2002年 12月 03日 ( 6 )

雲 水 日 記 6

   五、降り積もった雪が流れ落ちる

 禅師総持寺貫主になった板橋興宗師は、摂心のたんびに来てよく坐っていた。
「規矩なしをもって規矩とする。」
 という玉葱僧堂創始のお一人である。なんせ後輩が威張っているという、前代未聞の僧堂でー本当の行なわれる所はたいていそうである、先輩はたとい知ったかぶりなどしない、若いのがいいようにあげつらうのを、
「うん見込みある。」
と云って聞いている。懐の深い人であった、
「おまえら、宗門はどうの禅師はどうの云ってるがな、そんなら宗会議員ぐらいなってみたらどうだ。」
と云って、とうとう禅師になった。道を専一といういいことしいとは違う。
 雪溪老師は同じお一人で、大悟した時に老師を逆さに吊るしたという、本当ですかと聞いたら、
「うんやってやったい。」
 と云った。
「何度でも同じところへ行く、老師はいいいいとだけ云ってらちあかん、こんちくしょうめって思って、ある時摂心に無茶苦茶に坐った、そうしたら飯台に、手に持ったお椀の中にころっと入っている。」
 たいていおとなしい人だのに、そういえば発心寺を継ぐ時は、尋常の人のはるかに及ばぬ、我慢というか、大力量を発揮した。
 青野敬宗師は臨済にその人ありと知られ、老師の辺を伝え聞いて、
「どこの狐か狸かひねり潰してやる。」
 といってやって来た。いきなり問答連発をもってぶっつけた。老師はにっこり聞いていて、しまい、
「そういうおまえさんはどうだ。」
 と云った。さすがに他の凡百とは違う、深く感じ入って参ずる。半年余り、
「これしき悟らでなるか。」
 といって、竹藪に古井戸がある、飲まず食わずその上に坐って、悟れずば死のうという、ついに悟った。
「涙ながらに話したことがあるの。」
 と、山寺のおばあちゃんが云った。敬宗師には小指がない、大阪の問屋であった。
倒産して一家離散、母は苦界に落ちたという。預けられた家を抜け出して会いに行った、一足違いで死んでいた。引き返し出家させてくれと云った。
「そんなことは云うな、必ずいいようにしてやるから。」 というのを、十六の年であったか、小指を切って差し出した。ついに頭を剃ったという。
 何人もの、
「わしはなんというぐうたらか。」
 と思う他ない話があった。
 雪溪老漢は、悟りを得て帰って行って、縦警策を食らって、すんでに死ぬところであった。
 大雲祖岳老師といい、ほんとうのことがわからない。せっかくの悟を私する。沢木興道老師は、仏教のぶの字も知らぬ、ほんとうのことより、商売とそれらしいふりに終始する宗門に、利用された。

  出家して  出家して 
  今生この世に  今生名残んの
  悟らずば  月かげも 
  死なんとぞ思ふ  雲い行くらん
  古き井の辺  花の吹き散る

 老師は寺の次男坊であった。立職して帰って来たら父親が云った。
「蚯蚓切って両断と為す、仏性奈辺に在り也。」
 みみずを切って二つにした、どっちに仏性があるというのだ、さあわからなくなった、馬鹿といおうか、二十六の年までまっしぐら、
「事として解からんこたなかったです、名古屋の覚王山に安居してたですか、師家がなんでやって来ぬというから、行ってなんでもかんでも解いて見せた。師家はあてんならずといって、何人か語らって山で坐っておった。」 という、たしかに風動幔動の則、旗は動かずこっちがこう揺れている、だがそれを観察するものがいる、
「あれはいつだったか、未だに思い起こせんのですがね。」
 と云った。当時流行りのレビューが来た、みんなで見に行こうという、あんまり行きたくはなかったが、ついて行った。レビューを見ているうちに忘我。
「あれは不思議なもんですよ、なんにもないのに物みなこうある。」
 これのうして今日のわしはありえなかったと。
 だが鑑覚の病という、悟ったというそれを持ってしまった。もう一度大苦労せにゃいかん。天下取ったという恐いものなし、当るを幸いのし歩いて、師家の三人も気違いにしたなと。    
 法話の席に飯田とう陰老師の前座を勤める、
「なにこっちゃとう陰さん何するものぞってな、前座長くなって、汽車の時間あるで、とう陰さん帰っちまう。」
 公案をいっぺんに使うなというぐらいで、とう陰さんも手が付けられなかった。ようやくに気がついて参ずる。夜討ち朝駆けであったらしい、
「とう陰さんはなんたって、官員さんの奥さんだろうがぶん殴る、病気で寝ているの起きて来てぶん殴る、わしは殴られたって平気なもんじゃから、むきになってなアッハッハ。」
 と云う、ずいぶん長い間かかった、ここに坐っておってな、目白の一筆啓上の声に本来を知ると。
 飯田とう陰老師、東大医学部インターンの時に、明治の始めか、コレラの大流行であった、目の前に人がばたばたと死んで行く、
「医学の他に人を救うものはないか。」
 といって、禅門を叩く、
「いやあの人は坐中にやったです、卻って珍しい。」
 老師は云った、痛烈にぶち抜いて、イギリスの哲学者スペンサーを説得に行こうと思った、だが待てよといって諸方参じ歩くうちに、南天棒という臨済の大物に出会った。
「無と云わずになんて云う。」
 というのにひっかっかって、由来十八年南天棒に師事する。あるとき会下の高足と話すのを、心ならずも漏れ聞いた。
「飯田居士ももうずいぶん長い、そろそろ許してやったらどうか。」
「うんそうしようか。」
と云うのだ。
「自分で自分が許されぬものを、なんで他人が。」
 とう陰老師憤然として袂を分かつ。
 独力で只管打坐を復活させる、この人のうては今日に伝わらなかった。

  これやこれ  強烈の
  一つ命を  信をひっぱぐ
  預けては  ものなどは
  この世に恐い  ありせずとふ
  ものはなしとふ  父母未生前

 老師に日泰寺覚王山僧堂師家の話があった、副貫主猊下の親族を説得した故にという、
「そりゃ称号ばかりの。」
 と大心和尚苦労人の、心配した通り名だけのものだったが、老師は、
「報恩底じゃ。」
 という、悟りを得た因縁の、乗り込んだ。大心和尚とあとから量基和尚、もう一人とわし、雪溪老師が堂監で入った。向こうには師家がいて準役がいる、愛知学院大の坊主下宿のようなことをやっていて、動かない。
 どうにもなるものではなかった。一年で瓦解した。わしのこった、派手に喧嘩して副貫主猊下が駆けつけたり、挙げ句の果て自分から追ん出て、小出暁光さんという先輩の、これがまたどえらい世話になった。
 縁あって越後に寺を持った。
 南蒲原郡栄町東山寺という、今のお寺である。
「えいどっか大寺持って、老師招いて僧堂開こう。」
 というわけが。到底そんなわけには行かず。
 住職三年火の車、三年たって老師の会下に参じた。
 離れているとたいていろくでもないことになる。いつだって一から始めるこったが、五月田植え時分に、寺へ老師を招いて摂心を開き、十二月臘八はこっちから出かけて行く。
 ずっとそのように続いた。
 ちらとも悟った時に、促されて仏教タイムズに記事を書いて、えらく評判になった、記者が付く。
 老師に問うたことがあった、
「朝四本足、昼二本足、夕三本足なーんだっていうんです、答えられぬとぱくっと食っちまう、スフィンクス=謎という怪物です、ヨーロッパの精神というか心の要です、それは人間だという、解いてしまってはならぬ、約束事です。」
 モーツアルトを追求していて、しまいスフィンクスに出会う、それは恐ろしいことであった、三日三晩を立ち尽くす。
「それはなんの問題にも答えたことにならない。」
 オイディープスもヨーロッパも知らぬ老師が、言下に答えた。
 目から鱗の落ちる思いであった、記事にして書くと、
「だれに見せてもちんぷんかんぷん。」
 さっぱりだと云う、そうかと云って決別した。
 日泰寺僧堂は金ピカ仏壇のような、豪勢な建物だった、そこで御祈祷大般若を繰る、あるいはバイオリンの稽古に賃貸しする、
「つまらねえ。」
 といったら、バイオリンの師がかんかんに怒った。
 日泰寺タイと日本の仏教交流のしるしに建てた寺である、八宗兼学の僧堂は曹洞宗が持つ。

