第十六章

第十六章

第十六祖、羅篌羅多尊者、迦那提婆に執侍し、宿因を聞きて感悟す。


宿因というは、迦那提婆尊者行化のついで、長者あり、梵摩浄徳という。一日園樹に大耳を生ず、大きなきのこで甚だ美味であった、長者と二子の羅篌羅多のみ食す、他は見ること能はず。尊者日く、汝が家かつて一比丘を供養す、かの比丘道眼未だ明きらめず、空しく信施に霑うを以て、報ゆるに木菌となる。汝と子の精誠によりこれを受くと、乃至その子出家す。かつて如来この子を記す、すなわち十六祖に列す。今はすでに比丘、僧を供養するなどはなくなった、お経を読んだぜに、葬式の給料でしかない、二、三百年来お布施、信施をいいことに、道眼を明きらめず、手前勝手の猿芝居、威儀即仏法だの、坊主は偉いんだから坊主だなど、集団自閉症の末に、托鉢行も失せ、日本人のいい加減さと、せいぜいが観光業によって、なんとなく面目を保つ。人はそっぽ向いて、いわば賤業だ。この項すでに説くほどのことはない。だが道眼を明きらめずは、大罪を犯すに似たり、仏の名を騙り、人の額に汗した所のものをかすめ取って、経を誦んでうそぶき歩く、盗人殺人よりも悪し、なんとなれば彼は己れの悪を知れればなりと、至道無難禅師のこれを思い知ること、出家ですか、お寺の子じゃ無理だ、死ぬだけがたった一つの道と知って、死体は罪を免れると知って、大死一番大活現成です、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、あるいは、月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかなと。出家の根幹をなすこれ、ついにすたれて久しいか、いえちゃんと伝わるものは伝わっておりますよ。

惜しいかな道眼清白ならず、自らに惑ひ他に酬ひて報未だ休せず。

まったく死んでのちまで大耳だなど有心のわざというのです、それじゃ流転三界中恩愛不能断危恩入無為真実報恩者という、出家剃髪の偈はどうなるんだ、たとい良寛坊主、勤倹貯蓄の家門にぬうっと手を出す、うちは額に汗して働かんやつに、一文の施しもせんといって、ぴっしゃりおっぱらう、そいつを良寛忘れ惚けて、番たびぬうっと手を。あっはっは共産主義が聞いたら目を回すやつ。人間なんの為に生きるか、そりゃ無条件生きにきまってます、病来たら病がよろしく、地震来たら地震がよろしく、その良寛さん、十兵衛という性悪のやつがいて、がなって水ぶっかける、ひやあたまげて逃げ出す、人が面白がって、十兵衛だやる、ひやあ逃げ出す、何度でもやってたそうです、地震来たれば地震がよろしくと、大言壮語していったいこりゃなんだと、世間の人はたいてい云う、とにかく口開けば八方のお偉いさんが、さまざまに教えてくれる、わっはっはしんどいこった、とんぼ一匹そんなんで、御託でもって、空を飛んでいるわけじゃないってのにさ。

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by tozanji | 2005-12-11 00:00 | 伝光録


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