カテゴリ:ぜんごぜんご( 16 )



空としてなにかあるものではないです、空観なと学者のたわごとです、そんなあほなことを云っている自分を空じ切るんです、すると自分消えてものみなぜんたい、というそれをも観察しない、空前絶後の事、我と有情と同時成道です。

 仏教も仏教学もとんでもなく膨大です、人の一生では百万分の一も到達できないほどです、あれがみんなむなしいんですか。
 はいそのとおり、百害あって一利なしです、それによって暮らしの糧を得る、学者説教師本屋印刷屋の為にあるんです、もし仏を求めるんでしたら、見向きもしない覚悟が必要です。



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画像の出典  東山寺/ 曹溪山東山寺(そうけいざん・とうざんじ)の本尊は釈迦牟尼仏。 宝永五年(一七○九)の 『東山寺由来記』 によると、この寺は、鎌倉時代の中期、宝治二年(一二四八)、宋の蘭溪道隆禅師(そう の らんけいどうりゅう ぜんじ/一二一三 ~ 七八) によって開かれた古刹です。寺には禅師の持物 (じぶつ) の袈裟、数珠、香合等が伝えられています。
 その後天文三年(一五三四)、大面城主(おおもじょう主)・丸田伊豆守が七堂伽藍(しちどうがらん)をつくり、上州沼田の玉泉寺(ぎょくせんじ)五世宣州を招請して再興の折り、臨済宗から曹洞宗となり、山号も黄檗山(おうぱくざん)から曹溪山に改められました。
 曹洞宗の近郷一円の中心寺院でしたが、明治戊辰の役の兵火で本堂や庫裡を消失し再建、現在に至っています。
 本堂には五百羅漢などの諸物、江戸時代中期に建立の山門には栄町指定文化財の四天王像を安置。山門脇には山門と同時代に建立された高さ一丈余の延命子安地蔵、寺の裏手には三十三番札所にちなんだ石仏があります。

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by tozanji | 2005-03-27 00:00 | ぜんごぜんご



念起念滅という、人の心意識はぽっと出ぽっと消えるんです、すでにないものに捉まってああでもないこうでもないする、妄想といい自縄自縛の縄=自分といいます。あるときの接心に妄想だらけで困った、ようしなんとかしてくれようと云えばいうほどに頻出、真っ黒けになって四日もやっていたです、精魂尽き果てて、もはやこれまでどうとでもなれといったとたん、ふわあっとふっ消えてなんにもなくなった。
無心とは脳死じゃないんです、念起念滅を観察する念がない、するとまったくないんです。

 念力というサイコキネシスみたいなもんないですか。
 念力健剛という仏教用語で、これを知ってやり抜こうという不退転の決意を云うんです、超能力他あればそれによって迷うんです、心身の救いはまったく別です。


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画像の出典  東山寺の回遊式庭園/ 本堂裏手には、上山の借景を取り込んだ室町時代の作風を持つ回遊式庭園。禅寺のたたずまいをいっそう幽邃なものにしています。
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by tozanji | 2005-03-26 00:00 | ぜんごぜんご



結婚式の垂示に見を持つなという、見解の相違です、見解を持たなければ、諸問消える、いえ初めからなんも起こらんです、見の好きな人はいったん卒業して下さい、見解という中途半端、どんなに尽くそうが万分の一を知る。


 見がなければなんにも起こらんてそれ、海牛とか下等生物の日送りですか。
 いえ人間とかめっちゃくちゃの彼岸にあります、やっと地球のお仲間入り、花は知らずという知らずもっとも親切。知った分が嘘ばっかり、醜さ飽き飽きってね。


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画像の出典  東山寺庭園内/ 不動明王
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by tozanji | 2005-03-25 00:00 | ぜんごぜんご



心に二心あり従前の心と本来心と、すでにないものを振り返る、お化けにしてやられる心と、無心です。まるっきりない心、どうですかこれ、心が心を観察することの不可能、すべての救い、問題解決はここにあります、ものをそのまんまに見る、色即是空これ。

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 妄想まるけの世の中だから妄想まるけでいいんではないですか、テレビなんかクレイジー馬鹿ったいほど受けてます。

 結局飽きられてしまうんです、赤信号みんなで渡ればこわくないと云って、しまいのはて破廉恥犯罪大国とか、それが先進国というなら、犬に食われちまえってね。


画像の出典  五百羅漢像/東山寺蔵
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by tozanji | 2005-03-24 00:00 | ぜんごぜんご



単を示すと書く、自分は単純だというとき、自分を観察するでしょう、観察する自分とされる自分の不可能事、すなわち複雑です、心=自分は一つ、自分を知るとは自分を忘れること、我をかえりみるに我なし、これを禅といい無心、心なしと云います。けっこうできないんですよこの単純が。

 坐禅のノウハウ如何。
 ただ、まるっきり手つかず、なんでもありのめっちゃくちゃ、ついにはこれありと知ってまっしぐらですか
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画像の出典  東山寺山門脇の延命子安地蔵
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by tozanji | 2005-03-23 00:00 | ぜんごぜんご



