2005年 08月 20日 ( 1 )

第九十七則 光帝ぼく頭

c0015568_1136248.jpg

 衆に示して云く、達磨梁武に朝す、本、心を伝えんが為なり。塩官大中を識る眼を具するを妨げず、天下太平国王長寿と云って天威を犯さず、日月景を停め四時和適すと云って風化を光らかにすることあり。人王と法王との相見には合に何事か談ずべき。

挙す、同光帝、興化に謂って日く、寡人中原の一宝を収め得たり、只是れ人の価を報ゆるなし。化云く、陛下の宝を借せよ看ん。帝、両手を以てぼく頭脚を引く。化云く、君王の宝誰か敢えて価を酬いん。

 同光帝、唐の荘宗帝同光は年号、興化存奨禅師、臨済義玄の嗣、塩官斎安禅師は馬祖道一の嗣、大中、唐の宣宗帝の年号、大中天子というその即位に当たって力があった。達磨朝梁武帝は第二則にあり、時の国王に会うことは、他の諸宗はいざ知らず、まさにこれ正道をもって一般天下に示す、もっともたること、邪宗外道の支配には、人心惨憺たること自然もまた荒廃する。もっともそっちのほうが常に圧倒的だった。一神教の成れの果て共産支配など、人間カリカチュアともいうべき、最もアメリカ支配の日本だって目くそ鼻くそ、みんな仲良く平和教などただの弊害を、いっそぽい捨てもできないでいる。無宗教なんてまずはありえない、百人が百人雑念宗教です、とっつきはっつき身動きもできないでいる。情けないったら、梁の武帝のように大なり小なり本物、本心を追い出して知らん顔が、妄想醜悪のまんま棺桶に入る。因果必然てことあってそりゃ無明ばっかりの、ちらとも光明なけりゃ国は滅びます。たいていその真っ最中ですか、ここに光明があります、よろしくよく肯うて下さい。同光帝はたいしたもんです、ちゃんと開示している、しかもこれまずはまったく報いられることのないのを知って、どうしたらいいと聞く、いいえ自分淋しいなんてけちなこっちゃない、ぼくは僕のにんべんでなくて巾、かぶと頭巾というものだそうです、脚はその紐、両手に引いてみせる、これを見て長寿無窮を、天威を犯さずですか、君王の宝だれか敢えて価を報いん、そのまんま光さんぜんで万万歳です。即ちそういうこってす。

頌に云く、君王の底意知音に語る。天下誠を傾く葵霍の心。てい出す中原無価の宝。趙壁と燕金とに同じからず。中原の宝興化に呈す。一段の光明価を定め難し。帝業万世の師となるに堪えたり。金輪の景は四天下に輝く。

 まあほんとに金ぴかの頌だことさ、そりゃまあ天子がかくの如くであったこと、史上まったく希に見るとしかいいようがなく、我国北条氏の治世の如くまったくめだたない、史家の記述の影に隠れる。ゆえに以て中原無価の宝、葵霍、かくはくさかんむりできかくひまわりのこと。趙の玉と燕の金はこれ珍宝、まあいずれ菖蒲かかきつばた、君王の宝法王の宝、大いに用いて一段の光明定め難しと。小泉の国会解散人みな右往左往、せっかく郵政民営化をひっかついで首相になったんだから、やらせてやりゃいいのに、大人げないっていうのは利権がらみ、亀井静がとって代わりたかったのと、角栄残党なんて日本の恥だな、国民の審判というまったくもってあてにゃならぬ、云々2チャンで云ったら、仏は政治に口出しするな、感情論だという、てやんでえわしゃ座禅お宅やってんじゃね-や、それに感情論の他に意見なぞない、中立だの冷静という嘘だ、学校教育の平静という、自分預からぬという、そりゃ阿呆をこさえるだけだ、おのれ関わって初めて政治であり、ものみなそうなあ、論文というずさん、歴史家の文章というこれ、文章にもなにもなってない、歴史は人麻呂、論文は芭蕉といったら大笑いか、そんなことはないさ、どっちらけで滅ぶだけの人間、人間失格はどこから来るか、ちっとはそりゃ反省したほうがいい、金ぴかの頌よりも照顧脚下とな、わっはっは。
[PR]
by tozanji | 2005-08-20 00:00 | 従容録 宏智の頌古