  ぱっくりと  かた腕を
  スフィンクスに  切って差し出す
  食はれるは  面壁の
  破れかぶれの  幽霊となむ
  思い込みとぞ  うつせみとなむ

 ちらとも疑問が湧く、只管の俎板に乗せる、わしは疲れ腰というか、妄想の果てるまで命がけ。二年の間やっていた、しこたまあった思想という、妄想疑念は悉く退治した。
「そんなことしなくっても。」
 と老師が云った。
 ついには押しても引いてもなんにも出なくなった。
 いっぺんはそうする必要があった。
 通身挙げて抛ってしまえばけり。
 たんびに悟ることは悟る、大悟十八小悟その数を知らずなどいう、ちゃんちゃらおかしいとほどに。
 ひたと物音と共に通身消えたり、風に木の葉は揺れずこっち揺れ動いていたり、電車が停まるのに引き摺られて行ったり、おかしいのは大地とセックスして精液は出なかったなぞ、まあたいていのことは仕出化した。
 なぜ行かぬ、どっかで満足しないのだ。
 モーツアルトか、そうかも知れぬ。
 たしかに一番やっかいな代物だった。
 あるとき五月の摂心に、さつきが雪のように咲いて、内外掃き清め、老師がやって来た。
「このごろは見るもの聞くもの、清々ともなんともたとえようがなくー 」
 と云いも終わらず、
「それはまだ清らかに見ようというものが残っている。」 と老師。
 はっと気がついた。
(わしはまだ出家しとらん。)
 自然を清らかに見ようという、ぶよぶよ虫の卵のモーツアルトを回復しようという、
「ちええ文学青年のやるこった。」
 流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。
 剃髪の偈を知らぬ。
 ものみな急に遠のく、淋しいというか無意味に行く。
しゃばとの決別に似て。
 その年の臘八であった。坐中どうっと風が吹いて身心、ものみな持ち去る。
 気がつくと涙溢れ。
 あい整のうというのか。
「とうとうやったです。」
 老師に挙すと、
「ようし。」
 と云って、拝する背中をなでる。
「とうとう自殺しちまったやつがいる。」
 というのが老師の評だった。
 光前絶後の事、玉露宙に浮く。
 あたかも降った雪が暖気に溶けて、大屋根を馳せ下る。
「うわあ。」
 という、いっしょに流れ下る、
「清々ともなんともたとえようがなく。」
 云うことは同じ、内容は月とすっぽん。
 翌年五月の摂心に、経行といって歩く坐禅がある、さし向かう相手が自分になっている、
「へえ。」
 と云ったのを覚えている。

  整々は  宮中は   
  一回きりと  もぬけの空の
  云はむかな  整々の
  我をのふして  あっぷらかひて     
永しなへ行く  十二単へぞ  

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画像の出典  2003年11月/東山寺
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by tozanji | 2002-12-03 11:54 | 雲水日記

雲 水 日 記 4

三、井上義衍老師

 開枕後こっそり帰って来ると、げあい中のわしの部屋に灯が点く。
 維那和尚だ、さあ大変、(なにをちんちくりんめ、四の五の抜かしたら一発。) 尻をぶんまくって入って行くと、持参の火鉢にあたり込んで、維那雪溪老漢、
「お帰りなさい、外は寒かったでしょう、火がありますよ。」
 と云った。振り上げた手の置きどがない、その火鉢のまん前に坐って、気がついたら、際限もなく喋っていた、「今の世本地風光というのか、人の本当などありえない、そりゃ痩せがれ、ねじくれも本当ならだけど、そんなもん見性したって、ー 」
 とか云うらしく、モジリアニはどうのルノアールが失敗作で、詩人リルケは雲母の欠片みたいな詞を、そのまあ幕し立てることは、テープにでも取って、後で聞かされたら、幾つ穴があってもというやつ、
「はいそうです。」
「いえあなたはすばらしい。」
 なんたって相槌を打つ、煮ても焼いても食えない、すっかりほだされて、つい向こうの云うことを聞いていた。「そうです、死んだものはもう蘇らないんです。」
 妙に説得力がある。
「たしかにここには、思っていることをずばり云えない雰囲気があります。」
「そうなんだ、どうして無字なんだって、だれもなんとも云わないで無字だ。」
「さぼっているからです。」
 はてないったいこの人はなんだ、大衆にもさっぱり人気はないし、堂頭さんも単頭老師も問題にしていない。
嫌われ者雪溪老漢。
 そう云えば暮れの大掃除の時、先代、神さまとも云うべき大雲祖岳老師の頂像があったのを、
「どうですこの人はえっへっへ。」
 と笑って、顰蹙を買っていた。
 お盆の手伝いに来た時に、お施餓鬼の慣らしに大小無数の蚊が食う、パンツの中まで入り込む、
「動くな、蚊が食うぐらいがなんだ。」
 と叱咤する、たしかにご自分は微動だもしない。
「維那和尚雪担さん来てからやらかくなったなあ。」
 と雪元老人が云った。
「わたしにもわたしの仲間があるんですよ。」
 ぽつりと云った。
 小冊子を持って来た。夢想という表題、小柄な和尚の写真があった、井上義衍老師とあった。
 一瞥する、
「だからこういうんじゃない、言葉の幅がない。」
 わしことに夢中。
「あっはそうですか。」
 雪溪老漢冊子を取る。  
 二三日して旦過寮にだれか居る。後輩が来た。
 鐘司を卒業出来そうだ。

  月も月  取る笠も
  花も花にし  破れほうけて
  見えんは  行く春や
  見えん我が  寄せあふ波に
  その皮つら  砕けむ月は 

「上げ膳据え膳ででん坐ってられるとは、ありがてえ。」 と云って、のっこり大坊主が出て来た。大心和尚という、かまわないからとっつかまえて、風呂焚きやらせた。くせの悪い五右衛門風呂で、底板こじあけて、漆桶底ぶち抜いちまったことがある、あの時は困った。
 大心和尚魔術のように焚き沸かす。
 拭き掃除掃き掃除、風の吹き抜けるような、あとをつや光る。
 雲水生活十何年、
「恥んずかしいったらさ。」
 と東北出身、喧嘩ばっかりの化物僧堂がぴったり納まる。
「なんで発心寺へ来た。」
 と聞いたら、
「わし堂頭さんに用事があって来たんじゃねえ、維那和尚とこ来たんさ。」
 と云った。
 ふうん変なやつだ、酒には目がないらしい、
「おれおごる。」
 と云って引っ張って行った。おごられたら必ず返す、飲むほどに酔うほどに、
「そりゃおおかたやってるやつはいるけどさ、あんなにぴったりやったな珍しいんだぜ。」
 雪溪和尚はさあという、
「そりゃ微妙な差たって、ころっとやられるっきりよ、どうもならん。」
 へえなんのこっちゃ、
「無字の公案ていうのどう思う。」
「うっはっは特攻隊じゃあるめえし、とっかん突っ込めたって、人間そうは行かねえもなそうは行かねえ。」
 そのとおり、
「じゃ他に方法あるんか。」
「方法っておまえ道元禅師のむかしから只管打坐に決まってるじゃねえか。」
 幼稚園ていうやつか、ばか云え、
「もとこのとおりなんだ、どっこも悪いとこねえってより、いいもわるいもそれっこっきりそのもの、直指人身ていうだろうがさ、坐ったら坐るこっきりの他ねえの。」
「じゃなんでうまく行かねえんだ。」
「自分で必死こいてうまく行かねえやってるからさ。」 
まあそういうこったなってわけが。
「そりゃ人一箇同じだって、発心寺の欠陥は早く許し過ぎるってとこにある。」
 ともあれ施設する。じきに制中、僧堂に帰った、蒲団を引っ張り出して、寝入ったとたんぱあーっと開ける。
「おう。」
 と云うと、大心和尚、
「おう。」
 と答える。初体験の全体開けるふうが、
「明日を待って雪溪老漢に挙せ。」
 という、開けは開けたが、どこかに、
(これではない。)
 という。それにどういうわけか、雪溪老師には云い出でにくい。
 三日めに塞がる。
「一つ開けてまた閉じたな。」
 と大心兄。

