2005年 03月 29日 ( 1 )

第三十六則 馬師不安

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 衆に示して云く、心意識を離れて参ずるも這箇の在るあり、凡聖の路を出でて学するも已に太高生。紅炉併出す鉄しつり、舌剣唇槍口を下し難し。鋒鋩を犯さず試みに乞ふ、挙す看よ。

挙す、馬大師不安、院主問ふ、和尚近日尊位如何。大師云く、日面仏月面仏。

 馬大師、馬祖道一禅師は南嶽懐譲の嗣、容貌奇異にして牛行虎視舌を引いて鼻を過ぐとある、人気があった。すでに天寿を悟って病の床に伏す。院主お寺の事務を司る役目ですか、不安、四大不安病のことです、近日ちかごろどうですかとお見舞いです。馬大師云く、日面仏月面仏。馬大師は仏祖の最大級ですか、わしがこんなこというと顰蹙ですが、ばあさんがナムと名付けたどえらい猫がいた。半分山猫でうさぎややまどりなど取って食っていたが、甘えん坊のくせに山門を出ると知らん顔する、四キロ四方の雌猫を孕ませた。死ぬ三日前にわしがもとへ来て、水を含ませると飲み、それも取らなくなって終わる。荘厳であった。仏になっている、日面仏月面仏というと、申し訳ないこってすが、ナムの目を思い出す。
 空華なし第二月なし、生縁既に尽きてというんですが、もとわれらは浮き世南閻浮提に四大もてこうある、本当は如来とてきわなく時空を超えるんです、自覚乃至無自覚とはこれ、元に帰るんです。きれいさっぱり化縁すでに尽きるんです。それゆえに、心意識をはなれて参ずるも這箇ありと、凡聖の路を学するも太高生高尚なこったと、振り返り見るんです、アッハッハがんばって下さいってね。てつしりとは実に三角のとげのあるハマビシ人を刺す、鉄で作り紅炉に焼いて用いる武器、手も足も出ないってことです。
 此岸のあくせくですか、だれか仏教などやるより自殺すりゃいいといった、今の人の考えそうなこったが、あほらしいってより、たとい大死一番大活現成も、生きた人間のするこってす、生死を明きらむるは200%生きです。自殺したら生まれ変わってまた選仏場です。どうもならんこと云ってないで、剣槍鋒鋩ひとしきり、なにをこれ200%とやって初めて得べし。でなくば沙婆というビールの泡。

頌に云く、日面月面、星流れ電巻く。鏡は像に対して私無し、珠は盤に在りて自ら転ず。君見ずや 鎚の前百練の金。刀尺の下一機の絹。

 日面月面と云って、電光石火星流れ電巻くだけ余計のようなんですが、どの道人間には届かぬスピードです、感知できない。宝鏡三味とあるように、悟ったという人間本来のありようです。身心まったく失せてものみなです。すると像に対して私なし、形影あい見るんです。汝これかれに非ず。どうしてもこうならんきゃそりゃ仏教とは云われんです、坊主の説教、呆れてだれもまともに扱わんですか、学者にしろ世間一般にしろ、自分という迷悟中をもって迷悟中をさらけ出すだけで、たといなんにもならんです。光前絶後の事、玉露宙に浮く、ものみな尽くし切ってののちです、玉は盤上自ずから転ず、自分というなにかしら影のあるうちは駄目です。でんは金に占
でかなばさみ、てんかん押さえる方で、鎚は打つ方です、百戦錬磨の馬大師ですか。
すなわちそいつの彼岸です。刀一尺の下一機の絹という、もとなんにもないんです、大衆一万五千もふっ消えて清風。

画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-03-29 14:47 | 従容録 宏智の頌古