2005年 03月 04日 ( 1 )

第二十七則 法眼指簾

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 衆に示して云く、師多ければ脈乱れ、法出でて姦生ず。無病に病を医やすは以て傷慈なりと雖も、条有れば条を攀ず、何ぞ挙話を妨げん。

挙す、法眼手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼云く、一得一失。

 師とは医師のこと、医者多くして脈乱れとは世の中まずはそういうこと、法出でて姦生じ、法律です、法無ければ姦なしという、どうですか姦とは姦通罪外みなです、法無ければ姦ないんでしょう、かえりみて下さい。これはまあ法眼指簾について、とやこう云いたくなるところを喝したんですか。法眼宗の祖清涼文益禅師は地蔵桂しんの嗣、不知もっとも親切と云われて大悟する因縁は前出。簾すだれを指さした、二人の僧が立って行って、すだれを巻く、これを見て一得一失と云った、無病に病をいやすは傷慈、老婆親切ですか、なんで一得一失なんだ、それはA坊主ができていて、B坊主がいまだしだからだ、あるいはせっかく涼風を入れようとしたのに、一得一失があった、まがきの外を示すのに、条令条あれば条をよずんですか、かれこれ云い分があるのを、一得一失、まるっきり取っ払うんですよ。しゃば世界ひっかかりふわっと消えて、そうかあというんです、うわっと世界ぜんたいです、無所得です、自分という取りえ失せるのを体現して下さい、でなければ法眼せっかくの親切が、なんにもならんです、ハイ。

頌に云く、松は直く棘は曲がれり、鶴は長く鳩は短し。羲皇世の人倶に治乱を忘る。
其の安きや潜龍淵に在り、其の逸するや翔鳥絆を脱す。祖ねい西来して、何んともすること無し。裏許得失相ひ半ばす。蓬は風に随って空に転じ、紅は流れを裁って岸に到る。箇の中霊利の衲僧、清涼の手段を看取せよ。

 松直棘曲鶴長鳩短、一長一短これはこの通りなんですが、楞厳経にこうあるそうです、松は直く棘は曲がり、鶴は白く烏は玄し、荘子にまたあり、長者は余り有りとせず、短者は足らずとせず、是故に鳩の脛は短しと雖も之を続ぐときは即ち憂ふ、鶴の脛は長しと雖も之を断つときは即ち悲しむと、なんだかちんぷんかんぷんです。
羲皇は中国伝説の理想王三皇五帝です、人みな治乱を忘れるとほどに、治世が行き渡っておった、うっふっふ常この目の当たりの世の中ですよ。これをなんとかしよう、我と我が身を如何せんといって、仏門を叩く、生老病死苦を如何せんという、その逸するや翔鳥群れを脱するんですか、なんにもせなけりゃ潜龍淵にあるんですか、祖ねいのねいは示すへんに爾、親廟のこと、即ち祖師西来意と同じ、せっかく達磨さんがやって来たって、如何んともすること無し。どうですか、世間しゃばとして考えて、二通りありますか。なにも変わらんという、無老死亦無老死尽、無無明亦無無明尽、却来して世間を看ずれば、なを夢中の事の如しですか。よもぎというか草の穂は風にしたがって空に転じ、紅は流れに落ちても鮮明に岸に到る、一得一失まさにこれ。裏許は中国のこと、なんせ中国以外ないんだからさ、得失あい半ばすとはだれのこれ感
慨ですか。霊は幽霊というどっちも形容詞で、微妙幽玄というのは、自分失せてものみな現ずるありさまです、そうなった人はさあどうしますというんです。どうか答えを出して下さい。


画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-03-04 00:00 | 従容録 宏智の頌古