第三十一章
第三十一祖、大医禅師、鑑智大師を礼して日く、願くは和尚慈悲、乞ふ解脱法門を与えよ。祖日く、誰か汝を縛すや。師日く、人の縛するなし。祖日く、何ぞ更に解脱を求めんや。師言下に於て大悟す。 師諱は道信、師生まれて超異なり、幼より空宗の諸の解脱門を慕う、あたかも宿習の如し。年十四にして三祖大師に参じて日く、願くは和尚慈悲、乃至言下に大悟す。師祖風を続ぎて摂心寝ることなく、脇席に置かず六十年、徒衆とともに吉州に到る、群盗城を囲みて七旬に及ぶ、師憐れみて摩訶般若を念ぜしむ、時に群盗城壁をうかがうに、神兵あるが如し、定めて異人あるべしといって、ようやく引き下がる。帰りて破頭山に住す、学侶雲集す。一日黄梅路上に親しく弘忍を接し、牛頭頂上に横に一枝を出す。唐の太宗詔して京に招く、師上表して遜謝すること三返、使い来たりて、もし起たずば首を切れという、神色厳然、ついに切れず。一切諸法、悉皆解脱、汝等各自護念して、未来を流化せよと、云い終わりて安坐して逝す。 和尚慈悲乞う解脱の法門を与えよという、誰か汝を縛すや、いいえだれも縛ってはいないという、では何ぞ更に解脱と求めんや、師言下に於て大悟す。そうです、まったくこれっきりなんです、十四歳にしてこうです、七転八倒座禅により見性によち、ああでもないこうでもないの、まったくそんな必要のないことを、直きに知って下さい、手つかずの法門、手をつける必要がないんです、言下に於て大悟して下さい、まるっきりのただ。だからなんでもありあり、しゃばの我欲不都合のそのまんまですか、摂心寝ることなく、脇席につかず六十年です、自ずからにかくの如くです、務めてなすのおいて務めてなすんです、わかりますかこれ。 心空浄智邪正無し、箇裏知らず何をか縛脱す。縱ひ五蘊及び四大を別つも、見聞声色終に他に非ず。 もとこのとおりにあって、他にないのを何で知らず、何ゆえ安住せぬかという、根本の問題です、何ゆえと問いわれて、答えようがないんですか、いえ我欲のゆえに、とらわれのゆえに、いえ我れという架空のゆえに、五蘊あり四大ありする、見聞覚知を追うんですか、どうしてもこれを免れえぬと思い込むんですか、すなわちこう云えばこれ切りがないんです、切りのないのを人生という、いったんどうでもってことあります、これではならじということあって、願くは和尚慈悲、わがために解脱の法門を示せという、願くはなければ、だれも縛ってなぞいない、もとかくの如しとは気がつかない、これ仏教、でなくばもとっから仏の教え不要。たといまあそういうこってすか。
by tozanji
| 2005-12-26 00:00
| 伝光録
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