2006年 01月 02日 ( 1 )

第三十八章

第三十八章

第三十八祖洞山悟本大師雲巌に参ず、問いて日く、無情の説法什麼人か聞くことを得ん。巌日く、無情の説法無情聞くことを得。師日く、和尚聞くや否や。
巌日く、我れ若し聞くことを得ば、汝即ち我が説法を聞くことを得ざらん。師日く、若し恁麼ならば即ち良价、和尚の説法を聞かざらん。巌日く、我が説法すら汝猶聞かず、何に況んや無情の説法をや。師此に於て大悟す。乃ち偈を述べて雲巌に呈して日く、也太奇也太奇、無情の説法不思議。若し耳を将て聞かば、終に会し難し。眼処に声を聞いて方に知ることを得ん。巌許可す。


師最初に南泉の会に参じ、馬祖の諱辰に値う。泉衆に問いて日く、来日馬祖の斎を設く、未審、馬祖還り来るや否や。衆無対。師出でて対て日く、伴あるを待て即ち来らん。泉日く、この子後生なりと雖も甚だ雕琢に堪えたり。師日く、和尚良を圧して賎と為すこと莫れ。次にい(さんずいに為)山に参ず。問いて日く、このごろ聞く、南陽の忠国師無情説法の話ありと。某甲未だその偈を究めず。い日く、闍黎記得すること莫しや。師日く、記得す。い日く、汝試みに挙すること一遍せよ見ん。師遂に挙す。僧問う、如何が是れ古仏心。国師日く、墻壁瓦礫是れ。僧日く、墻壁瓦礫豈是れ無情にあらずや。国師日く、是。僧日く、還て説法を解するや否や。国師日く、常説熾然、説に間欠無し。
僧日く、某甲甚麼としてか聞かざる。国師日く、汝自ら聞かず。他の聞者を妨ぐべからず。僧日く、未審甚人か聞くを得ん。国師日く、諸聖聞くことを得。僧日く、和尚還て聞くや否や。国師日く、我れ聞かず。僧日く、和尚既に聞かずんば、争無情の説法を解するを知らん。国師日く、頼わいに我れ聞かず。我れ若し聞かば即ち諸聖に斉し。汝即ち我が説法を聞かざらん。僧日く、恁麼ならば即ち衆生無分にし去るや。国師日く、我れ衆生の為に説く、諸聖の為に説かず。僧日く、衆生聞きて後如何。国師日く、即ち衆生に非ず。僧日く、無情の説法何の典教にか拠る。国師日く、灼然、言の典を該ねざるは君子の処談に非ず。汝豈見ずや、華厳経に日く、刹説衆生三世一切説と。師挙し了て、い日く、我が這裏にも亦た有り。祇だ是れ其人に遇うこと希れなり。師日く、某甲未だ明きらめず。乞う師指示せよ。い払子を竪起して日く、会すや。師日く、
某甲不会。請う和尚説け。い日く、父母所生の口、終に子の為に説かず。師日く、還て師と同時に慕道の者ありや否や。い日く、雲巌道人あり、若し能く撥草瞻風せば、必ず子が重する所たらん。師い山を辞して雲巌に到る。前の因縁を挙して即ち問う、無情の説法甚麼人か聞くことを得る。巌日く、無情聞くことを得る。師日く、和尚聞くや否や。巌日く、我れ若し聞かば、汝即ち我が説法を聞かざらん。師日く、某甲甚麼としてか聞かざる。巌払子を竪起して日く、還て聞くや。師日く、聞かず。巌日く、我が説法すら汝尚聞かず、豈況んや無情の説法をや。師日く、無情の説法何の経典をか該ぬ。巌日く、豈見ずや、弥陀経に日く、水鳥樹林、悉皆念仏念法と。師此に於て省あり。即ち偈を述べて日く、也太奇也太奇、乃至眼処に聞く時方に知ることを得ん。師雲巌に問う、某甲余習未だ尽きざることあり。巌日く、汝曾て甚麼をか作し来る。師日く、聖諦もまた為さず。巌日く、還て歓喜すや未だしや。師日く、歓喜は即ち無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾い得たるが如し。師、雲巌に問う、相見せんと擬欲する時如何。日く、通事舎人に問取せよ。師日く、見に問次す。日く、汝に向かいて甚麼をか道わん。師、雲巌を辞し去る時問いて日く、百年後忽ち人あり還て師の真を貌せしや、否と問はば如何が祇対せん。巌良久して日く、祇だ這れ這れ。師沈吟す。巌日く、价闍黎、箇事を承当することは大いに須べからく審細にすべし。師猶ほ疑に渉る。後に水を過ぎて影を見るに因りて前旨を大悟す。偈あり日く、切に忌む他に従いて覓むることを。迢迢として我れと疎なり。我れ今独り自ら往く、応に須らく恁麼に会して、方に如如に契うことを得ん。
