第四十六章
第四十六祖丹霞淳禅師芙蓉に問ふて日く、如何なるか是れ、従上の諸聖の相授底の一句。蓉日く、喚んで一句と作し来たれば、幾莫か宗風を埋没せん。師言下に於て大悟す。 師諱は子淳、弱冠二十歳にして出家し、芙蓉の室の徹証す。初め雪峰象骨山に住し、後に丹霞に住す。如何なるかこれ従上諸聖相授底の一句。釈尊明星一見より、迦葉拈華微笑、阿難倒折刹竿著、滴滴相続して今にいたる、これ寸分も別なく、相違なく、今この伝光録に全い見るように、諸聖まったく違わずです。これが相授底の一句、もしやそんなものがあるはずもなく、もしや有ると思えば、なにがなしそれをどうしようという、四六時中ていぜいも、ついに離れず自由の分なし、坐るという苦痛がついて回るんですか、あるいはいい悪いの我田引水、時には蜜を吸う如く、時には無味乾燥、はたしておれはと顧みるんでしょう、末期の一句が欲しいとなるんです、これを以て問う、喚んで一句となし来たれば、幾ばくか宗風を埋没せん、そう云っている限りは、そう云っているものがあるのさってわけです、師言下に大悟す。 みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけりよくこれを保任せよという、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよきですか、いえさどこまで行こうが修行の上の修行。 清風数しば匝り縱い地を揺らすも、誰か把り将ち来りて汝が為に看せしめん。 はいまさにこれ参禅の要決です、いいことしいの頭なぜなぜは一神教ですよ、たとい箇の標準入り難し行じといえど、オ-ムや立正安国論のような、偏狭きちがい或いは、信ずれば救われる底の、独善じゃないんです。ただこれ、ただの真っ平ら、他に人間の智慧はなしと知る、大丈夫これ、だれかとりもちて汝が為に見せしめんです、即ちそのように坐って下さい。
by tozanji
| 2006-01-10 00:00
| 伝光録
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