第三十四章

第三十四章

第三十四祖弘済大師曹溪の会に参ず。問いて日く、当に何の所務か即ち階級に落ちざるべき。祖日く、汝曾て甚麼か作し来たる。師日く、聖諦も亦為さず。
祖日く、何の階級にか落ちん。師日く、聖諦すら尚為さず、何の階級か之れ有らん。祖深く之を器とす。


師は幼歳にして出家し、群居して道を論ずる毎に、師はただ黙然たり。後に曹溪の法席を聞きて乃ち往きて参礼す。問いて日く、まさに何の所務か階級に落ちざるべき、乃至祖深く之を器とす。会下の学徒多しといえども師首に居す。
一日祖師に云いて日く、従上衣法ならび行ず、師資たがいに授く。衣は以て信を表し、法は乃ち心を印す。吾今人を得たり、何ぞ信ぜられざるを患えん。衣は即ち留めて山門に鎮ぜん、汝当に化を一方に分かちて断絶せしむることなかるべし。師吉州の青原山静居寺に住し、乃ち曹溪と同じく化を並べ、ついに石頭を接してより、人踵を接して来たる。もっとも大鑑の光明なりとす。後に弘済大師と謚す。
まさに何の所務か階級に落ちざるという、ついになんの所務もなく階級もなき人、これたとい何人もそうには違いないんですが、生まれついてのなんにもならぬ人います、別段他と比べて能力に劣っているというわけではなく、たいてい何やらしても抜群というほどに、しかも群居して道を論ずるに黙然たりです、すると不思議に思うんです、人の形を表わす、それはいったい何か、中途半端の不満足のまま、いえそんなこってはとうてい、いえ自分もそうせねばいけないんだろうがと、慧能もと技倆なし、どうしようもなく、聖諦すら尚為さずです、すなわち何の階級かこれあらんと、そのまっしんに坐すんです、自分という何物もない坐を知るんです、いいも悪いもないまったい安住して他なしです、浮き世というあるいは仏教という、あるいは光陰互いに行くんですか、現実とは他のどんなやつよりもまさに現実です、しかも三百六十五日夢。通達することかくの如し、学人雲集すること然り、青原行思俗に一宿覚という、曹溪に一晩宿って悟ったからと。

鳥道往来猶跡を断つ、豈玄路の階級を覓るに堪えんや。

みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれと、人のありようものみなのありようまさにこれ、本能の赴くままという人間傲慢を少しは思い返してみるといいかも知れません、人知という、目から鼻へ抜けるという、これ形あり、一を聞いて十を知る、これ跡型あるんです、そうではないもと目鼻なし、もとはじめからぜんたいです、階級という便宜あってあるとき用い、あるとき解消するんですか、いいえ階級のまんま無階級ですよ、解消という不自由じゃないんです、人々よく確かめて下さい、わっはっははい無責任。

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by tozanji | 2005-12-29 00:00 | 伝光録


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