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第十四則 廊侍過茶

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 衆に示して云く、探竿手に在り、影草身に随ふ。有る時は鉄に綿団を裏み、有る時は綿に特石を包む。剛を以て柔を決することは、即ち故さらに是、強に逢ふては即ち弱なる事如何。

挙す、廊侍者徳山に問ふ、従上の諸聖什麼の処に向かって去るや。山云く、作麼作麼。廊云く、飛龍馬を勅点すれば跛鼈出頭し来る。山便ち休し去る。来日山浴より出ず、廊茶を過して山に与ふ。山、廊が背を撫すること一下。廊云く、這の老漢方に始めて瞥地。山又休し去る。

 深竿影草盗人の用いる道具、転じて師家の手段です、どうだと云うんでしょう、持ってるやつは自ずから現れ、草の影にも飛びつく、だからこうせにゃってこっちゃない、心身もてです。ないものはあるものを滅却ですか、あるときは鉄に綿を包み、あるときは綿に石を包みする、ノウハウがあるわけじゃないです。最良手段じゃない、それっきゃないんです。
 徳山宣鑑禅師は、青原下四世龍潭祟信の嗣、金剛経を背負ってやって来て、ばあさんに三心不可得いずれの心もて団子食うかと問われて、龍潭和尚を訪ねる、灯を吹き消されて忽然大悟。そりゃもうしっかりしてるんです。廊侍者、従上の諸聖、お釈迦さまはじめ仏祖方です、いずれの処に向かってか去る、悟り切った人はどうなると云うんです。困ったねえ、答えがわかってる人をアッハッハそもそも、云ってみろよってわけです、云うはしから倒壊すりゃいいんですがね、廊侍者云うも云いえたり、勅点は天子が勅命をもって点呼とある、飛龍馬西遊記の馬みたいなんですか、を呼び出したら、びっこの亀が出て来たという、けっこういいとこ行ってんですがね。
 これを落とすには便ち休し去るんですか、誉めてもけなしても、うなずいても増長慢という、無記ですか。見よというんですか。すでにして答えが出ているんですか。
 他日風呂から上がった徳山に廊侍者お茶をさし出す、その背中を撫でた、這の老漢まさにはじめて瞥地を得る、なんとまあまた休し去らんきゃならん、さて三回目はどうしますか、忘れたっても相手来りゃ思い出す。

頌に云はく、覿面に来たる時作者知る、可の中石花電光遅し。機を輸く謀主に深意有り。敵を欺く兵家に遠思無し。発すれば必ず中る。更に誰をか謾ぜん。脳後に腮を見て、人触犯し難し。眉底に眼を著けて渠れ便宜を得たり。
 覿面に来るとは真っ正面です、ただということ、人の喧嘩はおれがいいおまえがわるいだからとやる、鳥獣の喧嘩はそんなことせんです、縄張り争いはあっても喧嘩はないですか。虎の威を仮る狐じゃなくって、作者になって下さい、自ずからです、何万回しようが一回きりです。生きているってだけです、機というただこうあるっきりですよ、禅機なぞいうものないです。
 作り物は壊れもの、水は方円の器、機を以てすれば一歩遅いんです、そうではない他なしです。輸は負ける、廊侍者機峰鋭くですか、飛龍馬を勅点すれば跛瞥出頭とやる、ぶんなぐったら化けて出る、根本を切らねばだめです、おだてあげてさっと手を引くってのもあり、でもまあもう一枚切れ味のいい徳山輸機ですか。
 深意有りも遠思無しも、徒労に終わるんです、発すれば必ず中る底は、たとい坐禅只管打坐ですよ。どんなふうなめちゃくちゃだろうが、必ずそれ、当たり前だその他ないんです。とたんにふっ消えて百発百中は、なんにもないんですよ。
 脳後に腮は、えらのあるやつは悪者、油断がならんという、師家についてどうもそんなこと感じちゃだめです、眉底に眼なんか著けないんですよ、そんな持って回るこたいらんです、いつたい百発百中の他ないんです、いいですか最後に残った仏法です、勅点するそいつを失う、すなわち命失うんです、この世の存在を払拭です。飛龍馬も跛瞥もないんです、はじめて瞥地を得るという、無意味なんですよ。いやさ、だからといって無気力投げやりとは別個です。


画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
by tozanji | 2005-02-19 04:01 | 従容録 宏智の頌古


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