  長々し  種々の
  夜は明けてや  浮き世のたけを
  また閉じて  知るや君
  なんにぞこれの  夜半も昼をも
  しぐれ降りさふ  移らずにあれ

 ともあれあいつは隠しごとをしている、どうあったって聞き出そうとて、再三飲みにつれて行く、進退のさっぱりしている男で、一生の付き合いに、結局こっちが面倒を見られる始末が、
「そうなんだ、諸龍像が泣いたぜ、禅師の弟子や沢木さんの子飼いや、岸田維安の弟子とか、錚々たる連中がさ、出家の和尚だぜ、全国から馳せ参じて。」
 とうとう白状する、
「それがさ、せっかく只管の消息を手に入れて帰ってみりゃ破門だ、どこの馬の骨とも知れぬってな。」
「肉食妻帯もしている、小寺のじっさでなあ、狐狸にたらかされおってって、それでおしまいだ。」
 涙と共に語る、
「たといどうあろうと、滴滴相続底よ、戦後のあのもののねえとき、伝え聞いてやって来て、いつんまに僧堂になった、托鉢して歩いたって、そりゃ知れてらな、道端に玉葱落っこってた、それ拾って来て真ん中に置いて、みんなでむしって食った。」
 玉葱僧堂だと理想社会だ、只管打坐がどうのより、そっちのほうがぴんと来た。
「どこだ、教えろ行く。」
 大心和尚我に返った、
「いや、いまにな。」
 それっきりどう押しても出て来ない、なんせ堂頭さんの弟子たらかしたとあっては、それは。    
 のれんに腕押しをわしは食い下がった。
 制中になった、大心和尚を慕って、これも上背のある大坊主、量基和尚が安居して来た。雪溪老師は講師になり、永平寺から帰って来た、玄鳳さんという人が維那になった、玄鳳維那一睨みで大衆を黙らせる。
 僧堂らしくなった、
「こんなんなら一生いてもいいぜ。」
 脳天気に思ったり。草むしりも薪作務も楽しかった。 玄鳳和尚小浜の顔で、とんでもないご馳走食わせに連れて行ったりする。すっかり仲良くなった。
 一に柴を運び、二に石を担いする、他なしにといって、切れない鋸に薪を伐き、セメント袋担いでひっくり返ったりも思い出す。
 四月の摂心には、願い出て無字を返上、こっちは只管打坐のつもり。
「雪担さん、もっと効果のあるものをやりなさい。」
 二日めには単頭和尚がせっつく。一度二度独参をさぼっていると、「行かないのなら、私にも考えがあります。」
 という、すわ殺されるとばかり、喚鐘に取っ付くと、ふっと抜け出る、
「なあるほどこういうのもあるか。」
 と思うとからに、元の木阿弥。

  雲行くや  汲む水も
  人の誰をか  中らふ月を
  頼りせん  浮き雲の
  柴を搬びつ  なんに己れが     
石を担ひつ    たはぶれ暮らす

「もういい玉葱僧堂へ行く。」
 無字をやらされて、大心和尚にせっつくと、
「そうか、じゃ雪溪老漢に聞いて来る。」
 という、雪溪老漢の返事は、
「ここでもやれます。」
 というのだった。
 昼休み裏の墓場で、大心和尚と量基和尚が話す、
「たしかにわしもあったです、ものみな失せてどっとこう。」
「ふむそれで。」
「老師はそうやって見い見いしてけばって云う。」
「ほんとうに行くってどういうことかな。」
 と云う。
 わしはと大心和尚、かつて発心寺にいた、
「柱開の間坐っておった、そうしたら大梵鐘が鳴る、どわっと体ふっ消えちまった、手も足もねえって立とうたって立てねえ、それ持って独参に行ったら、堂頭さん魂消て、大見性だ大見性だ云う。」
「ふうん。」
「だからってそれ、雪溪和尚に挙したら、あなたはそういうこと云ってるから駄目なんですよって云われた。」 摂心になった、二人和尚何かやっている、量基和尚柱開に坐って、大心和尚、
「まだまだ。」
 という、
「行け、今だ。」
 量基和尚独参する。
 わしも独参に行った、
「これ何をしておる。」
 と堂頭老師、
「こないだ来た新到、なんてったかな、ついさっき見性したぞ。」
 と云う。そうかとわしは大心和尚に取っ付く、
「玉葱僧堂へ行く。」
 だれがなんと云おうと、雪溪老漢も頷いた。
「雪担さんあんまりぶっ叩かれてかわいそうだ。」
 という、それは、
「間違った宗教ほど恐いものはない。」
 なと思い込んで、ぶっ叩かれると、
(この野郎。)
 振り返ったりするもんだから、単頭和尚、
「ほっほうこれは面白いもんが出来る、ようし。」
 てなもんで、めったらぶっ叩く。敵もさる者、いつのまにか無字になって来る、
(えいこんなんだめだ。)
 慌てて抛つ。まあ阿呆なことをやっていた。
 電車の道順や餞別と紹介状、雪溪老漢は万端手配する。
「行っていろ、あとでわし行くからな、こうなったらしょうがない、一切面倒見よう。」
 大心和尚がいった。次の独参堂頭老師に、しばらくひまをくれと挨拶した。


  されどもや  なんと云ふ
  行くも返るも  おのれとありや
  跡を引き  今生の  
  騒々しくに  行くも帰るも
  法の道とは  絶え果てなんに

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画像の出典  2003年11月/東山寺
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by tozanji | 2002-12-03 11:53 | 雲水日記

雲 水 日 記 5

   四、玉葱僧堂の末裔

 死んだって文句も云えぬ、戒厳令下の僧堂摂心を抜け出した。でかちゃんがのっこり歩いている、危うく交わして電車に乗った。荷物は大心和尚が纏めてくれるという、着流しの衣に絡子に頭陀袋、ひげは剃らぬまま、下駄履き、
(若し会いに行って本物でなかったらどうする。)
 これが最後だ。母と弟になんと云えばいい、
(もうどこへも行けぬ。)
 一夜まんじりともせずに、電車を乗り継ぐ。
 早朝浜松の駅に着いた、云われた通りに電話する、
「電話じゃわからんで、まず来てみなさい。」
 切り口上の、学者のような口調、
(学者じゃどうしようもねえ。)
 バスに揺られて三0分、茶畑の中を行く。山寺という愛称の通り、こじんまりした寺に山門ならぬ、冠木門があった。
 玄関に白衣着流しの、たくましいというか、どっか田舎じっさみたいな人が立つ、やけになって、いきなりぶっつけた。
「座禅はなんの為にするんですか。」
「もとこのとおりあったものが、いつのまにか自分でも知らぬまに、おかしくなってしまっている、それをもういっぺんきしっと元へ戻す。」
 問い終わらぬうちに答えが返る、壁のように八方虚空から、
「信じろと云われました、どうしても信じなけりゃいかんですか。」
「信じようが信じまいがもとこのとおりにある。」
 あっはっは信は不信の始まりというが、
「このままでいいっていう、それをどうして修行だのなんだのいう。」
「このままでさっぱりよくないといっている自分を忘れる。」
 こりゃとんでもないものがいた、まるでカフカだというからおかしい、
「わたしは長い間文学だの音楽だのいう、やくざなことをして、ゲーテはゲーテの世界ピカソはピカソの風景という、百人百様のその上そいつが破れほうけて、目茶苦茶というかどうもならんのですが。」
 しまいそのように聞くと、
「しばらくほっといたらいいです。」
 と云った。
「ほらこうあるこれっきゃないんです、とやこうのことは嵐や木枯らしのように納まるんです。」
 父に会えた、わしはそう思った、語の響きであったか、ほとんど話はちんぷんかんぷんだった。ともあれ長い遍歴終わる、出家前からの遍歴に違いぬ。
 参禅を許されて、門前にある阿弥陀堂へ入った。屋根が破れて月光が降る。
 雨をしのぐ部屋には、夜具一式と鍋釜茶碗に、五合の米と味噌醤油があった。ビニールに包んできしんと納まる。
(玉葱僧堂の先輩だ。)
 目頭が熱くなる。
 破竹の林があった、筍を取って三日食いつないだら、大心和尚が来た、我国最後の雲水という、さっそうたる行脚姿、
「どうだ。」
「うん。」
「なにいここへ来てまだ文句云うってんなら、そんなもんわしら知らねえぞ。」
「違う。」
 感極まってさと、和尚は老師に挨拶に行く、浜松龍泉寺井上義衍老師、にこにこ帰って来て、
「ここは手狭だ、下にもうちょっとましなとこあるから行こう。」
 と云った。

