<   2005年 07月 ( 31 )   > この月の画像一覧

銀椀裡盛雪

c0015568_16261152.jpg

銀椀裡盛雪=銀椀に雪を盛り、明月に月を蔵すという、仏教のありようこれ、目は横鼻は縦にして他に瞞ぜられずというんでしょう、神さまを用いたり、何をどうせよってことないんです、しかも混ずる時んば処を知る、これが出来なければ、仏とは云はれんです。

 それで人天の導師という、人を導くことが出来るんですか。
 はい殺し文句ではなく、間髪を入れずです。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日参照
[PR]
by tozanji | 2005-07-31 00:00 | ぜんごぜんご 五字

石圧笋斜出

c0015568_16234699.jpg

石圧笋斜出=石圧さえてたけのこはすに出づ、いいことをする、説教反省文という、みなまたこれです。どっかへ化けて出る、さあどうしたらいいですか、坐禅見性の道。

 どうしたらいいかという、世間にはその答えはない。
 はいそうです。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日参照
[PR]
by tozanji | 2005-07-30 00:00 | ぜんごぜんご 五字

四弘誓願文

c0015568_16191738.jpg

四弘誓願文=衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断、法門無量誓願学、仏道無上誓願成という、如来として山花草木みなあり人間も人間の如来に同ぜるが如しと、ではなにを誓いなにを願うんですか、衆生あり煩悩あり法門ある仏道ある時節、あるいは衆生なく煩悩なく法門なく仏道なき時節、どうですか、人みなよくよくお考え下さい、つまらん三百代言にならんことですよ。

 誓いを守ることこそ人間の生き甲斐という、いえ人間の尊厳といいますが。
 では実行して下さい。
 それがそのう。
 そうして自分に真正直であって下さい。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日参照
[PR]
by tozanji | 2005-07-29 00:00 | ぜんごぜんご 五字

念彼観音力

c0015568_1444667.jpg

念彼観音力=仮使興害意、推落大火坑、念彼観音力、火抗変成池=たとい害意をおこして大火劫におし落とされんにも彼の観音の力を念ずれば火坑変じて池とならん。或漂流巨海、龍魚諸鬼難、念彼観音力、波浪不能没=あるいは巨海を漂い流れて龍魚諸の鬼難あらんにも彼の観音の力を念ずれば波浪も没するあたわず。このように続く観音経偈です、どうですか、実にあっても坐禅中にも、このようにする、観音の力たといオ-ルマイティを知るのは自分です、自分を忘れ去るときに現ずる、手放しを仏=なんにもない=すべて=オ-ルマイティを知る。

 いいかげんなお経っていうかなんでも観音力、いざとなったら神さまですか。
 そういう思いのちょうど反対、念ずれば救われる、だからじゃないんです、だから抜き、さあどういうことですか。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日参照
[PR]
by tozanji | 2005-07-28 00:00 | ぜんごぜんご 五字

度一切苦厄

c0015568_13562137.jpg

度一切苦厄=照見五蘊皆空即ちすべては思い込みであったと知って、度一切苦厄。ほどけば仏、自縄自縛の縄を自分と思い込む、頼まれもしないのに、ものみなを一人相撲、さあこれを知って下さい、知ったらほどけます。平らかに、喜びに満ちあふれてものみな。

 般若心経というのはなにが書いてあるんですか。
 般若波羅蜜多パーラミーター彼岸に渡る心のお経です、自分という架空請求を免れる方法は、根本的な救いです。無心、心がないという、ないものは傷つかない、悩む必要がない、まっさら色即是空、これを知ればいいんです、無上であり真実不虚。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日参照
[PR]
by tozanji | 2005-07-27 00:00 | ぜんごぜんご 五字

観自在菩薩

c0015568_1352933.jpg

観自在菩薩=なんのとらわれもなく見てごらん、赤ん坊のようにまっさらに、というのです、人みな菩薩、自分を無にして他が為にというをもって成立つ、これを知るんです。智慧般若とは無心です。彼岸にわたる、自分という架空なしにです。


