2005年 02月 14日 ( 1 )

第九則 南泉斬猫

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 衆に示して云く、滄海をテキ翻すれば、大地塵の如くに飛び、白雲を喝散すれば、虚空粉のごとくに砕く、厳に正令を行ずるも猶ほ是れ半提、大用全く彰らはる如何が設説せん。

挙す、南泉一日東西の両堂猫児を争う。南泉見て遂に提起して云く、道ひ得ば即ち斬らじ。衆無対。泉猫児を斬却して両断と為す。泉復た前話を挙して趙州に問ふ。州便ち草鞋を脱して頭上に戴いて出ず。泉云く、子若し在らば恰かも猫児を救い得ん。

 テキは足に易てきほん足で蹴ってひっくり返す、まあこのとおりに大地微塵虚空粉砕ですか、ついの今まで自縄自縛のがんじがらめを、ぶった切りぶち抜いて清々の虚空なんですが、虚空といってなをおっかぶさっているものを粉砕する、これ大言壮語みたいですが、実感としてこんなふうです。でもまだ半提、半分だと云うんです。全提正令の時如何。大用はだいゆうと読む、用ようとゆうと読みがあって、ゆうと作動するふうです。大用現前軌則を存せずなど。南泉普願、馬祖道一の嗣、趙州真際大師禅宗門ナンバー一といわれるそのお師匠さん。
 東西両堂は、今でも東序西序と別れて、法堂に並びます、そうしたほうが便がよかったというだけのこと。まあこれは禅堂でしょう、猫が迷い込んで来た、猫に仏性ありやまたなしやですか、東西に別れて喧々がくがくやっておった。だれあって悟りたい、仏たるを覚したいんです、その辺のあひ争うです。南泉これを見て、提起猫をとっつかまえてもって、道いえば即ち斬らず、云ってみろっていうんです。
 一応機は熟したと思ったんでしょう、だのになんにも云わん、仕方なし猫ぶった斬った。夕方他出から帰って来た趙州にこれを挙す、再来半文銭というやつが、残念であったんです。趙州ぞうりを脱いで頭にのっけて出て行く。ああおまえさへいりゃ猫切らずにすんだものを、というわけです。
 どうですか半分を望んで猫を切り、大用現前、なんで頭の上に草履をってわかりますかこれ。わかったら三十棒わからんも三十棒、ああわかった頭上に頭を按ず、世の中どろんまみれの草履を云々、アッハッハこいつもついでに三十棒。猫を斬る。
 なんていう野蛮なという、うっふっふ、てめえの腕ぶった斬って差し出したやつもいたんです、云えと云われて云えるか、くだくだ能書きしてないで、大用現前如何が施設せん、さあ思い切って捨身施虎です。物まねじゃないんです。

頌に云く、両堂の雲水尽く紛弩す、王老師能く正邪を験む。利刀斬断して倶に像を亡ず。千古人をして作家を愛せしむ。此の道未だ喪びず。知音嘉みす可し。山を鑿って海に透すことは唯り大禹を尊とす。石を錬って天を補ふことは独り女カを賢とす。趙州老生涯有り、草鞋頭に戴いて些些に較れり。異中来や還って明鑑。只だ箇の真金沙に混ぜず。

 なんとまあ長い頌ですな、紛は糸の乱れる、弩は弓ではなく手、手を引っ張りあうこと、この事主義主張に堕すありさま。見りゃわかるってのをさ、群盲象を撫でるんです。王老師は南泉の俗姓が王氏です、正邪を験むとは、どうですか、おまえがいいおまえは悪いじゃないんでしょう、利刀裁断、ともに失うんです、これできなくっちゃそりゃ仏と云はれんです、いたずらに紛糾するっきりです。
 幸いにこの道未だ滅びず、はい今もなを確固たるもんですよ、まったく納まるんです。これを愛す千古の知音よみすべしです、一箇半箇妄を開くことは、多数決民主主義じゃないです、もとはじめっからのありよう、帰家穏坐。
 中国は大河を収める=王という伝えあって、禹は黄河の氾濫を治めて大功があった、南泉に比する、なにさまた大仰な。じょかカは女に過のつくりです、戦禍によって折れた天柱を補って、天の四極を立てた賢人ですとさ。趙州に当てます。猫斬った不始末をおさめたわけです。
 生涯あり、はいこの則はこれに参じて下さい。俗流生涯座右の銘とは関係ないですよ。生涯ありなんのあとかたもなし。異中来や却って明鑑、正中来や却って明鑑、真金沙に混ずという、成句になっていてよく使います。でもこれ沙に混ぜず。
 頭の上に草鞋のっけてなど、だれあってできるこっちゃない、救い得て妙。趙州のあとくっついて行ったって、些些にもあたらんですよ、些細というたいしたもんだ、舌を巻くと使う、禅門常套句ですか。


画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
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by tozanji | 2005-02-14 00:00 | 従容録 宏智の頌古