  伝へ聞く  きざはしに
  浜のま砂の  月の光の
  一握の  問えるには
  縁にぞあれ  破竹も夏の
  この我にして  茂みなりけれ

 それは無住になった黄ばくの寺であった。この辺り土葬の風習があり、寺にはお骨のない空墓が建ち、別に土饅頭の塚所がある、つまりその守り寺であった。土饅頭が半分崩れて、ごん太いわらびが生える、大心和尚と二人、よくそれを取って食った。
 竈があり台所がある、ここもまたよく整頓されて、鍋釜茶碗類、二つの部屋には、夜具もあり蚊帳があった。
電気はなかった。
 掃除して、坐る所と部屋を決め、届いた荷物を片寄せて、
「では落ち着きのいっぱいやっか。」
「おれ酒買う。」
 わし肴買おうといって、じき下のなんでも屋へ行く。
蚊帳を張って、入り込んで月の明かりに一献。
 明くる朝はでん坐る、
「首つながったんだぜ、もう四の五の云ってるひまはねえんだ。」
 大心和尚、坐ったっきり動かない。
「飯の支度を。」
「いやわしする。」
 どっか掃除をたって、いいや任しとけ、一柱も三柱もあったもんではない、とにかく本人が坐ったきりじゃ、さぼるもわけにもいかん。
 からんころん下駄履いて、県道を独参に行く。
 型通りお拝するには、
「いいからもそっとこっちへ来なさい。」
 春風駘蕩と老師、茶所のいいお茶を煎れる、その急須と茶碗を示して、「どっちが大きいです。」
 と聞く、どっち大きいたって、ー あるいは、
「どんな色してます。」
 と聞く、そりゃもうこげちゃ色で、二度三度するうち、色もなく大小なく。
 ふっとけだるいような、
「いやなに、ちょっとこれのありようを見させてやろうと思ってな。」
 後に老師は云った。
 中古の自転車を買った、それに乗って銭湯へ行く、駅まではまた遠かった。お粥には昆布といって、浜松の街まで買い出しに行って、帰りに映画を見た。
「飯田とう陰さんも映画好きでさ、小浜の映画館抜け出しちゃ行ってたって。」
 あれほれどうなってんかな、向こうがこっちんなっちゃってこう動いてんだ。
 てなわけには行かず。大顯とう陰大和尚、発心寺亡僧ふ吟にたしかあった。いろんな伝説が残っていた、一転語人に云われると、ああ烏が鳴くと云った。門前にむしろ掛けして住んでいた。朝っぱらから酒を飲んでいる、雲衲が註進に及んだ、飛び出して来た祖岳老師、一睨みでいすくんじまったなと。
 只管打坐を老師に伝えた人である。
 草むしりをしていると、
「はて。」
 という、なにをするかわからない感じ、井戸の水を汲む、汲み終わってから、
「あれ、水を汲んでいた。」
 と気がつく、清水のようなものが走る。老師に挙すと、
「むろん後の方がいい。」
 と云った。

  清水の  魚に似て
  行くが如くに  魚は行くなん
  うつせみの  清む水の
  我を無うして  いつかな尽きぬ
  見なむ我をぞ  法の道なれ

 摂心は隔月にある、山寺の摂心には魂消た、坐ったらだれも動かない、柱開もなけりゃ食事やお経あるまで、でん坐ったっきり。
 こっちはトイレ行くふりして、なにしろさぼる。大心和尚は始めての時、なにをこなくそうとて先輩達と同じに坐って、
「もうこうんなになっちまってさあ。」
 と、どうにもおかしくなった。大心和尚らしい。
 あるとき摂心に妄想が出て困る、よしこれをなんとかしてくれようとて、やればやるほどに妄想盛ん、三日四日真っ黒けになってやっていて、もうどうにでもなれ、お手上げ万歳したら、ぱあっとなんにもなくなる。
 なんにもないという、心意識が失せたんではない、それを取り扱うものが失せた、ぽっと出ぽっと消えると老師の云う、一つことになった。
 皆由無始貪嗔痴、取り払い取り去り生まれ変わり死に変りという、旧来の教えを免れること、これを証する。
「そうかい、でどうなんだ。」
 大心和尚に云われると、たしかに、
「どうなんだ。」
 と問い返す他なく。
「えいめんどうくさ、映画見に行こ。」
 と云って出かけて行く。
 老師提唱はさっぱり分からなかった、次に講台かちんとやるぜ、ほうれやったとか云ううち、なるほどと頷く。
「目を開いて相を見る、こりゃいいようなんだが、そうじゃない、自分がどういうものかと観察する、ではその自分如何という問題です、あるいはまったくの嘘なんです、相というたとい何相であっても、そんなものありっこないんでしょう。心は境に随い起こる、いいですか心といったって、もと自分のものなんかない、いえ自分のもの目に見えないんです、異論諸相としてこうある、世間そのものです、囚われている何かしらあるんです、いったんそれを去って下さい、心虚無境、境処無心を知って下さい。」
 たとい分かったってたいていなんにもならない。
 いろんな人がいますよという。電車に乗ろうとしてどうにも乗れなかった、向こうの動きが同じになっちゃうんです。酒を飲んでいるのを見てたら、こっちが徳利持ってこう飲んでる、自分はどこへ行ったってアッハッハ慌てて捜す人とか、ですから割合坐中には少ないんです、坐ったあとこう構えるのが外れるんです。
 人真似したってそれは駄目ですよと。
 臘八になった、何日めかにまた、
(おれがおれになった。)
 という不思議な。 
 薬石後在家がよったくって、老師を招いて坐談する。老師はいきなり、
「雪担さん、どうですそれでいいんでしょう。」
 と聞く、
「はあ。」
「でもちらと残っている気がする。」
 その通りであった。
 残るは修行が足りぬと、そうではないちらとも、
「ある気がする。」
 のだ。臘八総評に老師は、
「大心さんはいい線を行く、雪担さんはちらとも気がついた。」
 と云った。

  振り返る  舞ふ雪も
  我をのうして  何をか思はん
  万ずみな  振り返る
  来たる如しの  我をのうして
  空なるかなや  万ずかも行く

 大心和尚、東北は岩手の産、両親が相次いでなくなって、子供三人それぞれに引き取られて行った。
「心配すんな、高校ぐれえは出してやる。」
 というのを、答案を白紙で出して近くのお寺へ行った、頭を剃って貰った、どうしても死んだ両親に会いたいという、その思いであったと。
 奥の正法寺と云われる正法寺細川石屋老師の弟子になる。師は禅師の位を抛ったという剛直、
「おまえのような者をこそ待っておった。」
 と云った。坊や坊やと可愛がられた、またそれによく答えた、嗣法は血書し、遙拝また一千拝、如法に行なうあとに、ひまをくれと云った。
 どうしても求めたいことがある、行脚に出るという、
「ばかったれ。」
 あんなに怒った師を見たことはなかった、三日も室を出ずという。大心和尚諸方遍歴ののちに、浜松に至る。
「いやへんなのが、のこのこ歩いてるんだ、可哀想だ呼ばってやれつってな。」
 と、後に禅師になった板橋興宗老師がいった、それは玉葱僧堂の托鉢だった、
「先輩方理想だと思ったぜ、そりゃ今でもそう思う。」
 と大心和尚。参じ去り参じ来たって、十年になんなんとする、
「老師のもとをはなれたらいかん、無駄な時間が多かった。」
 ついに得ようとする。
 手縫いのふっさりとしたお袈裟を持つ、嗣法の印である。毎朝それを塔けて東へ、奥の正法寺へ遙拝する。
 高校中退の大心和尚と、大学裏表のわしと、なにしろわしは坐るに飽いて、
「いっぺえやっか。」
といっては議論を吹っかけた。ついぞ勝てた試しがなかった。
「おまえはしょうがないやつだ、別々に暮らそう、向こうへ行け。」
 という、仕方ないまた阿弥陀堂の住人になる。時として行ってみると、三日も坐ったまんまでいたりする。
 銭がなくなると二人托鉢に行った。

