第二十一則 雲巌掃地

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 衆に示して云く、迷悟を脱し聖凡を絶すれば多事無しと雖も、主賓を立て貴賎を分つことは別に是れ一家、材を量り職を授くることは即ち無きにあらず、同気連枝、作麼生んか会せん。

挙す、雲巌掃地の次いで、道吾云く、太区区生。巌云く、須らく知るべし、区区たらざる者有ることを。吾云く、恁麼ならば則ち第二月有りや。巌掃菷を提起して云く、這箇は是れ第幾月ぞ。吾便ち休し去る。玄沙云く正に是れ第二月。雲門云く、奴は婢を見て慇懃。
 雲巌曇晟禅師、薬山惟儼の嗣、道吾円智は兄弟弟子。本当には知らん人を迷悟中の人という、迷いあれば悟りありです、君見ずや絶対学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、一般の人これができんのです、いいわるいを云い妄想を除こうとし、真実を求めようとする、実はそうしているそのものなんです。主賓を立て貴賎を分かつ、なぜにそうするか、時に応じて必要間に合えば、完全すればということです、ゼニが欲しいときはゼニ、飯が食いたいときは飯で、まるっきり後先なしです。だってすべてがそう成り立っている、のしつけりゃ面倒臭い、かったるいだけなんです。ただの日送りの、簡単明瞭ができない、でもってそれに苦しんでいる、アッハッハそりゃ笑っちまうです。
 焚くほどは風がもてくる落ち葉かな、裏を見せ表を見せて散る落ち葉。良寛さんの真似しろってんではないです、地震来たれば地震がよろしく、うわあ恐怖の地震と、はいこれっきりないんです。同気連枝、千字文にあり、孔だ懐ふ兄弟あり、気を同じゆうし枝を連らぬ。奴は婢をみて慇懃ですか。
 雲巌庭を掃いていた、道吾それを見て太区区生、ごくろうさんですと云った。
巌云く、いいか、ごろうさんじゃない者の有ることを知れ。それっこっきりにやっているんですよ、ごくろうさんじゃない坐禅して下さい、まるっきり後先なし、忘我でも忘我でなくってもいいです、太区区生ではない日常があります。吾云く、そうであったら第二の月ありやなしや、円覚経にあるという、彼の病、目の空中の華と、および第二の月を見ると。空華眼華という、坐っていて惑わされるのはこれ、是非善悪そっくり風景になってうつろうほどに、実際ではない世間体です、もうないものを空想裏に描く、夢という流行語すなわちこれ、目を失い去ればよし、月という想像する月を見る、月を仰いで遠来の客を忘れる良寛さんに、第二の月ありや、即ち第二の月有りやと、成句になって聞いたんでしょう、雲巌ほうきをかかげて、これは第幾つの月だという。うっふどうです、奴は婢を見て慇懃ですか。玄沙道吾の休し去るを見て、まさにこれ第二月といった。自分の抱え込んだ仏という月にしてやられるんです、雲門云く、即ち同病あい哀れむっていうんですか、はてなするとこっちも同病。

頌に云く、借り来たって聊爾として門頭を了ず。用ひ得て宜しきに随って便ち休す。
象骨巌前、蛇を弄するの手、児の時做ふ処老いて羞を知るや。

 聊爾かりそめ、掃地ということを借りて門頭、無眼耳鼻舌身意を六根門というそうで、かりそめにも了ず、つまり雲巌ほうきを提示してもって、道吾これを知る、用いえて宜しきに随い、無眼耳鼻舌身意なんにもなくなってしまう、本来のありようを見て休し去る、別段なんの事件も起こらんわけです。玄沙まさに第二月と云う、ことを起こしたかったわけです、象骨巌とは、雪峰山下にある岩、すなわち雪峰会下の玄沙と雲門です、南山に鼈鼻蛇ありのいきさつは、二十四則にあります、蛇を弄するの手、做さと読む、ならうんです、あのときは若かったというわけが、老いて恥を知るや、まあしかしなんにも起こらんけりゃこの則はなかったわけです。休し去るというからには、担いで帰るものあるように見える、雲云く奴は婢を見て慇懃ですか、でもってかつての騒々しい例を引く。
 まあそんなこたいいです、無眼耳鼻舌意をたしかめて下さい、眼華をなんとかして下さい、
月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな
 必ずこういうことあるんです。でもこれを認めておっては第二月。


画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
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by tozanji | 2005-02-26 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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