第三十三章

第三十三章

第三十三祖、大鑑禅師。師黄梅の碓坊に在りて服労す。大満禅師有時夜間に碓坊に入りて示して日く、米白まれりや。師日く、白まるも未だ篩ふこと有らざる在り。満杖を以て臼を打つこと三下す。師箕の米を以て三たび簸りて入室す。


師姓は盧氏、その先は范陽の人、父は武徳中に南海の新州に左遷せられ、ついに喪す。その母志を守りて養育す。長ずるに及んでもっとも貧なり、師樵して以て給す。一日薪を負いて市中に至る。客の金剛経を読むを聞き、応無所住而生其心というに到りて感悟す。師その客に問いて日く、これは何の経ぞ。客日く、これは金剛経と名く、黄梅の忍大師に得たり。師急に母に告げて、法の為に師を尋るの意を以てす。尼無尽蔵常にねはん経を読む。師しばらく聞きて、ためにその義を解説す。尼巻を取りて字を問う、師日く、字は知らず。尼驚嘆して、能はこれ有道の人なり、宜しく請して供養すべしと。人競い来たりて礼す。宝林古寺あり、師をして住せしむ、四衆雲集してにわかに宝坊となる。一日自ら念じて日く、我れ大法を求む、豈中道にしてとどまるべけんやと。師辞し去って黄梅に到り、五祖大満禅師に参謁す。祖問うて日く、何くより来る。
師日く、嶺南。祖日く、嶺南人に仏性なし。なんぞ仏を得ん。師日く、人に即ち南北あり、仏性豈然からんや。祖是れ異人なりと知りて、乃ち訶して日く、槽廠に着き去れと。能礼足して退き、碓坊に入りて杵臼の間に服労し、昼夜息まず。八月を経たり。祖付授の時至るを知りて、遂に衆に告げて日く、正法難解なり、徒らに吾言を記して持して、己が任と為すべからず、汝ら各自随意に一偈を延べよ。若し語意冥府せば則ち衣法皆付せん。時に会下七百余僧の上坐神秀、学内外に通じ、衆の宗仰する所なり。みなともに推奨して日く、もし尊秀に非ずんば、たれか敢えて之に当たらん。神秀偈を作ること終わりて、数度呈せんとして堂前に至る。心中恍惚として遍身汗流る、前後四日をへて呈することを得ず、如かず、廊下に向かいて諸著せん、他の看見するに従い、若し好しと道へば、出て礼拝して秀が作と云はん、若し不堪と道へば、まげて山中に向かいて年をへんと、この夜三更、自ら灯をとりて偈を南廊の壁に書す。身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ。祖経行してこの偈を見て、これ神秀の述ぶる所と知りて、賛嘆して日く、後代これに依りて修行せばまた勝果を得ん。各をして誦念せしむ。師碓坊にありて偈を誦するを聞きて、美なることは即ち美なり、了ずることは未だ了ぜずと、童子をして秀のかたわらに一偈を写す。菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん。一山上下皆日う、これ実に肉身の菩薩の偈なり、内外喧すし、祖盧能が偈なりと知りて、未見性の人なりと云うて、かき消す。夜に及んでひそかに碓坊に入りて問ふて日く、米白まれりや未だしや。乃至三度び簸りて入室す。祖示して日く、諸仏出世、一大事の為の故に、機の大小に随いてこれを引導す。遂に十地三乗頓漸の旨あり、以て教門を為す。しかも無上微妙秘密円明真実の正法目蔵を以て、上首大迦葉尊者に付す。展転伝授すること二十八世達磨に至り、この土に届いて可大師を得、承襲して我れに至る、今法宝及び所伝の袈裟を以て、用いて汝に付す。善く自ら保護して断絶せしむることなかれ。師跪きて衣法を受けて啓して日く、法は則ち既に受く、衣何人にか付せん。祖日く、昔達磨初めて至る、人未だ信ぜず、故に衣を伝えて以て得法を明かす。今信心既に熟す。衣は即ち争いの端なり、汝が身にとどめて亦伝えざれ。且らく当さに遠くに隠れて時を待ちて行化すべし。いわゆる受衣の人は命懸糸の如くならん。黄梅の麓に渡しあり、祖自ら送りてここに至る。師いっして日く、和尚速やかに還るべし、我既に得道す、まさに自ら渡るべし。