 無差別殺人の琢磨なにがしも菩薩ですか。
 そうです、せっかく菩薩に生まれながら、自分という架空設定=からに閉じ込もって、なんとしてもぶち破ろうとする、罪と罰のラスコ-ルニコフ以来同じ、(ぶち破ったら)人であり菩薩の故に死刑以外になく。


画像  平成16年10月23日新潟県中越地震/ 東山寺の状況写真:撮影2004年10月24日
[PR]
by tozanji | 2005-07-26 00:00 | ぜんごぜんご 五字

第八十七則 疎山有無

c0015568_1114644.jpg

 衆に示して云く、門閉ざんと欲すれば一拶して便ち開く、船沈まんと欲すれば一蒿して便ち転ず。車箱谷に入って帰路なし、箭筈天に通じて一門あり、且らく道へ甚麼の処に向かって去るっや。

挙す、疎山い山に到って便ち問ふ、承たまはる師言へることあり、有句無句は藤の樹に倚るが如しと、忽然として樹倒るれば藤枯る、句何の処に帰するや。い山呵呵大笑す。疎山云く、某甲四千里に布単を売り来たる、和尚何ぞ相弄することを得たる。い、侍者を喚んで銭を取って這の上座に還せと、遂に囑して云く、向後独眼龍あって子が為に点破し去ることあらん。後に明昭に到りて前話を挙す。昭云く、い山をば頭正しく尾正しと謂ひつべし、只是れ知音に遇はず。疎復た問ふ、樹倒るれば藤枯る、句は何の処に帰するや。昭云く、更にい山をして笑い転たた新ならしむ。疎言下に於て省あり。乃ち云く、い山元来笑裏に刀あり。

 疎山光仁禅師、洞山良价の嗣、い(さんずいに為)山の霊祐禅師、百丈懐海の嗣、明昭徳謙禅師、羅山道閑の嗣。疎山い山に到って問う、承れば師、聞いておりますがっていうんです、有句無句道うも道はざるも藤が木にからまりつく、樹によってのみです、樹倒れりゃ枯れる、そんじゃそのあとどうなると聞く。い山呵呵大笑す。どうですかこれ、いったい疎山は何を聞いたんです、因縁難癖つけたんですか、まったくそうじゃないんです、仏道を求めるにあたって、ああも云いこうも云う、どうだどうだとやるんでしょう、そりゃそいつが仏教そのものではないか、忽然大悟するとき如何と、なんにもなくなったらどうなるんだというんです。い山呵呵大笑、はいよこんなもんだよってわけです。疎山怒り出した、千里の道も遠しとせずに大法の為に訪ねて来たのに、愚弄するな、布単を売り来たるというから、い山侍者を呼んでお-いこいつに銭払ってやれと云った。向後火独眼龍あって、二つの目でもって比較検討、俗人情堕が、一隻眼真正面を向くんです、他日だれかに出会うだろうてと云った、はたして明昭に会って前話を挙す。更にい山をして笑いうたた新ならしむ、そっくりさらけだして示したっていうのにと、疎山言下に省あり、はあっとものみな失せる、思想の延長上にはなかったんです、ひっ担いだ重石が取れた、云く、い山笑裏に刀有り、うっふなんかもうちっとましなこと云え。

頌に云く、藤枯れ樹倒れてい山に問ふ。大笑呵呵豈に等閑ならんや。笑裏刀あり窺得破す、言思道まうして機関を絶す。

 藤枯れ樹倒れてい山に問う、さあなんて云うて問いますか、今日はおはようですか、呵呵大笑、三千里外にぶっ飛ばされてしまいますよ、有耶無耶じゃどうもならんです、笑裏刀あり黙裏雷あり、自分ちらともありゃへっこむんです、なんにもなきゃ指一本で山を動かす、言語や思想じゃない、もと我らのありよう大虚の洞然、毛ほどの隙もないんです、かくありこうあり機関を絶す。なにしろこれを味わって下さい。