  白川の  しらたまの
  関を越えては  酒を汲みては
  みちのくの  何思へ
  行くも帰るも  行くも帰るも
  正法の寺  正法の寺

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画像の出典  2003年11月/東山寺・茶会と津軽三味線のつどい
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by tozanji | 2002-12-03 11:53 | 雲水日記

雲 水 日 記 3

 秋には遠鉢がある、一年分のお米を托鉢する、頭陀袋行鉢という首からさげる袋に一杯になると、胴鉢という、二斗は入る細長い袋に入れる、こいつを二本背負わないと一丁前ではないという、良念和尚二本担ぐ、角力くずれのでかちゃん、からっきし意気地なしの、一本きり、わしやってみたら腰砕け。リヤカーが来てそれに積む。
「発心寺僧堂秋托鉢。」
 と声張り上げる、人前に満祐和尚いきなり大声を上げる、
「もっと大きい声で。」
 と維那に云われ、拍子抜けして大笑い。富裕という柿の王様がある、一つ貰って食べた。晴れているときはいい、しぐれにやられる、寒さ雨の草臥れるし、死ぬ思い。
 遠鉢は三回あった、施主家へ泊まったりする。
 十一月の摂心は、無の字同じく妄想の、変り映えせず。
 晩秋しぐれ続き。大梵鐘もなかなか。行き返り吊るし柿取って食ったりしていたが、腹下しする、我慢し切れず一声と一声の間に、垂れっぱなす。
 暁天坐朝課終わって粥坐と引き継ぐ、あいにく作務は鐘楼回りの草むしり。弱ったと思ったら雪元老雲水、きれに片づけていた。
 臘八になる、十二月一日から釈尊成道の八日未明にかけて行なわれる摂心である、宗門最大の行事と云われる。雪元老人と二人、前夜経蔵裏に七輪かんてきに火を起こし、とん汁をこさえて食う。
「冷えるでなあ、栄養つけなきゃ。」
 とほんに冷えさびる。臘八は三時振鈴といったって、雲衲は不眠不休、寝ているひまはない、雪が降って来た。
「峨山禅師ある年の臘八に、成ずるになんなんとする者十士を選び、目の前に穴を穿ち、首尾よう成ぜずんば、生きていたってせんもない、生き埋めじゃと云った。これを峨山紹碩活埋境と云う。十士中九人までは行った。中の一人がどうにも行かぬ、とうとう生き埋めになった。砂を掛けられるに及んで悟ったと云う。幸い天候も暑つからず寒からず、へたをすれば風邪を引く。」
 不惜身命じゃと堂頭老師垂語。暑からず暑からずと雪元老人。
 体を外気に合わせる、冬眠の熊のように眠くなる。予感があった。
(まあ中三日ごろぶち抜こう。)
 ぼちぼちという、それが初日にやって来る。どうにもなるもんではない、卵を孵すようにという、胸のあたり膨れ上がるような、黄昏坐独参に堂頭老師、
「しっかりやれ。」
 口血盆に似たりというのか、ライオンみたいな顔、
「するてえとわしもあんな顔。」
 思うとからに気が抜ける。不思議な感じがした、
(おれがおれになった。)
 という、見性だってこれが、まさか。九時開枕、雲衲は坐布を持って裏の墓場へ行く。
「夜はまだ早いんです、朗報を期待しておりますぞ。」 と、単頭老師。
 雪の降り頻る墓場にしばらくやっていた、いっやになった、
(こんなもんが見性てんなら、泥たんぼうの眠りの方がいい。)
 引き揚げて、かねて用意の蒲団を敷いた隠れ所に潜り込んで、寝入ってしまった。

  死ぬるとふ  水原や  
  もがり吹雪を  芦辺に宿る
  帰りつき  白鳥の 
  泥たんぼうの  雪のすがたに
  眠り恋しき  寝ぬるよろしき
   
 翌朝そろっとやるかとて、それがパンクした風船のように力入らぬ、はてどうしたこったといううち、
「なんということをしたのです、くう、あそこまで行くきながら、百日の説法屁一つ。」
単頭和尚嘆く、
(そうさ、おれはいつだって、女口説く時にさへ。)
なんとも情けなくなるにつけ、坐にもならぬ。
「罰だ、雪担さん池へ飛び込んで来なさい。」
 仕方ない、氷を断ち割って池へ飛び込む、
「ぐわあ。」
 通身ぶった切られるような、命あっての、のこのこ這い出した。あとで聞けば、単頭原田潭玄老師、ご自身も臘八に行くには行かず、池へ飛び込んでついに脱したという。ともあれあとをぽっかり暖かい。
 へえこやつはとて、いまいっぺん飛び込んだり。
 あとはろくでもないことになった、破れ障子のように、無字の公案ムの字写らない。生まれ変り死に変りだ、惟識阿羅耶識だの、発心寺流仏教というか、到底信ずる能わず、なにがなし信ずればふうっと身を建て直す。
(家畜人ヤプーの麟太郎。)
 見性という付け焼き刃、お笑いだと云うには、背中ぎりぎり痛む、目はやすりを掛けたよう、でもって臘八中やっていた。お手上げ万歳するとふうっと来る、無字だというてこりっこりの、慌てて止める。予定表はもういやだ。
 人間なかなか死なぬ、妄想も死なぬ、臘八終わって開浴び風呂へ入ったら、生涯あんなに気持ちのいいものはなかった。
 わしのようなを、
「めっこがんた。」
 と云った。飯を炊く時に、途中で火を引くと、なんとしても煮えぬ、めっこめしだ。めっこがんたの十二月は、ことのほか寒かった。
 冬至の日を、冬夜といって雲衲無礼講である、典座から軍資金が出て、食いたい放題の料理を作る、飲めや歌えや一晩中。でかんしょ節の、
「堂頭雲水の成れの果て。」
 とやって、ぎろり睨まれる。二十七日は餅つき、二時起きして火を炊く。寿餅という、のし袋をこさえて師匠の、法臘延長を願う。三十一日は大布薩。
 鐘司は除夜の鐘一0八声をつく、二時間近くかかる、酔っ払いが来て、
「檀家だつかせろ。」
 という、無事円了をごちゃごちゃ。微睡んだら起こされて、祈祷大般若。