三帰戒三聚浄戒十重禁戒、十重禁戒は不殺生戒不偸盗戒不邪淫戒、殺すなかれ、盗むなかれ、犯すなかれ、嘘をつくなかれ、酒に酔うなかれ以下です。仏戒は得度式、坊さんになる時に授かる、他はとにかく不殺生戒はどうもならん、菜っ葉だって生物だ、いやバクテリア一匹殺すなかれでは、生きて行かれん、さあ困ったです、汝よく保つや否や、よく保つといって、なにしろ式だけはすました。のちお寺をもってだれかれ接するに、駒沢の学生というのが来た、仏教科に入って以来疑問であったという、他はともかく不殺生戒はどうもならん、教授に聞くと、妄りに殺すなかれ、妄りに犯すなかれだという、おれはそんなこっては到底納得できないと云った。よく見ろとわしは云った、こいつは人間のこさえたものじゃないんだと。そうかといって、彼の体が倍にも膨れ上がったです、日ならずして、ちらとも悟って帰って行った。これをどう思いますか。

 キリスト教にある山上の垂訓と同じですか。
 おおもと同じだろうが、まったく別物になり終わる、たとい十重禁戒も人を縛る鎖じゃないんです、戒はこれ第一安穏功徳の処住所となすと、遺教経にあるとおりです。


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画像の出典  東山寺の看板/パンフレットより
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by tozanji | 2005-03-22 00:00 | ぜんごぜんご



帰依僧和合尊という、いったんまったく人間のしがらみを離れるんです、銀椀に雪を盛り、類して等しからずと、思想宗教、主義や理想に拠らんので、和合尊なんです、信ずれば救われるなど都合勝手ではない、万象とともにある、濁りに染まぬ露の玉。

 僧侶というもっともきらいなものの一つですが。
 死出虫稼業ではない坊主だっていますよ、どんなふうな付き合いでも、必ず救われる、いいことあるんです。

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画像の出典  東山寺/ 寺のパンフレットから
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by tozanji | 2005-03-21 00:00 | ぜんごぜんご

 

法として別にあるもんじゃないです、ものみなのありよう、物理法則と同じですが、物理学には観察者がいる、仏はただその中にある、これ雲泥の相違。

 法律とは関係があるんですか。

 ないと云うべきですか、これたとい人間の作ったものではないんです。


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画像の出典  東山寺の山門 /パンフレットから
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by tozanji | 2005-03-20 00:00 | ぜんごぜんご



禅機横溢、機峰鋭くなどいいます、特別にあるものではないです、もと本来のありよう、目から鱗が落ちるというでしょう、自縄自縛のとっかかりひっかかりが外れる、目から鼻へ抜けるより、目鼻なし、一を聞いて十を知るより、もとはじめからです、花鳥風月みなそうです、となりのトトロのように雨粒でぶるぶる。

 機という人間機械というとどうもあの。
 人間機械という微妙なものですか、だからって思想感情を容れる器です、仏教はこの器の問題といっていいんです、たとい極悪非道も一瞬のちには仏、そうですねえ、情状酌量のない刑法が正解ってね。


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画像の出典   東山寺の四天王像 由来
 四天王は仏界(ぶっかい/仏教世界)の中心にそびえ立つ須弥山(しゅみせん)の中腹にあって、仏法とそれに帰依した人びとを仏敵から守る守護神とされています。
 寺の須弥壇(しゅみだん)は須弥山をかたどったもので、須弥壇の四隅に配置される四天王は。次の役割を担っています。
持国天(じこくてん)は仏界の東方を守護し、国家の安泰をはかり、増長天(ぞうちょうてん)は南方を守護し、五穀豊穣を受け持っています。広目天(こうもくてん)は西方を守護し、弁舌さわやかに衆生を説得して仏門に帰依させ、多聞天(たもんてん)は北方を守護して、仏の説法の場を仏敵から守り、説法をすべて知恵にさせる役割を果たしています。
 
 平成三年から修復工事が始まり平成五年に完成し極彩色豊かな四天王として往時を偲ぶことができます。
 像はいずれもヒノキの寄木造り、内刳(うちぐり)の立像(りゅうぞう)で彩色がほどこされ、玉眼(ぎょくがん)が嵌入(かんにゅう)されています。 像の制作年代について 『栄村誌』 では、南北朝 (1336-92) ころと推定しています。

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by tozanji | 2005-03-19 00:00 | ぜんごぜんご

 

はい右に同じ、生死別段の区別はないです。生といい死という思い込みの殻を破って下さい。生死の中に仏あれば生死なし、仏は実際というねはんです。

 どうにかこうにか生きていますが、おもしろくないし時には無惨です。

 それをどうしたらいいかという、痛烈な問題なんです、生まれてよかったという、驚天動地の感動があります、どうかこれを得て下さい、我と有情と同時成道。


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画像の出典  東山寺の四天王
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by tozanji | 2005-03-18 00:00 | ぜんごぜんご