第一章

第一章

第一祖、摩訶迦葉尊者、因に世尊拈華瞬目し、迦葉破顔微少す。世尊日はく、吾に正法眼蔵ねはん妙心有り、摩訶迦葉に付嘱す。


尊者生まれる時、金光室に満ちて、光ことごとく尊者の口に入る、よりて飲光と名付く。多子塔(ヴエ-シャ-リ西北三里に在り)前にして、初めて世尊に値う、世尊善来比丘と呼びたまふに、鬚髪すみやかに落ち、袈裟体に掛かる。すなわち正法眼蔵をもって付し、十二頭陀を行ずという、十二の規範となる修行禁欲の法です、十二時中空しく過ごさず、これより釈尊坐を分かつ、以来今に至るまで、衆会の上座たり。釈迦牟尼仏一会の上座たるのみにあらず、過去諸仏の一会にも不退の上座たり。霊山会上八万衆前にして、世尊拈華瞬目す、花をとって、目をぱちっとやったんです、皆心を知らず、黙然右往左往する中に、摩訶迦葉独り破顔微少す、ふっと笑ったんです。世尊日く、吾に正法眼蔵ねはん妙心、円明無相の法門あり、悉く大迦葉に付嘱すと。
いいですかこれ、花をとって瞬目、どうして八万大衆右往左往ですか、黙然なんですか、なぜに迦葉独り破顔微少なんですか、なぜによって正法眼蔵ねはん妙心悉く付嘱するんですか。まずもって初心に帰ってこれを思い、これを知って下さい、他にはまったくないんです、すると急転直下します、多子塔前においても、たった今のあなたにも、正法眼蔵ねはん妙心が付嘱します。はいこのとおりかくの如く。なぜに十二頭陀を行じ、十二時中身を横たえることもせず、形憔悴し衣は破れして、初めてこれを得るんですか。よくよく見てとって下さい。ただに他なくまっしぐらに得る、大迦葉の右に出るものなく、末孫おんぼろけのわしに至るまで、跪拝してちりっぱ一つ挟むことないんです。
大衆右往左往いったい何のためにというんですか、あるいは仏といい、座禅と見性といい、たとい何かあると思っているんですか、修行という世のため人のためなんですか。ちらともあれば破顔微少しないんです。ちらともなけりゃ、なんにもならんですか、いいえある分役に立たないんです。そんなの人間ではないという、もと人間であるのに、その上の人間なぞいらんです。一器の水が一器に漏れなく移るようにという、そんな姑息な一子相伝ではないこと、よくよく見て下さい。釈尊がなにをもって、迦葉に付嘱したんですか。なあんだもとなんにもない、そんじゃそりゃ当然、いえ付嘱することも不要じゃないかという、はいそのとおりです、それであなた満足できますか。たとい二千年を金剛不壊ですか。はい、ないものは壊れんですよ。

知るべし、雲谷幽深の処、更に霊松の歳寒を歴る有り。
こりゃまったくこの通りと他いいようがなく、拈提から抜粋します、ただ霊山会上のみ所住処というに非ず、あに梵漢本朝も亦漏れるることあらんや。如来の正法流転して一毫髪も欠くることなし。若ししかればこの会は、これ霊山会たるべし。ただ諸人の精進と不精進とに依りて、諸仏、頭出頭没せるのみなり。今日もしきりに弁道し、子細に通徹せば、釈尊直きに出世なり。ただ汝ら自己不明に依りて釈尊そのかみ入滅す、汝らすでに仏子たり、何ぞ仏を殺すべけんや。故に速やかに弁道して慈父と相見すべし、よのつね釈迦老漢、汝らとともに行住坐臥し、汝らとともに言語伺候して、一時もあい離るることなし。ゆえに仏子という。
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by tozanji | 2005-09-13 09:22 | 伝光録


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