第十四章

第十四章

第十四祖、龍樹尊者、因みに十三祖龍王の請に赴き、如意珠を受く。師問ひて日く、此珠は世中の至宝なり、是れ有相なるや無相なるや。祖日く、汝只有相無相を知りて、此珠の有相にも非ず無相にも非ざるうを知らず。亦未だ此珠の珠に非ざるを知らず。師聞きて深悟す。


十三祖受度伝法して、西インドに至る、彼に太子あり、雲自在と名ずく、尊者を仰いで宮中に請して供養す。尊者日く、如来に教えあり、沙門は国王大臣権勢の家に親近することを得ざれと、太子よって山中に一の石窟あるを示す。尊者おもむくに大蛇あり、その身を盤繞す、尊者為に三帰依を説く、盤繞終わりて去る。石窟に到り一老人あり、素服にして出でて合唱問訊す。尊者日く、汝何れの所にか止どまる。答えて日く、我れむかしかつて比丘たりし時、多く寂静を楽しみて山林に隠居す。初学の比丘来たり、益を請ふ、我れ応答に煩ひて嗔恨の思いをなす。命終わりて蛇身に堕す、すでに千歳なり、今戒法を聞くを得たり、故に来たりて謝するのみ。尊者問いて日く、この山に更に何人かある。日く、北へ十里にして大樹あり、五百の大龍を隠す、その王を龍樹と名ずく。常に龍衆のために説法す、我れも亦聴受するのみ。尊者ついに徒衆とともに彼に至る。龍樹、尊者を迎えて日く、深山孤寂にして龍蠎の居する所なり、大聖至尊なんぞ神足をまげる。尊者日く、我れ至尊に非ず、来たりて賢者を訪ふ。龍樹黙然して日く、此師決定性を得て道眼を明きらむるや否や、是れ大聖にして真乗を継ぐや否や。尊者日く、汝心に語るといえども我れすでに知る、ただ出家を弁ぜよ、なんぞ我が聖不聖を慮んばかるや。龍樹聞き終わりて悔謝出家す。及び五百の龍衆ともに具を受く、随い四年をへるに、尊者龍王の請に赴むき如意珠を奉られる、これ世中の至宝なり、乃至師聞きて深悟す。
龍樹は異道を学し神通を具す、常に竜宮に行き七仏の経書を見るという、過去七仏といわれるこれ、すなわち経の心を知り、五百の龍衆を化す、龍衆という大権威なんでしょう、これみな等学の菩薩なりという、前仏の委嘱を受け諸経を安置す、もしお釈迦さまの化縁尽きても、竜宮に蔵まるべしと。かくのごとくの大人、しかも外道なりという、見られる通りの因縁、これはまさに外道という、思想言語上の発展です、たとい大発展も、深山孤独に住まわねば、はた迷惑害はなはだ。納りつくはずが、際限もなく広がるんです、無心という、五蘊皆空のこれが、うるさったく大発展する。山林の寂静に隠居して、初学を煩わしく嗔をもって遠ざける、なぜか、仏という寂静という別ものを持つからです、担いで帰れという、そいつの煩わしさに、自ら隠居するんです、では龍樹も五百の龍衆も同じです、外道あって仏道あってじゃないんです、仏道しかない、これをたいていの人知らない、もっての外のこってすよ、なぜ外道というか、周辺をうろつくからです、いたずらに騒がしい、世を騒がせて悦に入っているほどは、人畜無害です、さすがに龍樹はその害はなはだを知る、ゆえに隠れ住んで龍蠎なんです。
尊者は決定性を得て道眼を明むるや否や、これ大聖にして真乗を継ぐや否や、いいですかこの一目瞭然事、たといいかに碩学神通もこうした塩梅です、ただ出家を弁ぜよ、なんぞ我が聖不聖をおもんばかるやと云われて、省する、ここがさすが龍樹、まさに一家の主です。
大般若理趣分あんなもなさっぱり感心せんなあ、もし龍樹の作であったら、わしは軽蔑します。

孤光霊廓常に昧ます無し、如意摩尼分照し来たる。

如意珠これ有相なりや無相なりやと問う、未だ分別理解の域を超えぬこと一目瞭然なんです、有相と応ずればこう答え、無相と応ずればこう答えるという、いったいそれは何か、それによって世中の至宝も得ず、身心の摩尼宝珠をも得ず、ただ単に解釈の際限もない発展があるだけだ、見れども見えずを、彼が際限もなしを破って、尊者汝有相無相を知って、この珠有相にもあらず無相にもあらずを知らず、未だ此の珠の珠に非ざることを知らずと、かつて見えていたはおのれが妄念のみであったのを知る、摩尼宝珠如来蔵裏に親しく収攬す。百千万の経巻露とふっ消えるんです。
c0015568_13404683.jpg


おわび
2005年9月以来、編集ができませんでした。当ブログの閲覧を毎日お楽しみ戴いております皆様方には大変ご迷惑をおかけ致しました。
尚、執筆者からの原稿は毎日あがってきており2ヶ月分が溜まっております。これらは順次アップデートさせて戴きますので今後ともどうぞ宜しくお願い致します。


おしらせ
当ブログは、エキサイト・ブログアドバンス(有料サービス)に切り替えました。完成度の高いフェブページをご提供してゆきたいと存じます。
今後とも宜しくお願い致します。
編集者・拝

[PR]
by tozanji | 2005-12-09 00:00 | 伝光録


<< 第十五章 第十三章 >>