2005年 05月 30日 ( 1 )

第六十則 鉄磨し牛

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 衆に示して云く、鼻孔昴蔵各丈夫の相を具す。脚跟牢実、肯へて老婆禅を学ばんや。無巴鼻を透得せば、始めて正作家の手段を見ん。且らく道へ誰か是れ其の人。

挙す、劉鉄磨い山に到る。山云く、老し牛汝来るや。磨云く、来日台山に大会斎あり和尚還って去らんや。山身を放して臥す。磨便ち出で去る。

 劉鉄磨はい山霊祐の嗣、自らを水こ(牛に古)牛となし劉尼をし(牛に字ーめうし)牛と呼んだ。鉄磨は鉄の臼生仏凡聖をすりつぶしちまうをもっての仇名、とにかく機峰鋭いことはそこらへん坊主の比じゃなかった。女というのはなにやらしても、喧嘩碁っていうか情け容赦もないとこあって、アッハッハさすがい(さんずいに為河の名)山も、身を投げ出してがばっと臥すほかないのがおかしい、おう来たか老し牛、牛というのはむかしから山のようにのっそり、雲衲の姿そのまんまです、牛と牛の挨拶ですか。すると五台山に大会斎があるが行くかという、文殊菩薩出現の霊山ですか、そりゃえらい人方いっぱい、お釈迦さんも来なさるんですか、おい行くかという、うん行くといってすましこんでいると、鉄磨の痛棒食らいますか、おまえどうすると聞いても、拳骨が飛ぶ、うっふっふ面白いですね、磨すなわち出で去る、用事おわったんでもう用なしです、老婆禅はたしていずれにありや、孤俊他に比べるなく、万万歳なることは始めて作家を見ると。無巴鼻とはどことっつかまえてこうじゃない、目鼻なしです、生死の中に仏あれば生死なし、自分といううやむや葛藤に如来あれば自分なしです、どうか早くこれを得て下さい、これが師弟の葛藤うやむやですか、物そのものですか、あるいはこれなんの事件ですか、よくよく見て取って下さい。多少は得るとこあるんですか。

頌に云く、百戦功成って太平に老ふ、優柔誰か肯へて苦(ね)んごろに衡を争はん。
玉鞭金馬、閑に日を終ふ、明月清風一生を富む。

 百戦功なって太平に老ふ、というのはい山鉄磨の間柄ですか、世間事に就いては一将功なって万骨枯るですか、禅問答機峰鋭くをひょっとして、そんなふうに思っていませんか、つまらんです。自分というのを天地宇宙に返還してしまって下さい、穏やかにして優柔誰かあえて衡を争わん、三国史にある合従連衡の策を挙げるんですが、どうもそんなことではなく、大法にかなっているか、おれが勝ったおまえ負けたってことではないというんです、木の芽吹くように春である、緑影さわやかに五月という、ここをもって何をあげつらい、何を切磋琢磨かというんです、苦はねんごろと読むらしい、自分というはみだしものを、叩き伏せる、あるいは絶えずそういうこと
あって、箇の大海三味です、自分という法海一切です、他になんにもありゃしない、玉鞭金馬い山劉鉄磨丁々発止ではないところを見て下さい。用事終わったら帰るんです、まったくそれっこっきりにする、これすばらしいんですよ、閑に日を終わるんです。だれかこれできるものありますか、明月清風一生を富むと、一人こうあり二人あり、十人あって祇園精舎、あるいは一所不定住もすなわち一生不離叢林です、劉鉄磨
という伝説をまずもって拭い去るによし。まあそういうこってす。

画像の出典  オーストラリアの野生植物/方丈の旅行記より
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by tozanji | 2005-05-30 00:00 | 従容録 宏智の頌古