第二十三章

第二十三章

第二十三祖、鶴勒那尊者、因みに摩奴羅尊者示して日く、我れ無上の大法宝有り、汝当さに聴受して未来際を化すべし。師聞きて契悟す。


師月支国の人なり、姓は婆羅門、父は千勝母は金光、子なきをもって、仏金ん幢に祈る、須弥山上に一の神童あり、金環を持して我れ来たれりと云うと夢に見えて、孕む。七歳にして、民間の淫祀するを見て、廟に入り、汝妄りに禍福を起こし人を幻惑すと叱す、云いおわりて廟忽然として壊す。郷党これを聖子とす。二十二歳出家、三十にして摩奴羅尊者に遇う。鶴の類師に従う、よって梵漢引き合わせて鶴勒那という。師尊者に問いて日く、我れ何の縁ありてか鶴衆を感ず。尊者日く、汝かつて比丘となる、五百の衆あり、徳薄きをもって、汝生を受けるとき、羽族となりて従うと。師聞きて、何の方便をもってか、彼をして解脱せしめんと云う、尊者日く、我に無上の大法宝あり、乃至契悟す。金環を持して生まれるという、神童という頭がいいんでしょう、世の中頭脳明敏は多種あります、けれども無節操で、自分儲かるだけにこれを用いる、今の世とくに一般的です、でもよくみると、諸方面にそうでない人がいます、政治家にだって何人もいます、七歳にして淫祀を破壊するほどに、まっすぐというと伝説の域ですが、正義また人のためには、自らを顧みないほどの人がいます、しかもマスコミ一般大衆はかえってそれを信じない、福徳薄い羽族に生まれるしかあいですか、でもこれせっかく正法眼蔵ありながら、たとい不信であり、行なうにはそっぽ向く人ですか、中下は多聞なれども、多く信ぜずですか、たいていこれ自分にとって不幸です、よって他を不幸にする。サイレントマジョリティを信じてよい国と、そうでない国と、これはまったく重大問題です。ともあれ、現代であっても正法は行なわれ、たとい不信の人であっても、二、三すれば信じる、初めて信の大なることを知る、そうかというんです、ではやってみよう、今生あるかぎり、仏の道という、わしはそういう例を数多く見る、無上の幸せです、いいやわしみたいな者が、申し訳ないと思うほどに。
粉雪雲に挿しはさむ巨岳の雪、純清絶点青天に異れり。

鶴勒那大和尚を頌するに、まさにもってかくの如くですが、自然の風景にこれあれば、人間の風景にもまさにあるべきです、もしこういう人に遭遇すれば、ああだこうだとやこうにこと雲散霧消です、これというこの事を知らず、この人というその心を知らず、一生をニヒルの狸右往左往の犬にて暮らす、なんというみっともない、傍迷惑、そりゃ次の世とうてい人間には生まれんですか、だっても今の世、姿形人間に似ているだけの、蚤の睾丸ほどの赤い血もなく、知らずにする情けないたら残酷無惨です、はい、ただちにこれを免れて下さい、そういう自分を観察しない方法です、見ている自分なければゼロです、もとゼロです、急転直下仏です、救われるということ、座禅と見性という、科学理論なんかありっこないです、帰依であり救われるという、ただこれ一つこと、感動のない冷静などないんです、あっはっははい真人間に返って下さい。
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by tozanji | 2005-12-18 00:00 | 伝光録


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