洞山悟本大師は我が宗の始祖、汝今これを得たり、宜しくよく保護すべし、宝鏡三味は隔日毎に誦しています、まことなわが心銘とてこれに過ぎたるはなし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば処を知る、心異に非ざれば、来機また趣くと、宝鏡に臨んで影形あい見るが如しという、その水上を過ぎて影を見て大悟するまでに、かくの如く紆余曲折があったです。若くして南泉に食ってかかるなぞ、身のとやこうを顧みない天晴れ、まさにこうあって不惜身命、参禅は他になしというがほどに。無情の説法慧忠国師のこれ面白いです、だれか祖師の語録を見てユ-モアがあって面白いと云った、ユ-モアなんて毛ほどもないですよ、無情というんでしょう、人情人間の入る余地まったくないというんです、溪声山色花鳥風月さながらに、我が釈迦牟尼仏の声と姿と、君子たるもの即ち読書人だから、華厳経に云くとやる、眼で聞き耳で見る底は、わしだとて出家以前に知っていた、仏教のありようを見て、隔靴掻痒は洞山大師、余習ありと、汝曾て何をかなし来る、聖諦もまた為しえず、かえって歓喜すや、歓喜は無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾うが如しと、たしかにこうあってどうにもこうにもの年月です。ぴったりはっきり行かないから、他に標準を求めるんです、墻壁瓦礫仏事をなしともてはこぶ、無情の説法我れ聞かずと追う、いきおい他の聞者を妨ぐべからずと返る、うるさったいこいつ、なんとしようば、百年後の師の真貌はと問う、ちらともありゃこんな質問です、否と云えばって、雲巌良久して、ただこれと、この事を承当するには須からく大いに審細にすべしと、もう一押しなんです、それがどうにもってことあります、相見せんと擬欲するとき如何、必死にこう問う人多いんです、通事舎人、面会を取り次ぐ側近侍者に聞けという、あっはっはこりゃ困る、見に問次す、だから周辺徘徊、でなんと云った。そりゃ答えているんですが、どうにも。あるときまったく手を引くんです、生死同じくなるんですか、切に忌中他に従いて求めることを、云うには他になく。自分終わるんです、影形あい見ているんです。さあこれ、どう云ってみてもてめえこっきりですよ、いえ曖昧なことなんかこれから先もないです。

微々たる幽識情執に非ず、平日伊をして説くこと熾然ならしむ。

微々という世間ではなにかしら残るありさまでしょう、これはまったくないんです、宝鏡に臨んであい見るんです、汝これかれに非ず、常識情堕に落ちず、洞山大師のありよう他のまったくうかがうこと不能です、老母師を尋ねて乞食をして経行往来す、我が子洞山に住むと聞いて、あい見んとするに方丈室を閉ざして入れず、老母恨みて愁死す、洞山行きて屍の持てる所の米粒三合あり、粥に和して炊いて一衆に供養す、母洞山の夢に告げて日く、よって我れ愛執の妄情断ちて、天上に生じたりと。

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by tozanji | 2006-01-02 00:00 | 伝光録