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第七章

第七章

第七祖、婆須密多尊者、酒器を弥遮迦尊者の前に置き、礼を作して立つ、尊者、問いて日く、是れ我が器となさんか、是れ汝が器となさんか。師思惟す。尊者日く、是れを我が器となさば、汝の本有の性なり、若し復た汝が器ならば、我が法、汝当さに受くべし。師聞きて大いに無生の本性を悟る。


師、姓は頬羅堕、常に浄衣を服す、手に酒器を持って遊行し、吟じうそぶき歩く。人は狂人と云う。弥遮迦尊者、遊化するに、城の辺に金色の祥雲起こる、これ道人の気なり、必ず大士ありて我が法嗣たらんと、云いおわらざるに、師来たりて問う、我が手中の物を知るや否や。尊者日く、是れ触器(不浄の器、触汚)にして浄者に背く。師すなわち酒器を尊者の前に置く。乃至大いに無生の本性を悟る。
酒器をもってうそぶき歩く、世を捨て遊行して歩くんですか、いいえ世のことあらゆる一切が、酒器の中に失せる、そういった塩梅です、はらだというのはばらもんの名だそうです。額に汗して稼ぐというのじゃなかったんでしょうが、共産党の忌み嫌う、西行や人に狂と呼ばれる、こういう人なつかしいです、どうにもこうにも本来本法性、自分という周辺に徘徊する以外なかったんです、ただこれの処置を知らなかった。まさに弥遮迦尊者に出会う、我が手中のものを知るや否や。満腔の思いを籠めるんでしょう、不浄のものは浄衣に似合わんぞという、これ尊者の掌中にあり、はたして酒器をその前に置く、尊者問う、これはおまえの器か、わしの器かと。さあどうであろうか、俗人のやりとりに似て、果然器が虚空に浮く、人の所有でもなく、ために他一切世界が消える。これをわしのものといえば、おまえの本来これ、もしまたおまえのものといえば、わしの法はおまえにあり。師大悟す。

霜暁の鐘扣くに随いて響くが如く、斯の中元より空盞を要せず。

姓を表さずと、師は尊者の前に初めて名告る、我無量劫より、この国に生まるるに至るまで、姓は頬羅堕、名は婆須密と。尊者日く、世尊阿難に語りて日さく、吾が滅後三百年にして、一聖人あり、姓は頬羅堕、名は婆須密、しかも禅祖に於て第七を得べしと。師日く、我れ往劫を思うに、かつて旦那となりて如来に一の宝座を献ず、彼記して日く、賢劫釈迦牟尼仏の法中に於て、位を継ぐべしと。霜暁の鐘扣くにしたがい響くが如くという、打てば響く、空じきった人の本来です、渾身口に似て虚空にかかる、東西南北の風をいとわず、おれは見性した、公案百発などいう、あるいは学者解説の類、こういえばああいうが、さっぱり打てば響くじゃない、どっか変なさかずき隠していて、ぼわんどこんとやるわけです、たとい2チャンだろうが一目瞭然これ。今婆須密多尊者、かくの如くの因縁ありて、打てば響くと、すなわち第七祖に列す、ではかくの如くの因縁という、空盞を忘れ去るに及くはなく、そのたった一つ持し来たった酒器を、尊者の前に置き、またそれを受ける、すなわち用がすんだら、投げうつによし。盞はさかずき。
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by tozanji | 2005-09-19 00:00 | 伝光録


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