2005年 08月 16日 ( 1 )

第九十三則 魯祖不会


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 衆に示して云く、荊珍鵲を抵ち、老鼠金を銜む。其の宝を識らず。其の用を得ず。還って頓に衣珠を省する底ありや。

挙す、魯祖南泉に問ふ、摩尼珠人識らず如来蔵裏に親しく収得す、如何なるか是れ蔵。泉云く、王老師汝と往来するもの是。祖云く、往来せざる者は。泉云く、亦是れ蔵。祖云く、如何なるか是れ珠。泉召して云く、師祖。祖応諾す。泉云く、去れ汝我語を会せず。

 魯祖山宝雲禅師、馬祖道一の嗣、摩尼珠人知らず如来蔵裏に親しく収得すという、寒山詩にもあった、こうしてこれをもって問うところを見ると、どっかお経の文句でしょう、実知慧という般若の知慧という、そうですねえ鍛えに鍛えた打ち刃物と、水とどっちが切れる、そりゃ水なんです、もとあるものだけを扱う、これが仏教です。座禅と見性と云って、なにかしら獲得物質のようにする、それは世の中手に職であり学問履歴の社会です、これに伍して坊主はお経、葬式法要ですか、禅坊主は悟りという、そうねえこれやってたら残念ながら仏教は手に入らんです。世を捨て自分を捨ててはじめて仏です。仏という生まれたまんまの赤ん坊ですか、父母未生前の消息ですか、手つかずのありよう、これ摩尼宝珠、如来蔵裏に親しく収攬するんです、人知れずとは他の人には知られずではなくって、如来も知らんです、知る必要がない、山水長口舌の絶え間なし出放しですか、王老師南泉です、いまこうして汝と往来するものこれ、そいつを往来せざるものはと問う、これなっちゃないですか。亦蔵とでも云っておくしかない、如何なるか是れ収、師祖、はい、珠を取り出して見せたんです、しかも汝我語を会せず。

頌に云く、是非を別かち、得喪を明かし、之を心に応じ、諸を掌に指す。往来不往来、只這れ倶に是れ蔵。輪王之を有功に賞し、黄帝之を罔象に得たり、枢機を転じ技倆を能くす。明眼の衲僧鹵奔なること無かれ。

 摩尼珠のありようを、是非を別ち云々とはらしくもない、得喪は得失、とにかくまあこういったこって、じゃなにが宝の珠だ、我らみんなかくの如くじゃないかという、うっふその通りだが、宝珠になるやつと、妄想めったらにするやつとあるってこと。往来不往来ともにこれ蔵、宇宙の中心主人公ですか、用いえて妙は、輪王とは転輪聖王まさにそれ、黄帝こっちは現実生え抜きの大王ですか、上有効に賞し、下あるがまんまそのまんま使ってる200%です。罔象は盲人、まあ以下かくの如し、さあ自分でちゃんと確かめてください、そうです、妄想無明と、摩尼宝珠の違いを知って下さい、即ちそれだけが仏教、鹵奔は軽率おおざっぱなこと=思想観念の物差しを振り回すんですよ。
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by tozanji | 2005-08-16 00:00 | 従容録 宏智の頌古