第三十五章
第三十五祖無際大師青原に参ず、原問いて日く、汝甚麼の処より来る。師日く、曹溪より来る。原乃ち払子を挙して日く、曹溪に還た這箇有りや。師日く、但だ曹溪のみに非ず、西天にも亦無し。原日く、子曾て西天に到ること莫しや否や。師日く、若し到らば即ち有らん。原日く、未在更に道へ。師日く、和尚也た須らく一半を道取すべし。全く学人によること莫れ。原日く、汝に向かいて道うことを辞せず、恐らくは已後、人の承当すること無からん。師日く、承当は無きにしも非ず、人の道得すること無からん。原払子を以て打つ。 師即ち大悟す。 師諱は希遷、母初め懐妊して葷茹を喜ばず、師孩提に在りと雖も保母を煩わさず。既に冠して然諾自許す。郷民鬼神を畏れて淫祀多し。牛を殺し酒にしたしむことを常とす、師即ち往いて祀を壊ち牛を奪いて帰る。年に数十、郷老禁ずること能わず。十四歳にして初めて曹溪に参ず。六祖まさに滅を示さんとす。 師問いて日く、和尚百年の後、希遷まさに何人にか依付すべき。祖日く、尋思し去れ。祖の順世に及んで、師毎に静処に於て端坐し、寂として生を忘るが如し。時に第一座南岳懐譲問いて日く、汝が師すでに逝す、空しく坐して何かせん。師日く、我れ遺戒をうく、故に尋思するのみ。譲日く、汝に師兄あり、行思和尚という、今青原に住す。師直に青原に到る。原問いて日く、人あり嶺南に消息ありと道う。師日く、嶺南に消息ありと道わず。原日く、若し恁麼ならば大蔵小蔵何れより来たる。師日く、ことごとく這裏よりし去らん。原之を然りとす。ある時原払子を挙して日く、曹溪にまた這箇有りや。乃至師大悟す。 これ六祖大満禅師に初相見、いずれおり来る、嶺南より来る、嶺南人無仏法というのに、人には南北あり、仏性に別なしと答えるのとどうですか、物まね人まねではない、まっさらです、まっしんに当る変化、では今はどうかというに、六祖檀経の素直さがいいです、信心銘や心銘が実にいいと思います、六祖より輩出する活発発地、そりゃすばらしい時代であったです、南岳の懐譲その弟子の大趙州、慧忠国師もだれも、ほんにばくやの剣なと云う他はない、手も触れられんです、そりゃ六祖だって同じこってすが、一宿覚の青原行思ああ云えばこう云うの、石頭希遷に持って行かれないんです、いぶかし更に道へという、人に預けないで一半を道取すべし、てめえがことに首突っ込んでいない勢いです、そりゃ他なしの自身、これを未だしと知る、そりゃ自分がないからです、言句上のこっちゃないです、承当は無きに非ず、人の道得すること無からんというやつを、払子を以て打つ、わずかにかくあるべしを払う、廓然大悟。 石頭希遷のミイラを見たですよ、忘れられん大事件でした。 一提提起す百千端、毫髪未だ曾て分外に攀じず。 青原のもたげた払子です、そやつから一歩も外へ出られない様子です、人真似で一指頭を挙げても失笑を買うだけですが、さしもの希遷大和尚、ついに分外によじずですか、払子のざんばら髪、ついに打たれて消えるんですか、生死同じくこうある、ふいっと失せる、大悟というそりゃ完全無欠です、髪一重もあれば収まり切らんです、手を取り足を取りしたって、契わんときゃ契わんです、あっというまの急転直下、なんでおれは今までもたもたという、わっはっはしょうがねえやつであったなという感想、でもって実になんにもないんですよ、得失無し。ミイラになって死んでもいいってのそれですか、そりゃ用事終われば。
by tozanji
| 2005-12-30 00:00
| 伝光録
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