第四十四章

第四十四章

第四十四祖投子和尚円鑑に参ず、鑑、外道仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はざるの因縁を看せしむ。三載を経て、一日問ひて日く、汝話頭を記得すや、試みに挙せよ看ん。師応へんと擬す、鑑其の口を掩う。師了然として開悟す。


師諱は義青、七齢にして潁異、出家し経を試みて、十五にして得度す、百法論を習う、嘆じて日く、三祇道遠し、自ら困ずるとも何の益ぞ。乃ち洛に入って華厳を聴く。義珠を貫くが如し、諸林菩薩の偈を読み、即心自性と云うに至って、猛省して日く、法は文字を離る、寧ろ講ずべけんや、即ち捨てて宗席に遊ぶ。時に円鑑大師(浮山法遠、太陽の嗣)会聖巌に居す。一夕青色の鷹を養うと夢見て、師来たる。外問仏の話を看せしむ、乃至師了然として開悟し、遂に礼拝す。鑑日く、汝玄機を妙悟するや。師日く、設とい有りとも也た須らく吐却すべし。時に資侍者、傍らに在りて日く、青華巌、今日病に汗を得るが如し。師回顧して日く、狗口を合取せよ。若し更にとうとうせば我れすなわち嘔せん。此れよりまた三年をへて、鑑、時に洞下の宗旨を出して之を示す。悉く妙契す。付するに太陽の頂相、皮履布(皮の草履)直とつ(大衣)を以てし、日く、吾に代わりて其宗風を継ぎ、久しく此に滞まること無れ、よく宜しく護持すべし。偈を書して送りて日く、須弥太虚に立ち、日月輔けて転ず。群峰漸く他により、白雲方に改変す。少林風起こり叢がり、曹溪洞簾巻く。金鳳龍巣に宿し、宸苔豈に車碾せんや。
青華厳というあだなであった、華厳経を聴いて義珠を貫くが如し、明解手に取るようであったんでしょう、しかも即心自性というに至って猛省して日く、だから-ゆえにの世界じゃないっていうんです、法は文字を離る、講義するための学問、愚人のしがみつくそれを、なんにもならんとて捨てる、そりゃこの心なけりゃ、人間なんのためにもならんです、よって青鷹となって円鑑を訪う、外道仏に問う、有言を云わず無言を云わず、汝作麼生、さあどうじゃというんです、これを云える外道も珍中の珍ですか、ほんとうに答えがわからんで聞いたんなら正解、答えをもって聞く、つまりこれを外道と云う、お釈迦さまは端然坐すんです、これを見て外道、大慈大悲愍衆生というて去る、文殊菩薩が何ゆえに去ると聞くと、世の良馬の鞭影を見て行くと云われた。
ですからこれを得て下さいというんです、諦観法王法、法王法如是と、猿芝居の銭かねしてないで、これなくば仏とは云われぬ、滴滴相続底の引導も渡しえない、すると一から十まで嘘ばっかりの坊主どもです、世の中横滑りのかたり、衆門というおんぼろ伽藍堂です、がらがら崩れ去る。たといなにやったって駄目です。三載をへて、汝話頭を記憶すや、どうじゃと聞く、順孰するを見る、皮一枚どっかつながっていた、云わんと擬する口を掩う、師了然として大悟す。

嵯峨たる万仞鳥通じ難し、剣刃軽氷誰か履践せん。

嵯峨たり万仞は早く自分のほうにあるんです、鳥通じ難師と、あるいは毎日切磋琢磨、あるとき一皮むける、ふわっとなんにもないんです、ただこうあるっきりです、人が参じ来るのに、なにいうてもとなんにもないのになにをあせくと、はいといってはどう参じても届かない、嵯峨万仞鳥通難、でもってあるいは問答しだれかれやるんでしょう、剣刃軽氷上を行くんです、ちらりしくじったら、せっかくの大法をふいですか、いいえ老師なんぞ悟ったといえば、おうそうかてなもんです、おれはこうしただからというと、是是、なあに嘘つきゃ自分で転ぶてなもんです、これ剣刃軽氷上。

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by tozanji | 2006-01-08 00:00 | 伝光録


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