己を習う真正直を思い出して下さい。

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by tozanji | 2005-09-11 00:00 | 伝光録


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