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第九十九則 雲門鉢桶

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 衆に示して云く、棋に別智あり、酒に別腸あり。狡兎三穴、猾胥万倖。箇のこう頭底あり、且らく道へ是れ誰ぞ。

挙す、僧雲門に問ふ、如何なるか是れ塵塵三味。門云く、鉢裏飯、桶裏水。

 雲門文偃禅師は雪峰義存の嗣、将棋ですか碁ですか、どっちでもいい別智あり、馬鹿みたいのにころっと負けたりします。酒は別腹ですか、飲めるやつと飲めないやつ、狡猾を兎と胥は猿ですとさ、二つに振り分けた、兎には三つの穴がある、万倖人間の仕損じをもののけの倖とするとある、まあそういったこってすか。そうしてもう一つは箇のこう、言に肴です、こみいった所というわけです。華厳の事事無礙三味というつまり塵塵三味のありようをあげつらったわけです。そりゃこれ、ちらとも脇見運転、こんなはずじゃなかったとか、おれは見性底こんなことは別口とかやれば、すなわちひっくりかえる、事に当たってただ真正面です。本当に行なえば、却来して観ずれば、振り返り見れば夢中の事なんです。人生夢のまた夢は、たとい仕損じたれども、全力を尽くしたということです、いえたった一回200%やり切れれば、あとの半生おむつ僕ちゃんやってたろうが、まさに夢中の事、「生きたよう。」という無限大があります、ほかなしですよ。如何なるか是れ塵塵三味、鉢裏飯桶裏水、鉢の子鉄鉢応量器に飯を食らい、桶に水を使えというんです。はいわかりますか、いえほんとうにわかって下さい。

頌に云く、鉢裏飯桶裏水、口を開き胆を見はして知己を求む。思はんと擬すれば便ち二三機に落つ。対面忽ち千万里と成る。音召陽師些子に較れり。断金の義、誰か与に相同じからん、匪石の心独り能く此くの如し。

 口を開き胆をあらわして知己を求む、これ衲僧家世の常、たとい2チャンネル辻説法たっても、云うことこれしかないです。鉢裏飯桶裏水中国語の発音も知りたいと思ったりします、思ったりってあっはっは二機に落ち三機に堕すんですか。音召じょうの一字です、音召陽大師は雲門のおくり名です、なんせ万松老人特別扱いで、些子にあたれりというからには、断金の義誰かともに相同じからんです。たしかに、鉢裏飯桶裏水、雲門が云ったとわしら泡沫が云ったんでは、転ずるに格段の相違ですか。匪石の心、石の如く固い心ですってさ、撥ね返り方が違うですか、はいよったらちりっぱ一つ残らず、鉢裏飯桶裏水。
by tozanji | 2005-08-22 00:00 | 従容録 宏智の頌古


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