2005年 07月 21日 ( 1 )

第八十三則 道吾看病


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 衆に示して云く、通身を病と做す摩詰癒え難し。是れ草医するに堪えたり。文殊善く用ゆ、争でか向上の人に参取して、箇の安楽の処を得るに如かん。

い山道吾に問ふ、甚麼の処より来たる。吾云く、看病し来たる。山云く、幾人有って病む。吾云く、病者と不病者とあり。山云く、不病者は是れ智頭陀なること莫しや。吾云く、病と不病と総に他の事に干らず、速やかに道へ速やかに道へ。山云く、道ひ得るも没交渉。

 道吾山円智禅師は青原下三世薬山惟儼の嗣、頭陀は僧侶のこと、智頭陀=道吾。い(さんずいに為)山の霊祐禅師は百丈懐海の嗣。いずれのところより、どこから来たというんです。看病して来た。幾人あって病む、いえ病んでるのと病んでないのといる。自分の生み出した思想分別にしてやられる、そりゃ病気です、声色の奴卑と馳走すという、本末転倒事です。苦しいしめったやたらだし、なんとしても看病せにゃならん、楽にしてやりたい。へいそうかいというんです、不病者ってのは智頭陀おまえだというんじゃないんかい。えっへえそうだなんてにはひっかからん。なにを云う、病だろうが病でなかろうが、総に他事にはかかわらず、病に会えば病きり、おれがどうのなと余計なお世話ですか、病と健康と引き比べてってのは無駄こと、病来たれば病よろしく、まあそういったわけです。さあ云えすみやかに云え。うっふたまげたやつだ、わかったわかった云い得るも没交渉、そっちの参考にはなりそうもないよ、かってにやってくれ、のこっとてめえを丸ごと放り出したんですか、担いで行く必要のないのが味噌、たいていここに至っても奪うしかないんです。

頌に云く、妙薬何ぞ曾って口に過ごさん、神医も能く手を捉うること莫し。存するが如くにして渠本無に非ず。至虚にして渠本有に非ず。滅せずして生じ亡びずして寿し。全く威音の前に超え、独り劫空の後に歩す。成平や天蓋ひ地ささぐ、運転や烏飛び兎走る。

 どんな妙薬も役立たず、神医も脈を取れず、どうですこれ糠に釘、言語によらずノウハウではないといいながら、坐る人必ずやるんです。どうあってはならぬ、どうあるべき、おれはだからという。殺し文句の世界ありお経あり色即是空だのです、ついに刀折れ矢尽きるんです、お釈迦さまと同じ菩提樹下に坐す以外になく。存するが如く渠本無にあらず、至虚にして渠本有にあらず、アッハッハ糠に釘これ、でもってそいつの皮一枚剥がれるんですか、なんて云うてみようもない、絶学無為身も蓋もなしにこうある。滅せず生ぜず云々これ、まさにかくの如しの千変万化、なにあろうが生活日常これ忘我です、他なんにもいらんを味わって下さい、たといどんなことあろうと、平成や天おおい地ささうです、これなんぞ。運転日月、金烏が太陽玉兎が月。
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by tozanji | 2005-07-21 00:00 | 従容録 宏智の頌古