第四十一章

第四十一章

第四十一祖後の同安大師、前の同安に参じて日く、古人日く、世人の愛する処我れ愛せずと、未審如何なるか是れ和尚の愛する処。同安日く、既に恁麼なることを得たり。師言下に大悟す。


師諱は観志、その行状委しく記録せず、先同安まさに示寂せんとす、上堂日く、多子塔前に宗子秀いず、五老峰前の事若何んと。是の如く三たび挙するに無対、師出でて日く、夜明簾外排班して立ち、万里歌謡して太平を道ふ。同安日く、須らく是れ驢漢にして得べし。しかしより同安に住し、後同安と号す。
世人の愛する処我れ愛せずと、みなまた出家するんです、世の中何不自由なくは、お釈迦さまですが、せっかく美しい后と子を捨てて出家する、歓喜という名の阿難尊者は、あんまり大もてでもって、悟るのが遅かったという、ほんとう本来を知るには、世の中そのまんまでは、見えるはずのものも見えない、きっとうまく行かんのです。後の同安大師も必ずこの轍であった、そうして出家して確かめに行く、大小の悟はあったんでしょう、きれいさっぱり断ずる、あるいは愛欲を断ち切ることが、どうも奇妙なことに見えてくる、たとい行事綿密も、あれこれこうあるっきりだ、世人の愛するところ我れ愛せずと、たといかつて大見栄を切ったとて、いぶかし如何なるかこれ和尚の愛するところ。同安日く、すでに恁麼なることを得たり、師言下に大悟す。
わかりますかこれ、すでに得たんです、自分というとやこうのまんま失せる、世界ぜんたい掌する、いやさそういう能書きのいらない世界です。
大手を広げてこうなんです、一喝するも同じこと。
わかりますかこれ、蚊子の鉄牛を咬むに似たりじゃなけって、そうかって大悟して下さい、余すところも欠けるところもないんです、元の木阿弥。

心月眼華光色好し、劫外に放開して誰有りてか翫そばん。

多子塔は、多子塔前宗子秀でという、迦葉尊者がお釈迦さんに相見した所です、鬚髪速やかに落ち、衣法共に付すという、五老峰は江西省星子県の盧山中にあり、太祖慧可大師の因みにまさにこれ、法を継ぐ者出でよというに、誰も出でず、ついに後の同安大師出でて、夜明簾外、天子の座を覆う水晶のすだれだそうです、赤ん坊は王様、自分という架空請求を去る、宇宙の中心です、すだれの外はどうなっている、明月如昼ですか、臣民家来並び立って、恭順を示
すんですか、共産主義の無理矢理拍手じゃない、思想宗教のだから故にじゃない、万里歌謡して太平の御代です、鼓腹げきじょう、はてなどういう字だっけか、だれも王様のいらっしゃることなぞ知らんという、たらふく食って酒飲んで歌っている、ふ-ん須らく是れ盧漢にして得べし、どこの馬鹿だあっていうんです、そうして同安を継ぐわけです。心月眼華光色好、眼華という妄想世間知ですよ、そいつそのまんまそっくり坐ってごらんなさい、身心脱落してかすっともかすらない、浄羅羅心月見開くんです、劫外に放開して誰有りてか翫そばん、手のつけようがないんです。

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by tozanji | 2006-01-05 00:00 | 伝光録


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