  首くくる  首くくる
  縄を引き摺る  縄をしなけれ
  ものにして  大年の  
  寒さ身に染む  これも涼しき
  大年の暮れ  雪降りまがひ

 三元日は年始客の応対。位牌堂にお鏡が上がる、飯台はなし、各自勝手にそれを料理して食う。お盆にはそうめんが上がって、毎日そうめんだった。
 六日から寒行托鉢、節分までの寒三十日。
 素草鞋履いて雪を踏んで行く、足は一町も行けば馴れつく、なたでぶっ切るように痛むのは手だ。応量器鉢の子はお釈迦さまの頭蓋を象るという、地に落としたら即刻下山、
「そういう時は見て見ぬふりするんです。」
 三つ指もて支える、唾して凍みつかせて行く。
 一列に並び、
「ほう。」
 と呼ばわりながら、小浜市内をねり歩く。ほうというのは、鉢の子をはつ~ほうと云う、仏法のほうという二説がある。
「これはまあ見せる為の修行じゃが、古来ほうの一声に悟入する者多し、心してかかれ。」
 と云われて、めっこがんたもその気になる。
「ほう。」
 と日んがな油断なく、それをどうなるといっては観察する、声ばかりは七通八達して、
「雪担さんいい声。」
 と満祐和尚が云う。遊郭あり京都の台所と云われる市場あり、海沿いに行き、一日晴れると次は曇り、雪降り吹雪になって、またぽっかり晴れる。
 小浜の人は、毎日かかさず喜捨する数多く、
「おう発心寺がんばれよう。」
 と声がかかったりする。
「あっちの方が行だ。」
 雲衲が云ったり、泣いてる子は、
「発心寺に入れちゃうぞ。」
 と云えば黙っちまうとか。 
 寒行托鉢にはお施餓鬼がある、施主家が雲衲を丸抱えに招ぶ、たいへんなご馳走だ。みな平らげるのが礼儀の、
「馬の食うほど出したのに。」
「比丘の食うほど出さなかったからだ。」
 というほどに、おひつを空っぽにする。一年分の食い溜めだという。始めはよかったが、次第億劫になる。素草鞋脱いで上がって、酒はほんの一口出たか、冷えきった体は、うでだこのように膨れ上がる、たらふく食って暖まって、そうしてまた托鉢の形。 
「今日は勘弁してくれ。」
「駄目です。」
 こっちの方が修行だったり。
 十一時大梵鐘に遅れると、堂頭老師が鐘をつく、雪の辺に響みわたる。

  顧みる  これやこれ
  ものをのうして  響み行けるは
  修行とは  はうの声
  吹雪の波に  吹雪舞ふらむ
  行きわたる声  若狭の海へ

 節分は、なむとうねんじょ本名願心と唱えて、先導が何かいう、あとずけが、御尤もでございますといって、豆を撒く。
 何を云ったって御尤もでございます。
 寒行托鉢の浄財は三分して、一は常住へ一は寄付金一を大衆しん(口へんに親)
金、分け前になる。寄付は市役所へ持って行くと、
「恵まれない人ってお前さん方じゃないのか。」
 と云われたとか。当時のお金で六千円あった。四月制中まで一応はお休みである、師寮寺へ帰る者は帰る、僧堂の弟子とて、わしはぶらぶらしていた。雪元老人は托鉢に行く。
「あの人戸がらっと開けてお経を読む。」
 苦情が来たといって、維那と一悶着。
 LPを売っていた、モーツアルトのピアノと弦楽曲を買う、まだあった名曲喫茶に入って聞いた。
「ちったあなんとかなったか。」
 少しは修行の成果という、あんまりそうもいえぬ、わしはモーツアルトが好きだった、モーツアルトさへあれば一生涯他なんにもなくっていいと思った。それがある日とつぜん聞こえなくなった。死ぬ思いして必死にしがみついて来たのに、水爆でも落っこちたみたいに雲散霧消。
 ケロイドに焼け爛れて転がる。
 モーツアルト如何、
「漆喰に産みつけられたぷより黄緑色の虫の卵の行列。 すべては無意味だった。生皮ひき剥がれたマルシュアース、因幡の白兎の、
「がまの穂棉は、ー 」
 わめき声もひっからび、とまあそういったぐらいの。
たとい修行もモーツアルトの亡霊。
 一に旧に復したかった、でなけりゃ死んだほうがいい。いやモーツアルトを捨てる方が先だ、違う同じ人間だ、ちらとも満足せにゃ元の木阿弥。
 ともあれ今は仏教以外になく。
 批評眼の面皮脱いで蘇ること。
 喫茶店に出入りすると、十七八の女の子が前の席に座る。一方の乳房がぎゅうともたがる、あれえと思ったら替わってもう一方の胸。
(淋しいからだな。)
 別にそういう趣味というよりー気づかれた、はっと身構えて帰って行く。あとついて行くたって文無しの、文無しでもいいのかな、
「ええ修行中の身が。」
 振り切る、女って妙なもので何日かしてまた会った、すると二人とも男を知ったと見えて、どうだというふうにわしを見る。
(ちええなんてえこった。)
 もう少しましなおねえちゃんと、いや飲みに行くところのおねえちゃんと、そうさ坊主さら止めて、どっか旅館の亭主にでもなって、一生あゆ釣りして暮らす。
 名前もない過去のない人間として。
 三月雲衲が帰って来て、声名の稽古など始まった。
 かぎぶし大かぎぶしろぶしふじゆりぶしなど、古来の節回しは発声からして違う。
 テープはいい声だのに、維那が教えるとへんてこだ。
「ちええ、そんなもん習う為に出家したんじゃねえや。」 といって、さぼって町へ行った。
 ゼニもない、冬の海っぱたの烏。

  谷内烏  小浜なる
  冬荒れつつに  海なも荒れて
  舞ひ飛ぶか  かもめ鳥 
  闇夜に鳴かぬ  か寄りかく寄り
  声だに聞かな  花吹き入れぬ

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画像の出典  2003年11月/東山寺内
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by tozanji | 2002-12-03 11:52 | 雲水日記

雲 水 日 記 2

 寺の暮らしも馴れつく。次第放逸に行く、旧に復するが如く。がきどもといっしょに川へ下りて、魚を取ったり、朝の鐘つきが億劫になる。
 桂巌雪水老師、於巻の千仏寺に接化、手伝いに行く。 摂心あり法話終わって、般若湯を召し上がって、揮毫する。
「うん、わしは何をしていたんかな。」
 と云う、取り巻きの尼僧ども、すわ禅問答としゃちほこばるのを、
「いや、近頃こういうことがあって困る。」
 といった。
「それはどういうことですか。」
 問うのへ、
「新到は無字をやっていればいいんだ。」
 と云った。もしや今の世、
(人の生面剥がれて、たとい見性底も役には立たぬ。)
 など、深く疑うところがある。
「堂頭さんは弥勒さんのようにな。」
 写真を見て師は云った。脇に写るわしを見ては顔を顰める。
 お盆の手伝いに発心寺へ行った、やけに暑いばっかりのいいことなし。
 本を見せられる、南天棒百話、沢木興道自伝、乞食桃水の三冊。南天棒は乃木将軍の師であったという、臨済の大物であった。痛烈にぶち抜くというか、
「こいつはまあどえらい。」
 舌を巻くには、なんの印象も残らぬ。沢木興道という人は、いい人である、出家する必要はない。乞食桃水、弟子志願者に、乞食の吐いた物を食えと云った、食えなかった、するとそやつを平らげて去るとある。
 生涯忘れえぬ記事であった。
「仏の太い綱に引っ張られねば、いったいどうして見性できよう。」
 師は云った。
 信ずるという、どういうものかわしの辞書にはなく。
 信ずるという大難関。
 夕方使いから帰って来ると、きざはしの辺に師が坐す。「あなたのようなご立派な人には、師たるは叶わぬ、出て行くがいい。」
 と云った。
「他の師を捜せ。」
 と云う、三拝して首つなげというか、
(てやんでえ箱庭めえ。)
「他に師があろうとは思いませんが、それでは。」
 と云って、飛び出した。上げ手巾して托鉢行脚の格好に、行鉢には風呂敷包みや下着を入れ、草鞋を履いて出る。
 既に秋の気配の、西は真っ赤な夕雲。
 はあてどこへ行くあてもなし。

