第三十二章

第三十二章

第三十二祖大満禅師、黄梅路上に於て三十一祖に逢う。祖問いて日く、汝何の姓なる。師日く、性は即ち有れども是れ常の姓にあらず。祖日く、是れ何の姓ぞ。師日く、是れ仏性なり。祖日く、汝姓無きや。師日く、性は空なるが故に無し。祖黙して其の器なるを識り、法衣を伝付す。


師はき州黄梅県の人。先に破頭山の栽松道人たり。かつて四祖に請うて日く、法道得て聞きつべしや。祖日く、汝すでに老いたり、若し聞くことを得るとも、よく化を広めんや。若し再来せば吾なを汝を待つべしと。即ち去りて水辺に往いて、女の衣を洗うを見て、礼して日く、寄宿し得てんや否や。乃至女一子を生む、不詳の子とて濁港の中に捨てる。流れに濡れることなし、神仏護持して七日損せず。母これを見て養う、長じて母とともに乞食す。人呼んで無姓児という。智者ありていう、この子七種の相を欠きて如来に及ばずと。黄梅路上に四祖の出遊に会う。即ち骨相奇秀常童に異なるを見て、問いて日く、汝何の姓ぞ。乃至黙してその法器なるを知り、母に請して出家せしむ、時に七歳なり。よって伝法出家せしより、十二時中一時も蒲団にさえらることなし、余務欠くことなしと雖も、かくの如く坐し来る。上元二年、徒に示して日く、吾事すでに畢んぬ、すなわち逝くべしと云いて、坐化す。
現代人からみると、理不尽というか奇異な伝えですが、たといどうなろうと、そのことわりをまっとうするんです、寸分も忽せにせぬ所が見えます、どうかこれを見習って下さい。さまざまな人に接し、そのありようを見るに、すんなりと行く人、滞り七転八倒の人、あるいはまったく無縁の人、せっかく開示しながらどうにもこうにもの人、はたして宿縁のなせるが如くと、いえたとい今生も、蒔いた種は刈らんが如きです、必ずやその結果を得る、これをもって念じて、ついには仏です、如来来たるが如しと、これを観じて下さい、故は如何、仏教に一微塵も過ちはないんです、他なしにこうあります。

月明らかに水潔く秋天浄し、豈片雲の大清に点ずる有らんや。

たとい親不孝傍迷惑、云う甲斐もなやのわしみたいなものでも、ついにそれを忘れ切ることができます、悪業の中の悪業出家非行道とて、自分が自分を許されぬ、ついにはその自分が失せるんです、すると如来仏という、もとこれのみがあって、私無し、私というあったかなかったか、夢にも見ないほどの、たかが百年足らずです、願くはもう一度生まれ変わって、若くして化を広めたいと思う、それはなんとも滞って、この世この身心を徒労に用いる歳月の長かったこと、未だに一人の跡継ぎをも見いだし得ないことです、とにかくあっはっは死ぬまで生きるんですか、暁幸を待つ。

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by tozanji | 2005-12-27 00:00 | 伝光録


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