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第七十六則 首山三句

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 衆に示して云く、一句に三句を明かし、三句に一句を明かす。三一相ひ渉らず、分明なり向上の路。且らく道へ那んの一句か先に在る。

挙す、首山衆に示して云く、第一句に薦得すれば仏祖の与めに師となる。第二句に薦得すれば人天の与めに師となる。第三句に薦得すれば自救不了。僧云く、和尚は是れ第幾句に薦得するや。山云く、月落ちて三更、市を穿って過ぐ。

 首山の宝応省念禅師は風穴延昭の嗣、この則なんか都合にそう云っちゃ悪いんですが、わが意を得たりという気がします。後学の有耶無耶が、いえさよくぞ云ってくれたというんです。第一句という、これを得んがためにまっしぐらです、師普ねく叢席を歴り常に蜜に法華経を誦す、人呼んで念法華となす、晩に風穴の会中に於て知客にあたる、一日侍立のついで、風穴垂涕して告げて日く、不幸にして臨済の道吾にいたって地に墜ちんとす、師云く、一衆に人なきや乃至念法華を放下してついに得るんです。かくのごとくに古人大苦労の末に、超凡越聖ついに仏祖を超えるんですか、たしかにそういうことあるんですよ。たといお釈迦さまだろうが為に説く、これあって初めて仏、仏教です。そうしてこの中に住して普く知るんです。平らかの日々是れ好日という、そんなものあるわけがないです、坊主や学者の類実際には何も知らんで、かくあるべしをもってす、とんちんかんの罪科はなはだしいです。そうではない七転八倒あり、あるいは激烈な葛藤です。第二句という、ついにようやく人天の導師です、まさにこの人をおいてないんです、よくよく知るんです。依存症ゼロの人ってこれ、たいへんですよ、そうしてもって第三句自救不了オッホッホこれ実感ですよ、まさにまったく。かつては本来人掃いて捨てるほどいたんですか、いえいえ同世代三人もいりゃそれ、光明この上なしです。和尚は第幾句かと問われて、月落ちて三更という、よくよく味わって下さい、市、市井売り買いの場ですか、市を穿って過ぐ、本来性これの実感たることよくよく知って下さい。

頌に云く、仏祖の髑髏一串に穿つ、宮漏沈沈として密に箭を伝ふ。人天の機要千鈞を発す、雲陣輝輝として急に電を飛ばす。箇の中の人転変を看よ、賤に遇うては即ち貴、貴には即ち賤。珠を罔象に得て至道綿々たり、刃を亡牛に遊ばしめて赤心片片たり。

 自分というものが失せて行く段階です、坐禅とはこれを楽しむんです、仏祖の髑髏一串です、もとないはずのものが、自分というよこしまに依って、これを私するんです、返却し返却しもって行く、ついになんもなしと思えたところから始まるんです、仏向上の事悟後の修行といいますが、天下取ったという、みな人の得がてにすとふうずめ子得たりという、まずそいつを手放して下さい、宮漏とはむかしの砂時計ですか、沈沈として密に箭を伝え、そうですよ坐るっきりないんです、時が解決すると一般は云うんですが、昨日の自分は今日ではないがあるっきり。千鈞の弩弓ですか、不思議でしょう、ただ自分がないっきりなんです、そいつが千軍万軍に当たる、そうですねえ無手勝流です。雲陣以下坐中にあって肯うところです。この中の人転変を見よ、電は発したらおしまい、なんの跡形も残らん、賤には賤、賤には貴と法界そのものになり終わるんです、無無明亦無無明尽ですか。刃を亡牛に遊ばしめてという、十牛の図ですか、牛いなくなってまるっきりただの人は、打てば響くなんてもんじゃないんです、触れるものみな真っ二つ、赤心洗うが如く、三句に薦得すれば自救不了です、首くくる縄もんあし年の暮れは、春風いたって百花開くんです。

画像の出典  ノウゼンカズラ/静岡市 2005年 7月
by tozanji | 2005-07-14 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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