画像  さるすべり/2005年7月20日・静岡市葵区
[PR]
by tozanji | 2005-07-25 00:00 | 従容録 宏智の頌古

第八十六則 臨済大悟

c0015568_855128.jpg

 衆に示して云く、銅頭鉄額天眼龍晴、雕嘴魚鰓熊心豹膽なるも、金剛剣下是れ計ること納れず。一籌すること得ず、甚麼と為てか此の如くなる。

挙す、臨済黄檗に問ふ、如何なるか仏法的的の大意。檗即ち打つ。是くの如きこと三度、乃ち檗を辞して大愚に見ゆ。愚問ふ、甚麼の処より来たる。黄檗より来たる。黄檗何の言句か有きし。済云く、某甲三たび仏法的的の大意を問ひ三度棒を喫す。知らず過ありや過なしや。愚云く、黄檗恁麼に老婆、爾が為に徹困なるを得たり、更に来たって有過無過を問ふ。済言下に大悟す。

 臨済院の義玄禅師は黄檗希運の嗣、臨済宗の祖。高安大愚禅師は伝不詳。これはまあ世に喧伝された、臨済西来意を問うて三たび打たれる話、臨済もよくぶんなぐったが、打たれると痛いと見える、こりゃたまらんというんで、辞し去って大愚に問う。なんという黄檗老婆親切、それをまたのこのこやって来て、とがありやなしやを問うとは、言下に大悟す。大悟すという破家散宅して天地宇宙そのものになっちまう、痛棒の意味がまったくよくわかるんです。大意とは思想分別じゃない、これといって天地宇宙ぶんなぐるやつ、自分という殻をぶち破る大事件なんです。今の世の人下世話解釈とはそりゃ違うです。おそらくこれを知る、いったい幾人いるか、皆無といっていい心細い限りです。いたずらに払拳棒喝として、自分も無茶苦茶人の一生を台無しにする。坊主だの師家だのこりゃ警察沙汰なんです。民事訴訟で一億ぐらいふんだくりゃちっとは省るですか。ほんにしょうがない、らしいものまね坊主の害悪、そりゃ曹洞宗猿芝居ってだけじゃないです。いえさ臨済銅頭鉄額熊鷹のくちばしもって、そんなことないです、臨済も黄檗も優しい、人に倍して痛感、傷つきやすい心根の人であったです。ただぶんなぐってどうだ、無位の真人面門に現ず、知慧愚痴般若に通ずとやったんではないんです、それを証拠にちゃんと大悟してるんです。花のほころびる如く、露柱の現れる如くですよ、お祭り騒ぎの柏陰禅師だって、ついには本来人です、唯我独尊自然に脱落です。もって受容如意ならん、宝蔵自ずから開けるんです。

頌に云く、九包の雛、千里の駒。真風籥を度し、霊機枢を発す。劈面に来たる時飛電急なり。迷雲破る処太陽孤なり。虎鬚を埒ず、見るや也た無しや。箇は是れ雄雄たる大丈夫。

 九包之雛九つの包み-やがて花開くんでしょう、を具えた鳳凰のひな、千里の駿馬ともに臨済を頌す。籥は風を送る管ですとさ、老子にある天地の間はそれ嚢籥の如し、ふいごで風を送るんですか、から取る。枢は門戸北斗の第一星、まあ天地の間にゆうらり突っ立つ勢い、でも言下に大悟すというこれ、一言の下に自分という殻ん中のごったくさふっ消えて、天地の間だけになっちまう、しかもそのあとなんのけれん味もないとは、さすがこれ臨済。迷雲破る太陽孤なり、さあ虎のひげをなでてみますかっていうんです、黄檗に三たび棒を喫しこれなんぞ、なんという老婆親切という、あっはっはどかん生まれちまったなあ、箇はこれ悠々たる大丈夫、そうですよ自分というそれ失せりゃいい、仏教だけは時代によらないんです。
[PR]
by tozanji | 2005-07-24 00:00 | 従容録 宏智の頌古

