第三十四則 風穴一塵

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 衆に示して云く、赤手空拳にして千変万化す、是れ無を将って有と作すと雖も、奈何せん仮を弄して真に像ることを。且らく道へ還って基本有りや無しや。

挙す、風穴垂語して云く、若し一塵を立すれば家国興盛す。一塵を立せざれば家国喪亡す。雪竇柱杖を拈じて云く、還って同死同生底の衲僧有りや。

 風穴延沼禅師、南院の宝応慧順に継ぐ、臨済下四世、雪竇重顯禅師は青原下九世知門光さの嗣、赤手空拳にして千変万化す、千万異化身釈迦牟尼仏、なんにもないからなんにでもなれる、そりゃまったく物の道理で、ちらともあれば、それによって制限されるんです、いえちらともあれば、既に自由が利かないんです。参禅とは正にこの間の問題ですか、たんびにがらっと変り、ついにはまったく起こらず、しかもどういうものか、一塵立って家国興隆し、一塵立たずは家国衰亡す。たしかに平らかに他なしですが、どこまで行ってもということあります。雪竇柱杖を拈じて、かえって同死同生底の衲僧ありやという、どうですか、あい呼応しておもしろいでしょう。
 作者はという、まったく無から生ずる興亡戦、人類史も地球宇宙もないんです、一箇自足する凄ましさ。アッハッハ毎日命がけですか。あるときは降ってくる雪にしてやられ、あるときはびいと鳴く鳥にもって行かれ、天空を樹立しあるいは春風を吹き起こす。かつてあったものなんぞないです、たとい世間繰り返しだろうが、生まれてはじめてのたった今、どかんと真っ二つくわーっと甦ったり。そうねえこれ自殺志願者とか、世の絶望とか、なにしろ日本は滅びの道ですか、もう滅んでしまっているんですか、そういうときに、実にこの則はいいです。転んでもただでは起きないどころか、たといどうなったろうがほうら元の木阿弥、無に帰すること正にこれ、たとい百万も他に云うこたないんです。
 基本なしといえば是、基本ありといえば不是、なしといえば不是、ありといえば是。

頌に云はく、ほ(白に番)然として渭水に垂綸より起つ、首陽清餓の人に何似ぞ。只一塵い在って変態を分つ、高名勲業両つながら泯じ難し。

 ほ然は白髪の形容、太公望が釣り糸を垂れていて、西伯に起用されて周の国を興した、首陽清餓は、伯夷叔斎が周の栗を食わずに首陽山に餓死した、一塵立って興隆し、一塵立たず衰亡するを頌す、ともに大事件ですか。一塵あって変態を分かつ、これがありよう日常茶飯も、普通の人にはちょっと及びもつかぬ、逐一にこれ100%は同死同生底、でもこれでなくば、さっぱりおもしろうもないんです。泯は水のおもかげ、ほろぶ、高名は太公望ですか、勲業は餓死したほうですか、いやさそんなこた一瞬忘れちまうです。100%し尽くしたことはあとに残らない、太公望も伯夷叔斉も10%も現れはせんというのです。高名なり勲章なり、ゆえにもってこの世に
残る、歴史とはまさにかくの如くのがらくた。泯じ難し、残りあるものろくなものなし。歴史に学べなんて、百害あって一利なし、まそういうこってす。


画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-03-10 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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