雲 水 日 記 1

雲 水 日 記    川 上 雪 担 


   一、大光照山師に就いて

 出家した、たいてい坊主のことは二日で覚え。衣のたたみ方お袈裟坐具の扱い、法堂所作、お経の読み方など、いっぺんで覚えぬと、「弘道さんどういうことです。」
 と叱責される。弘道という名が付いた。
 三日めから摂心だった、七日間退屈で足が痛む、たまに目のあたりちかちかして終わった。どうなるものでもない、あわよくばたって、何をどうしようという気も起こらぬ。摂心が終わると断食だった。
「そのひよわな体を修行に耐えるものにする、併せてしゃばっ気を抜く。」
 と師は云った。
 三日めにまっしろい宿便が出た。内仏にりんごがある、どうってことはない、けだるうなって七日が過ぎ、裏ごしの重湯を小カップに飲んだ。石のように思うそいつをそしゃくした後がたいへんだった、たたみ表でもなんでも食いたくなる。固形物を食ったら死ぬという。五日かけて普通食にする。師は春秋お一人で断食をするという、舌を巻いた。
 断食中血管が浮き上がる、赤ん坊のように清々として、ものみな明澄に、
「古来断食にて悟るもの多し。」
 と師は云った。こっちは悟りなんていうものではなく。 たしかに狙い通り、見違えるほどに肥った、なんせ食った、笹団子をいっぺんに十六も食った。爪が痩せて急激に盛り上がる。
 玄米食に一汁一菜、魚っけなし。
 そうして托鉢に出た。上げ手巾といって、紐を二本巻いて衣と着物をたくしあげる、手甲脚半を付けて、饅頭傘を被る、良寛さんのむかしと変わらず。行鉢を下げ鉢の子応量器を手に持つ。
 心経を唱え、一村一戸余さず回る、上がりがあると、
「財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界、平等利益。」
 と云う。お金は応量器に受け、お米は行鉢頭陀袋に受ける。ぶうらん下がって睾丸の辺りに触れる。
 師はさっそうたるもの、一村また一村競うように布施する、当時はあった100円札の乱舞、
「おまえさまだけが頼りじゃ、なじょうもよろしくな。」 といって、伏し拝む老婆、あれは浮き名を流した女とか他幾多。
 このまあすれっからしの世に、行ずるあれば信ずるありと、だがこっちは、饅頭笠、雲水笠がもっと深ければと、小っ恥ずかしいだやら、様にもならず。
 杉の林を抜けて、花の咲き乱れる村があった。
 修行なんぞいい、飯だけは食えてこんなところに一生をと、どうしておれはと、どっと草臥れて思う。
  
  僧我や  笠をさへ
  破れほうけて  衣の裾も  
  けだものの  破れては 
  おのれやすらへ  月のしずくに
  花の辺りに  たでの花咲く

 得度式はみじめであった、弟がいた、費用は母親が持った、一人きりになる母親を弟に押しつけて、好き勝手ばかりしていた兄の、世間放棄、
「流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。」 
剃髪の偈の、万分の一の意をも知らず、
(好き勝手の延長を許し難い。)
 という、おのれのむじなのような、写真の面を忘れぬ。母子三人の記念撮影、
「なんだこりゃ。」
 墨染めに袖を通して弟は呆れた、着物二つはたっぷりある。
 戒を授かる、帰依仏法僧、三聚浄戒、十重禁戒は第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒等他は一先ず、殺すなかれという、では一瞬も生きられぬが、
「汝よく保つや否や。」
 と云われ、返事ができぬ、
「よく保つ。」
 と云い出て式終わる。
 早朝四時に鐘をつく、
「観世音南無仏、与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁、常楽我浄、朝念観世音、暮念観世
音、念念従信起、念念不離心。」
 という十句観音経を唱える。五時暁天坐、六時朝課、なむからたんのと、おれがお経を読むかと思えば、吹き出す。
 粥坐朝食。夕は晩課あり日々繰り返す。作務衣というもんぺと筒袖を着て、内外の掃除草をむしる、またよく使いにやらされた。
 人が来る信者が来る、それらしい言い種、ありがたいというのであろうか、いいことしいが猫を被るよりなく、(なんでこのようにーこれが仏法僧宝。)
 ではおれは異物だ。
 うすかわ饅頭のようにふいに食み出す。
 生活は楽しくなくもなかった、早朝に起きて単調な繰り返し、どうしようもない都会暮らしが、完全にストップする。
「なにごとも如法にしていればいいのです。」
 というのが師の口癖だった。

  日は上り  日は上り
  月は廻らへ  月は廻らへ 
  檻の中  あっぷらけ
  きつねたぬきぞ  今生我は     
  なんじょう歩く    なんの形ぞ  

 不立文字、直指人身見性成仏。
「まずもって見性せねば。」
 と師は云う。見性とはなんだ、深題深題して行って、心意識の途切れる、
「本地風光という。」
 他に帰りつく所はない。
 そうであろうか、そういうことならかつてあった、
(破れほうけが、帰ろうたって不可。)
 藁をも掴む思いで仏教という、出家はしたが。
 ともあれ、
(あわよくば。)
 とて坐るには坐る。
 月初めに摂心がある、止静という四0分坐って柱開という二0分休みを、暁天四時から開枕という就寝九時まで繰り返す。七日間。粥坐朝課斎坐という昼飯、薬石はあまりものを雑炊にする、食事のあとは休憩がある。晩課は省く。足が痛いだけの、慣れるにはどうやら慣れつく。
「どうせ秋には安居する、どういうものか見学して来なさい。」
 師は云った。福井県小浜市発心寺僧堂の摂心に行く。
発心寺大雲祖岳老師の、師は八名ある印下底嗣法のお弟子であった。
 見性当時の写真がある、光溢れんばかりの威風、
「これは。」
 と目を見張る。
 今はどうかという、痩せられて。
 饅頭笠を抱え、托鉢行脚の姿に長い列車の旅だった。そいつは弁当を食うさへ、しゃちほこばって。
 霊松山発心寺という、名にしおう見事な松であった。 初の僧堂摂心は参った。足は痛むどうもならん、どうかして逃げ出してくれようと、三日めから楽になる。
 僧堂飯台は、寄進があって大ご馳走が出る。楽になったらにむさぼり食う、
「ろくすっぽ坐らんと、いい年こいてごっつぉばっかり食いよる。」
 単頭和尚口宣は痛烈。
 見性と云い大悟徹底という、二通りあるように聞こえ、良寛和尚は見性なんてじゃない、
(良寛さんは。)
 と真似るにつけどっ白け。大雲祖岳老師は既に遷化して桂巌雪水老師が跡を継ぐ。
蟹のように横幅のある、品があり優しい音声。
 提唱を聞いて、
(あれは批評だ。)
 批評ならお手のものと、それがちんぷんかんぷん、
(仏教というのもあるものか。)
 とて、帰りの列車に、因果無人という語を思う、
「人のとやこうがいらんというのか。」
 ひょっとそれなら救いがある。
 と見こうみする人の面が、とつぜんのっぺらぼう。

  何をなす  何をせん
  貪り食らひ  飲んでは食らひ
  物まねの  物まねの
  因果無人と  忘れほうけて
  のっぺらぼうの  因果応報 

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画像の出典  2003年10月/静岡県天竜市 早朝の玖延寺
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# by tozanji | 2002-12-03 11:50 | 雲水日記