第八十五則 国師塔様

c0015568_750308.jpg

 衆に示して云く、虚空を打破する底のちん鎚、華嶽を擘開する底の手段あって始めて元、縫虍なき処、瑕痕を見ざる処に到髏。且らく誰か是れ恁麼の人ぞ。

挙す、粛宗帝、忠国師に問ふ、百年の後所須何物ぞ。国師云く、老僧が与めに箇の無縫塔を作れ。帝云く、請ふ師塔様。国師良久して云く、会すや。帝云く、不会。国師云く、吾に付法の弟子耽源といふものあり、却って此事を諳んず。後帝耽源に詔して此の意如何と問ふ。源云く、相の南、譚の北、中に黄金有って一国に充つ。無影樹下の合同船、瑠璃殿上に知識なし。

 南陽の慧忠国師は六祖大鑑慧能の嗣、国師号を賜る、これはすばらしい時代であった、インドにもタイにも中国にも、また日本にもこういう時があった。歴史上の一瞬正義の行なわれうること、無量劫来この大宇宙に一頁を記すんですか、欲望がらくた、人間という賽の川原の際限もなしにです。でもまあ帝の問いに対して、良久して会すやという、わっはっはさすがは慧忠国師、そのころだって無明の大多数です、口を酸っぱくしたって会するものなしを、百年ののち所須、わが用い求めるところ如何と問う。あるいはせっかくの国業がどうなっているかという、老僧がために箇の無縫塔を作れ。縫い目のない塔です、ものみな手つかずの無縫塔、坊主の墓卵塔はまさにこいつを象ったんですか。塔様如何と問うに、自らと環境をもって示すのです。他まったくないんです。とやこう理屈したってそりゃ、はあそうですかという納得で終わり、これ政治の乱れ人心破綻の原因なんですよ。まったく他にはなし、思想イデオロギー諸の宗教という、無縫塔にあらざる、その国無影樹下の合同船にあらざる、よってもって歴史という無惨地獄絵を人類の資産とする他なく、なんという情けなさ。北条氏蒙古を迎えて滅びるんですか、実に時の執権これを用いて他なし、日本史の白眉であるとわしは思っています。帝かなわず、では弟子の耽源に聞けという、相の南譚の北形相譚論には拠らずというんです。無縫塔です黄金に充満しています、無影樹下影さす思想是非のない、無影樹下の合同船をもって彼岸に渡る法の櫂、瑠璃殿上に王の居城に知識なしです、花は知らないと答える、人間の如来は人間に同ぜるが如し、いつの日か進化して、毛なし猿の人間も地球のお仲間入り、花と昆虫の一億年戦争、はいたとい戦争ならそんなふうにさ。

頌に云く、孤迥迥、円陀陀。眼力尽くる処、高うして峨峨たり。月落ち潭空しうして夜色重し。雲収まり山痩せて秋容多し。八卦位正しく、五行気和す。身先ず裏に在り見来たるや。南陽父子却って有ることを知るに似たり。西竺の仏祖如奈何ともする無し。

 まあこりゃこういうこってす、詞華としてよく味わっておきゃいいです、眼力という世間珍重の役立たぬ世界です、え-とだれであったか雲に経文なぞ見るなといっておいて、自分は声明を口ずさむ、なんでと聞いたら、おまえらは眼光紙裏に徹するから駄目なんだと云った。高うして峨峨たりですか、自分失せてものみなは、そうですねえ如来として現ずるんです。するとたいてい他の清々著とは雲泥の相違、なんか取り付く島もないんです。月落ち潭空しうして夜色重し、雲収まり山痩せて秋容多し。これ対句でもってアッハッハ習字でもしようっと。八卦は周易で陰陽の爻を組み合わせ八つの形、これをもってものみなに当てる、転じてうらない。五行は木火土金水の五元素また菩薩行の布施持戒忍辱精進止観。ここはまあ前者人のやることものみなぴったりと行くというこってす、そりゃ自分という架空請求から免れた人間です、当然のこってすか。南陽父子南陽の慧忠国師と弟子と、西竺はお釈迦さんも達磨さんもです。
[PR]
by tozanji | 2005-07-23 00:00 | 従容録 宏智の頌古

