第二十六章

第二十六章

第二十六祖、不如蜜多尊者、太子たりし時、二十五祖問いて日く、汝出家せんと欲す、当に何事をか為す。師日く、我れ若し出家せば別事を為さず。祖日く、何事をか為さず。師日く、俗事を為さず。祖日く、当に何事をか為す。師日く、当に仏事を為す。祖日く、太子の智慧天至なり、必ずや諸聖の降迹ならん。祖即ち出家を許す。


師は南インド得勝王の太子なり、王祖に問いて日く、師が伝ふる所の者、まさに是れ何の宗なるや。祖日く、我が伝うるもの即ち是れ仏の宗なり。王日く、仏滅してすでに二千百載なり、師は誰より得たるや。祖日く、摩訶迦葉親しく仏印を受け、展転して二十四祖師子尊者に至る。我れ彼より得たり。王日く、余聞く、師子比丘は刑戮を免れること能はずと、何ぞよく法を後人に伝えん。祖日く、我が師難未だ起こらざる時、密かに我れに信衣法偈を授けて、もって師承を顯はす。王日く、その衣何くにか在る。祖即ち嚢中より衣を出して王に示す。王命じて之を焚かしむ。五色相鮮やかにして、薪尽きてももとの如し。王即ち追悔して礼を致す。師子の真嗣なる、太子ついに出家を求む。祖日く、汝出家せんと欲す。まさに何事をか為すべき、乃至祖出家を許す。燃しても燃えない、石の辺から取ろうにも取れない、そんな便利明確な信衣があればいいですか、信衣という、形として印すことあったとて、嗣法しなけりゃ意味がない、仏仏に単伝する、永遠不変です、これを受けるかと云われて、受け得るものは受けるんです、紙ぺらの嗣法など、たとい千拝遙拝も血脈だろうが、一文の価値もないです、そんな阿呆なこと、長年やって来てとうとうぼろくずです、宗門というなんの取り柄もないです、かったるいっきりだ。たとい燃しても燃えず、五相鮮明、宗門坊主ども右往左往も、歴然として、大法は受け継がれております、たとい人類滅亡しようが、仏の道は続くんです。このころインドでは、ようやく外道に乗っ取られようとする、法難相次ぐんでしょう、いずれ身から出た錆で、仏教という徒党を組み、利権争い、いえさ世俗の垢がたまるんです、それに一般が反発する、うんざりするんです、明治の廃仏棄釈もそうですか、今の仏教離れは、坊主自身による、これどうしようもないです。もっとも仏教の、噛み難く嚼し難いことは、じきに信ずれば救われる底の、安易さ人はこうあるべきの猿真似に取って代わります、結果毒にも薬にもならんですか、百害あって一利なしですか。何事かなす、俗事をなさずという、俗と仏と如何と問うまえに、これが貴重品を尊重するんですか、まさに仏事をなすと、その智慧天の至るなり、必ずや諸聖の降迹なりと、はいそのようにこの事顯現して下さい、一騎当千も日常茶飯事ですよ、無心なればはいかくの如し。

本地平常寸草無し、宗風何れの処にか按排を作さん。

大学院をやめて出家した弟子が、いいことをしたいというかぎりは、仏教にならんというのを、どうしてもいいことをしたい、仏教を学んで世のため人のため、いいえ行ない清まして、この我が身心をという、生きたいという、いえ立派に生きたいという、もしくはそれを取ったら、自分はどうしたらよいかわからないと云う、いいことしいに自分がない、行処がない、淋しいし不安だしという、そりゃちっとは坐った効果あったか、はい、いいことするんならどっか他へ行ってくれ、しゃばへ舞い戻るか、うちじゃそんなんいらんで、というと、他たって行く処がない、しゃばだろうが同じだという。ここにして経を説く、無心という無眼耳鼻舌身意という、自分がまったくないことを説く、そのお経を学びながら、生きたい、いっぱしになりたい学者が、仏教に至るはずはない、無所得故という、元の木阿弥なんにもないに帰る、ニイルバ-ナは、生きようじゃない捨てる、大死一番する外に方法がないこと。いいことしいという爪から先じゃない、ぜんたいだ、寸草じゃないこれが平地と。何れのところにか按配をなさん、いいか捨てなきゃ得られん、淋しいどうもならん、それが入り口。

c0015568_2254455.jpg

[PR]
by tozanji | 2005-12-21 00:00 | 伝光録


<< 第二十七章 第二十五章 >>