祖日く、汝既に得道すべしと雖も、我れなを渡すべしと云いて、竿を取りて彼の岸に渡し終わり、ひとり寺に帰る。それより後五祖上堂せず。衆問えば、我が道逝きぬと、師の衣法何人か得る、祖日く、能者得たり。盧行者、名は能、尋ぬるに既に失せり。すなわち共に走り追う。時に四品将軍、発心して慧明というあり。衆人の先となりて大ゆ嶺にして師に及ぶ。師日く、この衣は信を表す、力を以て争うべけんや。衣鉢を盤上に置きて草間に隠る。慧明至りてこれを揚げんとするに、力を尽くせども揚がらず。大いにおののきて日く、我れ法の為に来る、衣の為に来たらず。師出て盤石の上に坐す。慧明作礼して日く、我が為に法要を示せ。師日く、不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ明上座本来の面目。明、言下に大悟す。また問いて日く、上来密語密意の他、かえりて更に密意ありや。師日く、汝がために語る者は即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に有らん。明日く、慧明黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省せず。今指示をこうむる。人の水を飲んで冷暖自知するが如し。今行者は即ち慧明が師なり。師日く、汝若しかくの如くならば、吾と汝と同じく黄梅を師とせん。明礼謝して返る。後慧明を道明と改む、師の上字を避ければなり。師四県の猟師の中に隠れて十年を経る。二僧あい争う、風刹旙を揚ぐ、一は旙動くと日い、一は風動くと日う、師日く、風旙の動くに非ず、仁者の心動くなりと。これを以て出世す。
然して後曹溪に返りて大法雨を雨降らす、覚者千数に下らず、寿七十六にして沐浴して坐化す。
六祖大鑑慧能禅師によって宗風大いに興ること、またこれが伝法出世の因縁、人のまたよく知るところです。信を表するもの、たとい石の上に置かれようが、取ろうたって取れんです、このときいったいこれの何たるかを知る、作礼して日く、我が為に法要を説けと、不思善不思悪、正与麼の時那箇かこれ明上座が本来の面目。まさに目の当たりまったく他にはないことを知る、言下に於て大悟すとは、今も昔もあるんです、存在するという無自覚、常にその中にありながら、別こと余計ことなんです。身は菩提樹と願い、心は明鏡台の如しと示し、どうにもそうはなり切れんのを、時時につとめて払拭せよ、塵埃をひかしむることなかれとやる、嘘でありごまかしです。菩提もと樹にあらず、明鏡また台に非ず、いいですか明鏡そのものですよ、菩提心与麼に長ずるんです、本来無一物、手つかずのものみな、いずれの処にか塵埃をひかん。ちりもほこりもない、真正面ですよ。すると、旙動かず風動かず、こっちがこう揺れていたりするんです。

臼を打つ声高し虚碧の外、雲に簸るる白月夜深うして清し。

簸るとはふるいにかけて選り分けるんですか、砂米一時に去る、それじゃ大衆は何を食うというのあったですが、応無所住而生其心と感悟するところのものを、出入し長長出させるんですか、砂も米も同じに見え、空間も同じに映り、しかもなをかつ、これをついて米白まり、これを簸る神変不思議です、あると思いあとかたと見え影とも見える、自分という架空請求がまったく失せるんです、よってもって臼を打つ声高しです、虚碧の外という、ほうら他なしです、雲に簸るる白月と、ものみなはっきりしています、深うして清しと、それっこっきりですよ、世間も仏教界もないんです、あっはっはこんなの出世は難中の難ですか。でもさ、今の世も知る人はちゃ-んと知る。

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by tozanji | 2005-12-28 00:00 | 伝光録


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