  吐き戻す  吐き戻す
  ものを食らへと  ものを食らはむ
  云はむごと  浮き世草
  太ききずなの  夢に見えむ
  ありとせ聞こゆ  円明の月  

 なにしろ一晩をとて、濁沢の庵主さまのもとへ転がり込む、
「なにかあったね。」
 見破られた、いきさつを聞いて、
「あっはっはそりゃ修行になるわ。」
 とて泊めてくれた、翌朝門前に托鉢して五00円貰って出発。ねはん金というのが六000円あった、行き倒れになった時の葬式代。
 国道は車ばっかりの、かんかん照り、長岡まで電車に乗った。
 むちゃくちゃの旅だった。冷たいものを飲もうと思って、喫茶店へ入る、
「うちは間に合ってますが。」
「違う客だ。」
 のっそり。
 村道を行くと、川で遊んでいたがきどもが、
「かっこいい。」
 という、テレビと間違えてやがる。
 山古志のトンネルを抜けて、日が暮れた。泊めて貰おうと、訪ねる先々、
「今うちには病人がいまして。」
 という、へえ病人の多い村だなと、ぽっかり十五夜の月が出た。こうなったら夜っぴで歩こうとて、歌なぞ歌いながら行くと、自転車が来る、
「おすさん泊まるとこねえのか、だったらうちへ来い。」 
と云った。地獄に仏はこっちなが、ありがたいついて行った。
 蚕を飼う家だった。二階も下もいちめん蚕のお棚。ご馳走が出る、まず風呂へ入れという、かあちゃん素っ裸で出て来る、じいさばあさいる、なんとも嬉しいもてなしであった。
 夜は赤ん坊加えて川の字になって寝る。
 涙の出るほどに思うのに、それを表わせぬ、自閉症だ、(これをどうにかせねば。)
 とて、お経を上げて辞す。
 谷川で裸洗濯をした。
 小出の弟の所へ頃がりこんだ、またもやぐうたら兄貴の面倒を見る。
 バスに乗った、隣合わせのかあちゃんが、
「おらあほういい村だで、托鉢して行け。」
 と云った。
 杉林の一村に托鉢すると、お米ばっかり五合一升と、そりゃ百姓のお金であろうが、動き取れずなって立ち往生。
 その米出して、清水峠の宿に泊まった。清水峠越えは唯一楽しかった、せせらぎとかんらん石の巨大な一枚岩。高山植物が咲く。
(なんでこんなことしている。)
 たって身から出た錆。
 野宿もした、蚊が食う、夜明けは寒い、たいてい一睡もできぬ。
 お寺なんか泊まってやるもんかと思う。たとい飛び出したって、師は葬式稼業とは違う。
 山路を行ったら、一日歩いて元へ戻って来たり。
 八王子の友人のもとへ行き着く。新婚早々のをとっつかまえて、
「どうだ、おまえも出家しろ。」
 と云った。
 甲州街道を辿って発心寺へと、一夜して引き返す。
(こんなことしてもなんにもならん。)
 体力の限界だった。

  僧にして  食はむ為 
  経を誦しつつ  何をし読まん
  まどろまん  まどろめば
  巻機山の  花は花と云はず
  大石の辺  月は月と云はず



   二、発心寺僧堂安居  

 巻の千仏寺から発心寺へ安居した。袈裟行履に後付けして、胴鉢に応量器を包んで縛りする、いかい世話になった。尼僧のそれとは違うのか、どっか珍妙な格好だった。 庫院前に板を叩く、
「免掛塔宜しゆう。」
 と云って、叉手して立つ。むかしは三日あるいは七日も立ちん棒だった。頃合いに接客和尚出る、
「なにしに来た。」
「仏道修行に参りました。」
「仏道ってなんだ。」
「仏とは何かという、およそ人たるものの取るべき道だと思いますが。」
「ふうん、うちじゃそういうだいそれたことはしとらんで、帰れ。」 
何云ったってらちあかん、どんな問答だったか忘れた、急に目眩がする、吐きそうになって倒れ込んだ。旅の疲れが出たらしい、そのまま上げられて、旦過寮へ入った。
 袈裟行履を解いて、龍天さんという軸を掛け、七日の間坐りっ放す。飯だけは運んで来る。一食忘れられた。だれか障子の穴から覗く。三日過ぎて法堂に出る、朝夕のお経をいっしょに上げる。
 とにかく仲間入り。たとい命失うともという誓紙に血判、
「いくらいくら下さい。」
 という、諸方挨拶、
「ない。」
 ねはん金まで使っちまった。では仕方がないとて案内する、三拝して回る。
 僧堂に寝る、かんきという押し入れがあって、そこへ蒲団を押し込む、その上が応量器と経本を置く棚。畳一畳。単に面壁して、くるっと回る上がりかまちが飯台だった、だからそれを踏まぬように坐す。
 千年以前からまったく変わらぬ、一挙手一投足。
 柱側の足から入って、一礼して右回りに自分の位につく、聖僧という本尊さまを過らない。裏口があった。
 土間を拭いて顔が写るまでに磨く。
 じきに摂心であった。
 秋は九月からを、夏は四月からを制中と云う。
 掃き掃除をした。雲衲は六、七人。新到は鐘司であった、大梵鐘をつく。朝六時、十一時、夕六時、九時。
摂心になった。四時振鈴、
「新しい人総参。」
 と云って、維那に率いられて、堂頭老師の室に入る。僧はわし一人、在家が何人かいた。
「とにかく坐ってみる、なにしろ坐ってみることじゃ、ただ坐る、只管打坐と云うな。次には吐く息吸う息、呼吸に合わせて坐る、随息観じゃ。あるいは一つ二つ十まで数えてまた一つ二つと繰り返す、数息観じゃ。」
 堂頭老師は示す。
「まあこれを幼稚園小学校じゃな、それを卒業すると、いよいよ無字の公案じゃ、中学校という所じゃ、その上の高校大学とあるが、どうじゃ一つおれは中学校からという者はおらんか。」
 と云った。だれもいずわしだけが、
「はい。」
 と云う、そういうことになっていた。一人残って無字の公案を授かる。
「心機丹田、臍下丹田とも云うな、へそ下のこのあたりに無の字を置く、無はむでもムでもよいぞ、そうしてそれを見つめ見つめして行く。」
 なんでそんなことをといって、やるよりなく。

  いにしへゆ  影形の     ひょうたん
なまずの    あひ見る如き   河の辺の
 河の辺の 
  水は澄めるや  たゆたひすらむ  
  なほ濁れるや  発心僧堂  

 へそ下にムの字を置く、案ずるより生むがやすしで、ムの字赤くなったり青くなったりやっていると、盛んに妄想が出る、風景や人の顔やネオンサインや、そのうちピカソばりの抽象絵画の千変万化、これもし写し取るカメラあれば一財産という。
 雲衲は柱開なし、食事用便の他は坐りっぱなし、
(はておれは何をやってんのかな。)
 あそうだ、出家してこうして坐ってるんだっけ、とか云う他なくて終わる。
「今回も残念ながら見性者はでなかったが、善根山上一微塵も積む、他日異日必ずや。」
 堂頭老師の垂語を聞き、紅白の餅を貰って食う、急に意識が奪われる、
(気違いになる。)
 必死になって繋ぎ止める。
 見性のこれがそうだとすると、止めた方がいい。
 雲衲はでかちゃんこと角力崩れの広道士。満祐という若い盗癖のある。良念というやくざっぽいの。義道士は駒沢大学を出て、本山へ行かずに来た、これはまじめな。
また雪元という六十老雲水の(みな仮名)、わしを入れてたったの六名。
(なんだこりゃ化物屋敷か。)
 という程にさびれていた。維那雪溪老漢は、今の発心寺堂頭老師である。
 わしは僧堂の弟子になり、雪水老師の雪の一字を戴いて雪担という。
「せきたんさん肥担ぎ。」
 真っ黒い面だもんで維那和尚が云う、半端エリートには肥担ぎがいいんだそうだ。
天秤棒担いでゆっさりゆっさ、弾みがついて跳ね飛ぶ、ぴっしゃり面へついても平気なもんだから、
「ひやー。」
 と云って維那逃げる。菜園があって菜っ葉など作っていた。
 自給自足が建て前で、燃料は山の木を伐って薪にする。 月の十五日と二十八日が托鉢であった。行事綿密といって本山のような煩瑣はなく、道を専一の作務暁天坐黄昏坐日課、単調な繰り返し。
 四と九のつく日を四九日といって、剃髪し開浴といって風呂がある、身の回りのことをする。
「雪担さん飲み行こう。」
 良念和尚が云った、
「わしおごる。」
 そんなら行こうかと云って、ついて行く。コップ酒飲んでラーメン一杯食って帰って来たら、典座に呼び出しを食らった。
 お宅の雲水さんどこそこで飲んでまっせという、電話があったそうの。
「謹んで下さい。」
 ちええなんてえこった。頭へ来た、良念さんが行こうというと、ついて行く。

