第二十九章

第二十九章

第二十九祖、大祖大師、二十八祖に参持す。一日祖に告げて日く、我れ既に諸縁を息む。祖日く、断滅と成り去ること莫しや否や。師日く、断滅と成らず。祖日く、何を以て験と為す。師日く、了了として常に知る、故に云うことも及ぶべからず。祖日、此れは是れ諸仏所証の心体、更に疑うこと勿れ。


師姓は姫氏、父は寂、未だ子なく、常に思う、わが家善をなす、あに子なからしめんやと、一夕異光あり、室を照らす、その母よって孕む。照室の瑞をもって光と名づく。幼より志群を抜き、書を読み家産を事とせず。山水に遊び、嘆じて日く、孔老の教えは礼術の風紀なり、莊易の書は未だ妙理を尽くさず。龍門香山の宝静禅師について出家す。あまねく大小乗の義を学す。一日仏書般若を見て、超然として自得す。昼夜坐して八載を経しに、神人告げて日く、大道遙かなるに非ず、汝それ南せよと。神光と改名す、その頂骨五峰の秀出するが如く、したがい嵩山小林寺に到り、達磨大師に見ゆ。大通二年十二月九日、大師入室を許さず。その夜大いに雪降る。雪中に明けるを待つ。積雪腰を埋め、寒気骨に徹る。乃至、自ら利刀をとりて左臂を断ず。大師是れ法器なりと知って日く、諸仏道を求む、法の為に形を忘る、汝臂を断つ、求むること亦可なること在り。師ために名をかえて慧可と日う。ついに入室を許す、左右に給仕して八載、有る時師、大師に問うて日く、諸仏の法印得て聞くべしや。大師日く、諸仏の法印は人より得るにあらず。ある時示して日く、外諸縁を息め、内心喘ぐことなく、心墻壁の如くにして以て道に入るべし。大師ただその非を遮り、ために無念の心体を説かず。ある時大師に侍して、小室峰(嵩山の西峰)に登る、大師問う、道何の方に向かい去る。師日く、請ふ、直に進前せば是なり。大師日く、若し直きに進まば一歩を移すことを得ず。師聞きて契悟す。ある時大師に告げて日く、我れ既に諸縁を息む、乃至、さらに疑うことなし。
われ既に諸縁を息むという、左臂を切って出家沙門のこれ、ついに円成するんです、諸縁を放捨し、飲食節有りと、普勧坐禅儀にあるように、一歩禅堂に入れば、世の中の暮らしというんですか、あれこれ全般を離れて、わずかに身心を養う、本来を得る、もとのありように立ち返るこれです、それができたというんです、坐って真似事ではない、本来事これ。大師日く、断滅と成り去ること莫しや否や、思想考え方として、ちらとも残りあればこれです、無明無しあって無明の尽くる無しを知らないんです、そうですよ世の中諸縁のまっただ中なんです、しかも諸縁を息む、面白いんでしょうこれ、まさにこれを知らざれば、仏法なし、仏法としてちらよもあれば、諸縁対仏法です、すなわちこの事を得て下さい。大師日く、では何を以て験すと、諸縁有象無象と同じかと問う、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば所を知ると、師日く、了了として常に知る、故に言うことも及ぶべからず。大師日く、これはこれ諸仏の心体、さらに疑うことなかれと。

空朗朗地縁思尽き、了了惺惺として常に廓明たり。

大祖神光慧可大師が、このように廓明了了、空朗諸縁尽きはてて、法を継ぎよってもって今に到る、師法を僧さん(王に粲)に付してのち、都辺に於て随喜説法す、四衆帰依すと、三十年におよび、あるいは諸の酒肆に入り、屠門を過ぎり、街談を習い、厮役にしたがうとある、酒屋へ入ったり、肉を食らったり、にぎやかな街をうろつき、雑多な人々といっしょになる、坊主はお経師家は説法など、らしくの形姿を破りすてて、むきだしに市井を歩く、どうですか他仏如来としてないんですよ、ついに法師和尚の類に、謗りを受けて獄中に死す、あっぱれ天下泰平です、いいですか、ほんとうにこれを得て下さい、お悟り虫では、そりゃなんにもならんです。

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by tozanji | 2005-12-24 00:00 | 伝光録


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