第八十四則 倶てい一指

c0015568_2213030.jpg

 衆に示して云く、一聞千悟、一解千従。上士は一決して一切了ず。中下は他聞なれども多く信ぜず。剋的簡当の処試みに拈出す看よ。

挙す、倶てい和尚凡そ所問あれば只一指を竪つ。

 倶てい詆の言の代りに月、金華山倶てい禅師、天竜和尚の嗣、初め天台に庵す、尼あり実際と名ずく、到来して笠をいただき師をめぐること三匝し、道いえば即ち笠をとると、三たび問うに倶てい無対。際すなわち去る。日が暮れたで宿れと云ったが、道いえば宿ろうといって去る。我丈夫の形すれども丈夫の気なし、即ち庵を捨てて諸方に参学しさらんとするに、山神告げて云く、ここを去ることなけれ、まさに大菩薩来たって汝がために説法せんと、日ならずして天竜和尚来たると。天竜一指を竪てて示す、倶てい大悟。そうしてまたこういう話もあります、小僧があって和尚のまねをして、凡そ人問うあれば一指を竪つ、呼んで仏を問うに一指を竪つ、倶ていその指を切断す、小僧号泣して去る、また呼んで仏を問う、小僧指を竪すに無し、こつねん大悟と。これよくできの話と云わずに、まさにこれよく看るにいいです。一聞千悟一解千従、もとこのとおりあって、自分という架空請求じゃないんです、一指という別ものあれば、それによって逐一する、ほおっと見るになし、わがこと一切終わるんです、さあとやこう云わずとやって下さい、中下は他聞にして多く信ぜずとは、わしもさんざ云われたです、なんのかのいっちゃどうもならん、大悟十八ぺん小悟その数を知らずとアッハッハ、でもこの語にこんないい対があったですか、上士は一決して一切了ず、いいえこれは了ぜずって読むんです。下剋上の剋は、はい辞書を引いて調べて下さい。

頌に云く、倶てい老子指頭の禅、三十年来用不残、信に道人方外の術あり、了に俗物の眼前に見る無し、所得甚はだ簡に施設いよいよ寛し。大千刹海毛端に飲む。鱗龍限り無し誰が手に落つるや。珍重す任公釣竿を把ることを。師復た一指を頌起して云う、看よ。

 これなるほどなあやってないで、自分で一指を竪起して下さい、大千世界これですか、端に破れほうけですか、ものの役に立つんですか、それとも物笑いですか、アッハッハものは味わわねばなんにもならんです、絵に描いた餅ではないのを仏教といいます。らしくの法要猿芝居の宗門は、達磨さんを殺害した仲間ですか、すでにそんな勢いはなく滅びに任せ。ほんにまあ自分を知らぬ、顧みぬ仏教なんてありえない、腐れ蛆たかれですか、でも一指頭の禅、自分を知らず顧みないんです。一指頭いずこにありや、これなんぞとおのれまったく隠れるんです、いっさい遅滞なし、手続きがいらんのです、ついに俗物の眼前に見るなし、所得簡に施設いよいよひろしというは、ハッハ俗物の側から見たんですか、端にこうあるっきりですよ。自覚いずこにありや、一指頭。しくじるときどうやってもしくじる、成功するときどうやったって成功です。任公は荘子にある、まあ中国流とてつもない大魚を釣ってなますにする話、そりゃまあそういうこってす、わしになにか特技はあるかという、なんにもできない、なにやらしてもさっぱりですか、ただこの事を知る。坐禅だけですと云います、人はまた知識あり器用あることを誇る、わしはそんなのぜんぜんいらんです、アッハッハただ一指頭。
[PR]
by tozanji | 2005-07-22 00:00 | 従容録 宏智の頌古