2005年 02月 28日 ( 1 )

第二十三則 魯祖面壁

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 衆に示して云く、達磨九年、呼んで壁観と為す。神光三拝、天機を漏泄す。如何が蹤を掃ひ、跡を滅し去ることを得ん。

挙す、魯祖凡そ僧の来たるを見れば便ち面壁す。南泉聞きて云く、我れ尋常他に向かって、空劫以前に承当せよ、仏未だ出世せざる時に会取せよと道ふすら、尚ほ一箇半箇を得ず。他恁麼ならば驢年にし去らん。

 菩提達磨大和尚壁観婆羅門という面壁九年、神光慧可腕を切って差し出して、天機を漏泄す、ようやくこの法が伝わった。如何が蹤をはらい、跡を滅し去ることをえん、天機です、もと備わったものが完全に現れる、個性とか信仰などいう都合便利の品ではない。祖師西来意これを伝えるに、命幾つあっても足りんほどの鳴物入りですか、とうてい忘れることはできんというのです。そうです、まったく忘れ去って初めて庭前の柏樹子です、真似して坐ったってどうにもほど遠いんです。だがこやつ平成のわしが辺までちゃーんと伝わっている、如何が跡を滅し去ることを得ん、人間失せたろうが地球分解しようが、大法はちゃーんとあるんです、すでに中にある無門関。
ついには仏法のぶの字を払拭しないことには、これが見えんです。
 魯祖実雲禅師、馬祖道一の嗣、おうよそ僧の来るのを見れば面壁す、南泉これを聞いて、わしは世の常他に向かって、空劫以前に参ぜよ、ビッグバンなぞ汚い手つける以前に承当です、仏未だ出世せざる時に会取せよといって、なを一人半分も仏にゃならん、もしそんなふうなら驢年にも、ろばの年なんてないです、得ること能はずと云った。わかりますかこれ、どう説こうがなにしようが、とっつきはっつきする、匙投げたろうが諦めない、さあこやつをどうする。
 香巌一を聞けば十を知る明敏です、何を云ったろうが答えがある、これなんにもならん、師匠が、父母未生以前のおまえさんの眉毛如何と聞いた、さあわからなくなった。空劫以前です、香巌これしきわからんでは、とうてい坊主になってはおれんといって、じいごです、寺男になって庭を掃いておった。毎日毎日掃いていた、あるとき掃いた石が竹に当たってかんと音を立てた、これによって省悟するんです。大丈夫畢生事と選んだ僧を捨てる、命を捨てると同じです、腕一本切って差し出すとほどに。そうして庭を掃く、掃くきりになって忘我です、爆竹の機縁によって、はあっと一念起こる、父母未生以前の眉毛があるんです。
 何をもってこれを示す、実に単純な理屈をどうにもこうにもです、師弟同じく刀折れ矢尽きるんです、空劫以前承当と魯祖面壁とどう違いますか、誉めてるんですか、けなしてるんですか、取り付く島もないのはどっちですか、えい人のことなど云ってられんは、一箇半箇なんとかならんか。

頌に云く、淡中に味有り、妙に情謂を超ゆ。綿綿として存するが如くにして、象の先なり。兀兀として愚の如くにして、道貴とし。玉は文を雕って以て淳を喪し、珠は淵に在って自ずから媚ぶ。十分の爽気、清く暑秋を磨し、一片の閑雲、遠く天水を分つ。

 坐って得られるところのものです、虚空に捨て去る自分です、失われ淋しい、なんにもなくなってしまうじゃないかという、それを一歩も二歩も推し進めるんです、ついに失せる、淡中に味ありです、情識を超えて微妙です。大死一番大活現成とはいったん死んだら蘇らないんです、宇宙ものみなとこうある、喜びは自ずから、親切他なし、かくの如く相続して、象かたちの先です。兀兀として愚の如く、道を専一です。
文選第十七陸機の賦に日く、石、玉を蘊んで以て山輝きあり、水、珠を懐いて川媚ぶ、とあり、まあそのとおり味わっておきゃいいです、そりゃ自ずから現れます。たとい魯祖面壁も世間一般とは断然違うです。美しいというと思い出すのは、老師の真っ白いひげでした、すぐ剃ってしまわれるんですが、清々この上なし、見る人洗われるようであったです。十分の爽気清く暑秋を磨し、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵すとある、一片の閑雲遠く天水を分つ、混ずる時んば所を知るんです。なんだかんだ云ってないんですよ、早くぶち抜いて、人々みな本地風光です。

画像の出典  2004年・津軽/方丈の旅の記録より
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by tozanji | 2005-02-28 10:07 | 従容録 宏智の頌古