第十一則 雲門両病

c0015568_225943.jpg

 衆に示して云く、無身の人疾病を患ひ、無手の人薬を合す。無口の人服食し、無受の人安楽なり、且らく道へ膏盲の疾、如何が調理せん。

挙す、雲門大師云く、光透脱せざれば、両般の病有り。一切処明ならず、面前物有る是れ一つ。一切の法空を透得するも、隠隠地に箇の物有るに似て相似たり。亦是れ光透脱せざるなり。又た法身にも亦両般の病有り。法身に到ることを得るも、法執忘ぜず己見猶を存するが為に、法身辺に堕在す是れ一つ。直饒ひ透得するも放過せば即ち不可なり。子細に点検し将ち来たれば、甚麼の気息か有らんと云ふ、是れ亦病なり。

 雲門大師雲門文偃、青原下六世雪峰義存の嗣、大趙州と並び禅門の双璧、などいうと舌引っこ抜かれそうです。雲門一語するに常に三あり、痛烈もって比類なき、雲門禅などいう別誂えする人あるがほどに、もって天下太平を図る、たといお釈迦さんも倒退三千。それがこの則はまことにもって懇切丁寧、そうか雲門も足を圧折していっぺんに悟ったというとは別、苦労しているなどいうのは我田引水か。
 こりゃしかしこういうことあるんです、まずもって無眼耳鼻舌身意を知る、もとかくの如くあるを知る。門扉に足をつぶして忍苦の声を発し、痛みいずれの処にかあると、自分というものがまったく失せてしまう、いっぺんに悟ることは、そりゃお釈迦さんの示す、仏法仏教一目瞭然なんです。
 さっぱりちんぷんかんぷんだったものが、ただあるがようです。不思議、思議にあずからず。でもって納まり切るはずが、そうはいかなかったりする。
 彼岸に渡ったものが此岸に舞い戻る、そんなことあるはずもないのに、たとい云々するんです、天下取ったとか仏教かくの如しとやる。これ彼岸かこっちの岸か、あほんだれ死ぬまでやっとれってやつです。
 雲門大師懇切に示す、面前物あるとは、俗人みなそうです、有ると無いとが表裏を別つんです、物心つく子が掌を見る、指と指の間のどっちがどっちだ、動くのは自分だからというふうです、死ぬ時に手鏡といって同じことをやる。
 有ると無いという作り物を習うんです。でもって物あるにしたがい迷う、自分という架空によって七転八倒、無明すなわち光透脱しないんです。これ一つ。もう一つせっかく透脱しながら、はたしてどうかと省みずにはいられない、自分という無心を標準にせず、仏教仏法なるものを標準にする、うまく行くはずがない。
 なぜか、しゃばっけが捨てられないんです、大苦労して得た仏教を売らんかなですか、そんなんと引き換えに本来心を得て下さい、これ大力量、たとい雲門の法もいらんてえばそりゃいらんのですよ。

頌に云く、森羅万象崢榮に許す、透脱無方なるも眼晴を礙ふ。彼の門庭を掃って誰か力有る。人の胸次に隠れて自ずから情を成す。船は野渡の秋を涵して碧なるに横たへ、棹は蘆花の雪を照らして明なるに入る。串錦の老漁市に就かんことを懐ひ、飄飄として一葉浪頭に行く。

 崢えい山に栄は山の高く聳える、峨峨たるさま。許すはまかす、ものみなあるがまんまというと、妄想色眼がねのまんまと思い違えて、平家なり太平記には月も見ずという、次第情堕を省みぬ、それじゃしょうがない。月は月花はむかしの花なれど見るもののものになりにけるかな。透脱無方を知ってされども法は忘れざりけれと、眼晴を礙ふるんです。
 生死まったく変わらぬ、死んだあともこのとおり永遠にこうあるという、兀地に礙へらるとはこれ。彼の門庭をはらってですか、いいかげんにしとけってじゃなくアッハッハ、彼が自分のよこしまであったりして、ではとっぱらったら彼岸ですか。
 いえそんなこんなないんです、たしかに身心失せてものみなの様子、なをかつ釈然としないということがあります、これをどうかしようとする、すったもんだの失せる時節、どこまで行ったって、いいですかそいつを投げ与える、捨てるしかないんです。
 よく死んだあとどうなると聞いてみる、とやこう答える、なにさ、おまえ死んだら三日で忘れられるよ、なをかつものみなこのとおり、はいそれを悟りという、と云えばきょとんとしている。自分という情実=世間または仏教だったりします、それを去るんです、生死同じを愛といったら、仏の顰蹙を買いますか、なに微妙幽玄と云ったって、くそくらえです。
 あるいはどんな情実も一瞬続かないんです、アッハッハかくして万松老人水墨画ですか、けっこうよく出来なんですが、これ風景に描いては駄目ですよ、取り付く島もないんです。


画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
[PR]
by tozanji | 2005-02-16 02:26 | 従容録 宏智の頌古


<< 第十二則 地蔵種田 第十則 台山婆子 >>