2005年 07月 22日 ( 1 )

第八十四則 倶てい一指

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 衆に示して云く、一聞千悟、一解千従。上士は一決して一切了ず。中下は他聞なれども多く信ぜず。剋的簡当の処試みに拈出す看よ。

挙す、倶てい和尚凡そ所問あれば只一指を竪つ。

 倶てい詆の言の代りに月、金華山倶てい禅師、天竜和尚の嗣、初め天台に庵す、尼あり実際と名ずく、到来して笠をいただき師をめぐること三匝し、道いえば即ち笠をとると、三たび問うに倶てい無対。際すなわち去る。日が暮れたで宿れと云ったが、道いえば宿ろうといって去る。我丈夫の形すれども丈夫の気なし、即ち庵を捨てて諸方に参学しさらんとするに、山神告げて云く、ここを去ることなけれ、まさに大菩薩来たって汝がために説法せんと、日ならずして天竜和尚来たると。天竜一指を竪てて示す、倶てい大悟。そうしてまたこういう話もあります、小僧があって和尚のまねをして、凡そ人問うあれば一指を竪つ、呼んで仏を問うに一指を竪つ、倶ていその指を切断す、小僧号泣して去る、また呼んで仏を問う、小僧指を竪すに無し、こつねん大悟と。これよくできの話と云わずに、まさにこれよく看るにいいです。一聞千悟一解千従、もとこのとおりあって、自分という架空請求じゃないんです、一指という別ものあれば、それによって逐一する、ほおっと見るになし、わがこと一切終わるんです、さあとやこう云わずとやって下さい、中下は他聞にして多く信ぜずとは、わしもさんざ云われたです、なんのかのいっちゃどうもならん、大悟十八ぺん小悟その数を知らずとアッハッハ、でもこの語にこんないい対があったですか、上士は一決して一切了ず、いいえこれは了ぜずって読むんです。下剋上の剋は、はい辞書を引いて調べて下さい。

頌に云く、倶てい老子指頭の禅、三十年来用不残、信に道人方外の術あり、了に俗物の眼前に見る無し、所得甚はだ簡に施設いよいよ寛し。大千刹海毛端に飲む。鱗龍限り無し誰が手に落つるや。珍重す任公釣竿を把ることを。師復た一指を頌起して云う、看よ。

 これなるほどなあやってないで、自分で一指を竪起して下さい、大千世界これですか、端に破れほうけですか、ものの役に立つんですか、それとも物笑いですか、アッハッハものは味わわねばなんにもならんです、絵に描いた餅ではないのを仏教といいます。らしくの法要猿芝居の宗門は、達磨さんを殺害した仲間ですか、すでにそんな勢いはなく滅びに任せ。ほんにまあ自分を知らぬ、顧みぬ仏教なんてありえない、腐れ蛆たかれですか、でも一指頭の禅、自分を知らず顧みないんです。一指頭いずこにありや、これなんぞとおのれまったく隠れるんです、いっさい遅滞なし、手続きがいらんのです、ついに俗物の眼前に見るなし、所得簡に施設いよいよひろしというは、ハッハ俗物の側から見たんですか、端にこうあるっきりですよ。自覚いずこにありや、一指頭。しくじるときどうやってもしくじる、成功するときどうやったって成功です。任公は荘子にある、まあ中国流とてつもない大魚を釣ってなますにする話、そりゃまあそういうこってす、わしになにか特技はあるかという、なんにもできない、なにやらしてもさっぱりですか、ただこの事を知る。坐禅だけですと云います、人はまた知識あり器用あることを誇る、わしはそんなのぜんぜんいらんです、アッハッハただ一指頭。
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by tozanji | 2005-07-22 00:00 | 従容録 宏智の頌古