2005年 03月 09日 ( 1 )

第三十二則 仰山心境


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 衆に示して云く、海は龍の世界たり、隠顯優游、天は是れ鶴の家郷、飛鳴自在。甚んとしてか困魚は櫟に止まり、鈍鳥は盧に棲む。還って利害を計る処ありや。

挙す、仰山僧に問ふ、甚れの処の人ぞ。僧云く、幽州人。山云く、汝彼の中を思ふや。僧云く、常に思ふ。山云く、能思は是れ心、所思は是れ境。彼の中には山河大地楼台殿閣人畜等の物あり、思底の心を反思せよ。還って許多般ありや。僧云く、某甲這裏に到って総に有ることを見ず。山云く、信位は即ち是、人位は未だ是ならず。僧云く、和尚別に指示すること莫しやまた否や。山云く、別に有り別に無しというは即ち中らず、汝が見処に拠らば只一玄を得たり、得坐披衣向後自ずから見よ。

 水たまりの雑魚やってないで、龍と化して自在に大海を泳げ、蘆中の鈍鳥してないで、鶴になって天を家郷とせよという、困魚は小魚、櫟は木でなくさんずいで水たまり。これ言句上、あるいは仏教思想という二次元平面です。実際ではない。どうしても漆桶底を打破してこれを得にゃ役立たんです。そこをまずもって見て下さい。
かえって利害を計るところたりや、まさにこれです、どうしようもこうしようもなくているんです。弟子が本山へ行くその日、父親がなくなって急遽実家へ帰った、わしに葬式してくれという、行くと、父親は安楽に死にあれこれ幸せであったという、ばかったれ、そいつは沙婆の人間のいうこった、なんぼ坐っても悟りの悪いやつ。
 仰山きょうさん慧寂禅師、い山霊祐の嗣、僧に問う、どこの人かと聞く、僧は幽州人ですと云う。汝彼の地を思うか、常に思う、このばかったれとわしはやっちまう、出家して何が故郷だ、たといどこほっつき歩こうが、到るところ即ちこれ、即ち得坐披衣向後自ら看よ、坐ったり衣を着てものをなす、他にはなんにもない、親しく万万歳を知る。それが仰山慧寂禅師ともなると、これが親切、彼中山あり河あり楼閣ありするだろうが、よく思うはこれ心、かれこれ思い浮かべるは境、その思う我を省みよという、思うというは如何と問う。あれこれあるもんじゃない、いいかと云うんです。僧云く、いえ、そのとおりだと思います、たしかに他にはないんですと云う。そいつは信位、あるべきことは知っている、だが仁位、おのれのものになってはいない。僧云く、和尚他に指示すること莫しやまた否や。別にあるなしのこっちゃない、汝が見処只一玄を得たり、かくあるべしと知って、ちらとも悟るんです、たしかに雑魚とは違う、存分の力量なんでしょう、でもどっかつながっている、生活になってないんです、彼岸を見ながら此岸にいる、一喝するに得坐披衣向後自ずからです。

頌に云く、外るること無うして容れ、礙ゆること無うして沖る。門牆岸岸、関鎖重重、酒常に酣なはにして客を伏せしめ、飯飽くと雖も農を頽す。虚空に突出して、風妙翅を搏たしめ、滄海を踏翻して、雷游龍を送る。

 法華経にあるという、親友の家に行き酒に酔うて伏す、親友官事に赴くにあたって宝珠をその衣に繋ぐ、酔い伏してかえって覚えぬ如くと、思想の酒に酔うという、世間では哲学宗教理想主義という、かえってその中に宝珠のあるのさへ気がつかぬのです、門牆しょうは垣根ですか、岸岸がんがんと読むとぴったり、関鎖重重です、一個人とはまさにこれ、おのれなにものであるかという、皮袋厳重にして、はっは糞袋てなもんで、食い飽きて農をたおす、頽は頁ではなくて貴です、頭の禿げたるさまですとさ、人の一生はかくの如し。いや人類史もさ。ではこれをぶち破って下さい。
自分という内も外もないんです、自縄自縛のがんがんじゅうじゅうを解いて下さい、礙ゆることのうして沖る、玉露宙に浮かぶんです、そうしてもって風力の所転ですか、金翅鳥は翼を開けば三十六万里という、龍を食う鳳凰ですか、いやいかん龍も出て来る、とにかく鳳凰と龍で決まり、たしかに自分に首を突っ込んで、ついには練炭火鉢じゃあんまり情けないです、色即是空却り見るに我なし、虚空に突出して、本来人の自由を味わって下さい。


画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-03-09 00:00 | 従容録 宏智の頌古