  柴を搬ひ  石を担ひ 
  石を担ふて  雅びの舞いも
  行き行くに  なにせむに
  死ねばや失せん  破れほうけて
  破れほうけも  海千山千 

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画像の出典  2003年11月/東山寺玄関から茶室を覗く。接客中の方丈
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by tozanji | 2002-12-03 11:51 | 雲水日記

雲 水 日 記 1

雲 水 日 記    川 上 雪 担 


   一、大光照山師に就いて

 出家した、たいてい坊主のことは二日で覚え。衣のたたみ方お袈裟坐具の扱い、法堂所作、お経の読み方など、いっぺんで覚えぬと、「弘道さんどういうことです。」
 と叱責される。弘道という名が付いた。
 三日めから摂心だった、七日間退屈で足が痛む、たまに目のあたりちかちかして終わった。どうなるものでもない、あわよくばたって、何をどうしようという気も起こらぬ。摂心が終わると断食だった。
「そのひよわな体を修行に耐えるものにする、併せてしゃばっ気を抜く。」
 と師は云った。
 三日めにまっしろい宿便が出た。内仏にりんごがある、どうってことはない、けだるうなって七日が過ぎ、裏ごしの重湯を小カップに飲んだ。石のように思うそいつをそしゃくした後がたいへんだった、たたみ表でもなんでも食いたくなる。固形物を食ったら死ぬという。五日かけて普通食にする。師は春秋お一人で断食をするという、舌を巻いた。
 断食中血管が浮き上がる、赤ん坊のように清々として、ものみな明澄に、
「古来断食にて悟るもの多し。」
 と師は云った。こっちは悟りなんていうものではなく。 たしかに狙い通り、見違えるほどに肥った、なんせ食った、笹団子をいっぺんに十六も食った。爪が痩せて急激に盛り上がる。
 玄米食に一汁一菜、魚っけなし。
 そうして托鉢に出た。上げ手巾といって、紐を二本巻いて衣と着物をたくしあげる、手甲脚半を付けて、饅頭傘を被る、良寛さんのむかしと変わらず。行鉢を下げ鉢の子応量器を手に持つ。
 心経を唱え、一村一戸余さず回る、上がりがあると、
「財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界、平等利益。」
 と云う。お金は応量器に受け、お米は行鉢頭陀袋に受ける。ぶうらん下がって睾丸の辺りに触れる。
 師はさっそうたるもの、一村また一村競うように布施する、当時はあった100円札の乱舞、
「おまえさまだけが頼りじゃ、なじょうもよろしくな。」 といって、伏し拝む老婆、あれは浮き名を流した女とか他幾多。
 このまあすれっからしの世に、行ずるあれば信ずるありと、だがこっちは、饅頭笠、雲水笠がもっと深ければと、小っ恥ずかしいだやら、様にもならず。
 杉の林を抜けて、花の咲き乱れる村があった。
 修行なんぞいい、飯だけは食えてこんなところに一生をと、どうしておれはと、どっと草臥れて思う。
  
  僧我や  笠をさへ
  破れほうけて  衣の裾も  
  けだものの  破れては 
  おのれやすらへ  月のしずくに
  花の辺りに  たでの花咲く

 得度式はみじめであった、弟がいた、費用は母親が持った、一人きりになる母親を弟に押しつけて、好き勝手ばかりしていた兄の、世間放棄、
「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。」 
剃髪の偈の、万分の一の意をも知らず、
(好き勝手の延長を許し難い。)
 という、おのれのむじなのような、写真の面を忘れぬ。母子三人の記念撮影、
「なんだこりゃ。」
 墨染めに袖を通して弟は呆れた、着物二つはたっぷりある。
 戒を授かる、帰依仏法僧、三聚浄戒、十重禁戒は第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒等他は一先ず、殺すなかれという、では一瞬も生きられぬが、
「汝よく保つや否や。」
 と云われ、返事ができぬ、
「よく保つ。」
 と云い出て式終わる。
 早朝四時に鐘をつく、
「観世音南無仏、与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁、常楽我浄、朝念観世音、暮念観世
音、念念従信起、念念不離心。」
 という十句観音経を唱える。五時暁天坐、六時朝課、なむからたんのと、おれがお経を読むかと思えば、吹き出す。
 粥坐朝食。夕は晩課あり日々繰り返す。作務衣というもんぺと筒袖を着て、内外の掃除草をむしる、またよく使いにやらされた。
 人が来る信者が来る、それらしい言い種、ありがたいというのであろうか、いいことしいが猫を被るよりなく、(なんでこのようにーこれが仏法僧宝。)
 ではおれは異物だ。
 うすかわ饅頭のようにふいに食み出す。
 生活は楽しくなくもなかった、早朝に起きて単調な繰り返し、どうしようもない都会暮らしが、完全にストップする。
「なにごとも如法にしていればいいのです。」
 というのが師の口癖だった。

  日は上り  日は上り
  月は廻らへ  月は廻らへ 
  檻の中  あっぷらけ
  きつねたぬきぞ  今生我は     
  なんじょう歩く    なんの形ぞ  

 不立文字、直指人身見性成仏。
「まずもって見性せねば。」
 と師は云う。見性とはなんだ、深題深題して行って、心意識の途切れる、
「本地風光という。」
 他に帰りつく所はない。
 そうであろうか、そういうことならかつてあった、
(破れほうけが、帰ろうたって不可。)
 藁をも掴む思いで仏教という、出家はしたが。
 ともあれ、
(あわよくば。)
 とて坐るには坐る。
 月初めに摂心がある、止静という四0分坐って柱開という二0分休みを、暁天四時から開枕という就寝九時まで繰り返す。七日間。粥坐朝課斎坐という昼飯、薬石はあまりものを雑炊にする、食事のあとは休憩がある。晩課は省く。足が痛いだけの、慣れるにはどうやら慣れつく。
「どうせ秋には安居する、どういうものか見学して来なさい。」
 師は云った。福井県小浜市発心寺僧堂の摂心に行く。
発心寺大雲祖岳老師の、師は八名ある印下底嗣法のお弟子であった。
 見性当時の写真がある、光溢れんばかりの威風、
「これは。」
 と目を見張る。
 今はどうかという、痩せられて。
 饅頭笠を抱え、托鉢行脚の姿に長い列車の旅だった。そいつは弁当を食うさへ、しゃちほこばって。
 霊松山発心寺という、名にしおう見事な松であった。 初の僧堂摂心は参った。足は痛むどうもならん、どうかして逃げ出してくれようと、三日めから楽になる。
 僧堂飯台は、寄進があって大ご馳走が出る。楽になったらにむさぼり食う、
「ろくすっぽ坐らんと、いい年こいてごっつぉばっかり食いよる。」
 単頭和尚口宣は痛烈。
 見性と云い大悟徹底という、二通りあるように聞こえ、良寛和尚は見性なんてじゃない、
(良寛さんは。)
 と真似るにつけどっ白け。大雲祖岳老師は既に遷化して桂巌雪水老師が跡を継ぐ。
蟹のように横幅のある、品があり優しい音声。
 提唱を聞いて、
(あれは批評だ。)
 批評ならお手のものと、それがちんぷんかんぷん、
(仏教というのもあるものか。)
 とて、帰りの列車に、因果無人という語を思う、
「人のとやこうがいらんというのか。」
 ひょっとそれなら救いがある。
 と見こうみする人の面が、とつぜんのっぺらぼう。

  何をなす  何をせん
  貪り食らひ  飲んでは食らひ
  物まねの  物まねの
  因果無人と  忘れほうけて
  のっぺらぼうの  因果応報 

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画像の出典  2003年10月/静岡県天竜市 早朝の玖延寺
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by tozanji | 2002-12-03 11:50 | 雲水日記