2005年 02月 23日 ( 1 )

第十八則 趙州狗子

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 衆に示して云く、水上の葫蘆按著すれば便ち転ず。日中の宝石、色に定まれる形無し。無心を以ても得るべからず、有心を以ても知るべからず。没量の大人語脉裏に転却せらる、還って免れ得る底有りや。

挙す、僧趙州に問ふ、狗子に還って仏性有りや也た無しや。州云く、有。僧云く、既に有れば、甚麼としてか却って這箇の皮袋に撞入するや。州云く、佗の知って故さらに犯すが為なり。又僧有り問ふ、狗子に還って仏性有りや也た無しや。州云く、無。
僧云く、一切衆生皆仏性有り、狗子什麼としてか却って無なる。州云く、伊に業識の有る在るが為なり。

 葫蘆ひょうたんのこと、巌頭の示衆に、「若し是れ得る底の人は只だ閑閑地を守って、水上に葫蘆を按ずるが如くにあい似たり。触著すれば即ち転じ、按著すれば即ち動く。」 と、まあこりゃこういうこってすが、人にうちまじって、あいつは奇妙なやつだなあと云われる所以です、アッハッハ混ずるときんば所を知ると、しょうがないこってすか。日中の宝石形定まらずです。あるとき無と云いあるとき有と云う。これなんぞ。
 矛盾しているのはそりゃあなたの方です、人間ものみな没量なんでしょう、自然数を立てる数学ができる、そんなものもってるのは人間だけ、だから人間は万物の霊長ですか、うさんくさい面倒ことってね。
 数学あろうが物理学だろうが、出入り自由、もとっこ免れてあることを知る、それがなかなかです、大統一理論だのこのごろ流行らんですが、ついに不毛を知るのになんというもって回った、アッハッハ科学もようやく十二歳ですか。観念不毛ですったらさ。はいひょうたんに学んで下さい。
 趙州狗子は右禅問答代表ですか、泣く子も黙るってには、みんなそっぽを向きっぱなし良寛さんという誤解の集積回路や、達磨さんという七転び八起き、どうもこりゃ本式に門を叩こうという人にとっては、じゃまになるっきりの、アッハッハ宗門威張儀即仏法よりいいか。
「むー」とやってごらんなさい「うー」とやってごらんなさい、どう違いますか、通身消えてうーむーですよ、うぐいすでさえホーホケキョ、かわずでさえかーんと鳴くのに、自分に首をつっこみ、やれ世の中どうだ、キリストさまだなぞだーれもやってない。
 花は花月は月花は花とも云わず月は月とも云わず、大安心大歓喜天地宇宙かくの如くありって、一生にいっぺんでいい、生まれ本来に立ち返って下さい、一切衆生悉く仏性あり、煩悩覆うが故に知らず、見ずと、ねはん経にある如く、水の中にあって渇と求めるが故に、趙州あるときは無、あるときは有と接するんです。
 有と応じて、なんで仏を皮袋に入れているんだと聞く、はいおまえさんの皮袋脱いで下さい、ほうら仏。知るという省みるという、世間=皮袋の故にですか、狗子のことなんぞ云ってないですよ、知=犯すおまえという覿面に来るんです。有と応ずる、なにゆえにという、そうさ業識にとらわれているおまえさんだというんです、これが蛇足たいして足しにゃならんけどさ。
 ちなみにわしとこ一応卒業は、かあでもホーホケキョでも云い出でたら是、アッハッハさあやって下さい。

頌に云く、狗子仏性有狗子仏性無。直鈎元命に負むく魚を求む。気を遂ひ香を尋ぬ雲水の客。そうそう雑雑として分疎を作す。平らかに展演し大いに舗舒す。怪しむこと莫れ儂が家初めを慎しまざることを。瑕疵を指点して還って璧を奪ふ。秦王は識らず藺相如。

 狗子は申し遅れました犬です、犬に仏性質有りやまた無しや、そうそう(口に曹)ぞうぞう騒がしいんですよ、落着のところなし、気を遂い香を尋ねる雲水です、答えを得てはたしてどうなるんですか。疑問の延長上に予測したなにがしかという、世間一般回答じゃそりゃなんにもならんです。よって云く無、無字の公案です。直鈎まっすぐの針で命令にそむく魚を釣るんです。これ周の文王猟に出て姜子牙という人に会う、水を去ること三尺、直鈎にして魚を釣る、あやしみて問えば、ただ命に背くの魚を求むと。直鈎でなけりゃ釣られん人ってわけです。アッハッハ釣れんのですよ。
 平らかに展演は大手を広げたって狭いとほどに、仏にあらざるはなし無です。まっぱじめっから無と行く、有と来るんです、能書きなしもっとも親切、取り付く島もなし=仏教を知って入門です。はいどこまで行っても取り付く島もないです。史記にあるという、趙の恵王楚の和氏より璧、玉です、を得たという、秦の昭王十五城をもって之に易う、姜相如璧を奉じて秦にいたる、璧をもってきたら美女を侍らしみなして万歳とやった、姜相如これは城をくれる意志なしと見て、玉にきずがあるちょっと見せてくれといって、取り返す云々です。これはまあ無といい、有といってのちの、佗の知るが故に犯す、伊に業識のあるがためなりの蛇足を頌すんです、きずを指摘して玉を奪う、美食飽人底の喫する能はず、首くくる縄もなしに失せて玉露宙に浮かぶんです、これを摩尼宝珠。


画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
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by tozanji | 2005-02-23 08:41 | 従容録 宏智の頌古